チロがいなくなった。
十月の初めのことだった。



「みーつーきっ」

満月(みつき)は突然目の前に現れた梓(あずさ)の顔にハッと息をのむ。
そして恐る恐る回りを見渡せば、そこにはすっかり緩みきった放課後の教室の様子が広がっていた。

「あ、れ…?もう放課後…?」

呆然と呟かれた言葉に梓の眉がクイッと上がる。
どうやら目の前のこの幼馴染み兼親友はまだぼけているらしい。
というよりも、最近こんなことが多くなった。
みんなと話していたと思ったら、いつの間にか一人であらぬ方向をぼんやりと見つめていたり。

「ねぇ、満月…最近ぼんやりしすぎだよ。やっぱりなんかあったんでしょ」

心配してこうやって何回も声をかけたが、毎回「なんでもない」とかわされている。
今日こそは絶対聞き出してやるんだから!と机に乗り出す梓に、満月はまたいつものように困ったように笑った。
けれど、今回は「なんでもない」とは言わなかった。

「実は、チロがいなくなっちゃったんだよね」

「え…?」

予想していなかった事態に梓は硬直する。
チロはたしか満月がとても可愛がっていた犬だ。
裏山に住む野良犬らしく、梓は直接見たことはないが、よく満月から話を聞いていた。
それはもう彼氏ののろけ話の如く、呆れるくらい聞かされたものだ。
そのチロがいなくなった、というのであれば最近満月が塞ぎ込んでいた訳も納得できる。

「えと、いつくらいからいないの?」

「もう2週間くらい、かなぁ…」

その言葉に梓は瞠目した。
なんせ今まではほぼ毎日チロとののろけ話を聞かされていたのだ。
つまりほぼ毎日チロは満月のところにきていたわけで、そんな中2週間も姿を見せないとあれば、思わず最悪の結果を考えてしまっても仕方がない。

梓の顔色から満月は考えていることを悟ったのか、どこか諦めたように笑った。
それに梓もなんて声をかければ良いのかわからず、気まずい沈黙がおりる。
と、そこに思わぬ救世主が登場した。

「おい満月!今月の31日にまたお前んちの神社借りてもいいか?」

教室の満月の対角線上の席から騒がしく話しかけてきたのは満月と梓の幼馴染み、京太朗(きょうたろう)だった。
何事かとそちらを向くと、京太朗の机の周りに数人の男子が集まっていた。
意図がわからず首をかしげる満月に、男子の中から清水(きよみず)が一歩進み出て説明をしてくれた。

「今みんなで話してたんだ。31日にハロウィンパーティーをしようって。それで大上(おおがみ)さんちが借りれたらなと思ったんだけど」

涼しげな目元にある眼鏡をクイと押し上げる細長い指。
清水は一見するとインテリ風の美少年だが、その実かなりのオカルトオタクでもある。
そんな彼がハロウィンパーティーを言い出したのも最もな話だったし、何より楽しそうだ。

「うん、そういうことならわかった。おばあちゃんに言っとくね」

満月の一言に男子たちから歓声があがり、京太朗など早々と教室を飛び出して全校にハロウィンパーティーの実施を伝えに走り出している。
相変わらずの元気さに満月と梓が顔を見合わせて笑っていると、そこに清水が近づいていった。

「本当にありがとう、大上さん。毎回のことだけど、お世話になります」

爽やかに笑って言う清水に満月も軽く笑みを返す。
元よりこの片田舎の小さな町では、なにか行事がある度に町で一番広い大上神社を利用していた。
そして大抵は、そこの一人娘である満月をはじめとする大上家の誰かに言付ければすぐに使用できる。
だから何かと騒ぎ好きな京太朗をはじめとした町の若者たちはそこでよくパーティーやら何やらを開くのだ。

「そういえばさ、ハロウィンパーティーってはじめてやるんだけど、やっぱなんかコスプレしなきゃいけないの?」

思い付いたように言う梓に清水は頷き返す。

「そうだね。その衣装をみんなで作るのも楽しそうだし」

子供が少ないこの町では、子供みんなが知り合いで、みんながみんな仲が良い。
年齢層も広く、きっと今回のパーティーも小学生から若い社会人くらいが集まることが容易に予想された。

「確かに楽しそうだね!でも私、あんまりオバケとか知らないんだよね」

困ったように眉を寄せる満月に清水はここぞとばかりに胸を張る。心なしか目も輝き出したような。

「それならこの僕に任せたまえ!西洋のモンスターから東洋の妖怪まで、僕に語れないものはない!」

「いや、別に語んなくていいから」

梓の鋭いツッコミが入った。
それに言葉を詰まらせる清水に満月は懸命な判断を下した。

「清水君と京太朗はもう何の格好をするか決まったの?」

話を元に戻した。

「僕は吸血鬼をするつもりだよ。やっぱり王道だけど吸血鬼ははずせないよね!なんてったって―」

「だから語るなっつの!ほら、京太朗は何すんの!」

「俺は狼男だぜ!」

突然聞こえた京太朗の声に振り向くまもなく、満月の背中に誰かの体重がかかる。

「わっ、びっくりしたぁ…」

椅子に座っている満月の背中に上半身を預け、その頭にあごを乗せているのは先ほどまで学校中を走り回っていたはずの京太朗。
戻ってきたということは、もうハロウィンパーティーの宣伝は終わったのだろう。

「狼男って確かあれだよね、満月見たら変身するやつ」

「お、梓よく知ってんじゃん!」

梓と京太朗の会話に清水がチッチッチと指を振る。
それを見た梓がまたうざい!と頭をはたくが、本人は懲りた様子も無く胸を張った。

「やはり一般人の知識はこのレベルか。ふっ、僕はとても悲しい!」

まるで役者のように大仰な動作で嘆く清水に3人はコソコソと頭を寄せる。

「清水君ってこういう話題になると人格変わるよね」

「まぁ俺はいつものスカしてんのよりこっちが好きだけどな!」

「わたしはうざい!ひたっすらうざったいと思う!」

そんな3人の様子に気付いた様子も無く清水は続ける。神経が図太いのも清水の特徴だ。

「ここで優しい僕が君たちに狼男とはなんたるかを教えてあげよう!一般的に狼男、もとい狼人間というのは先ほど京太朗君が言ったように満月を見ることで身体的変化を及ぼし、人間から狼へと変身する妖怪のことを指す」

「君とか気持ち悪ぃな」

「しかし実は狼人間にはもう一つの説がある!今はまだマイナーだが一部のマニアたちの間ではものすごく話題になっていて、あ、そういえば今度そのマニア会議があったな。これは僕もぜひとも参加せねば―」

「本題に戻れ!」

「おっと、そうだな、たとえば有名な例を挙げよう。君たちも猫又という化け物を知っているね?おや、知らない?ふむ。猫又というのは尻尾が二又に裂けた猫のことで、長く生きた猫が化け猫になりそれが猫又と呼ばれているんだ。そしてその化け猫は時に人間に化けるとも言われていて、その法則に狼をも当てはめられるのではないかという―」

「つ・ま・り・は?」

「つ、つまりは、長生きした狼が人間に化け、それが狼人間の由来だとも言われているというわけだ」

数回の軌道修正を入れられながら、なんとか終わった清水の化物講義に3人はへーと関心したようにうなずいだ。

「おし、帰るか。行くぞ、満月、梓っ」

「そだね。あ、おばあちゃんに神社のことも聞かなきゃ」

「ってか結局なんのコスプレするか決まってないし!」

ぞろぞろと教室を出て行く3人。
残された清水はちょっぴり涙目だった。


top