繋がる縁
薄い視界に青空が広がっている。

肌に当たる日差しが心地良い。
夏とは思えぬほど穏やかな気候は眠気を全身に運び込み、のんびりと微睡めば、空想のような記憶が脳を浸した。
青々と照りつく海が一望できる小高い丘の原っぱで、ゆるく身体を丸めたタージャに凭れかかって潮の匂いを聞きながら、それから……。
そういえば、眠りに落ちる寸前に小さな子供の笑い声が遠くから聞こえた気がした。
そんなことを纏まりのない頭に思い浮かべて、ひどくゆっくりと瞼を上下させる。

――――ふと、風に乗った匂いにひどく懐かしいものを覚えて、ミスミは覚醒しきれないまま小さく口を開けた。
ああ、と呟いたはずの声は上手く音にならず、消えてしまう。
遠くから聞こえてくる波音にすら懐古を告げられて、とても心地が良かった。

なんか、故郷みたいだ……。

懐かしい気持ちに身体がぬくもりを帯びて、その心地良さのまま再び瞼を下ろした――直後、ばしりと容赦のない乾いた音と共に額に走った衝撃にミスミは跳ね起きる。


「いっ……!?なっ、なんだ!?」

「ジャ。」

「ジャ、じゃねーよ!お前なあ……起こすにしたって、もうちょっとやり方があるだろ!」

「ジャァロ!」


頭を預けていたはずの相棒が、そういえばいつの間にかいなくなっていたことに今気が付いた。
大方、暑さが煩わしくて落とされたのだろうが。

タージャと名付けたジャローダが皮肉屋な表情で尻尾を顔の横に掲げている姿に食って掛かる。
せっかく全身で感じていた居心地の良さに水を差され、眦をつり上げるミスミに、しかし、タージャは強気に鳴き声を返してきた。
いつもならフンと鼻を鳴らすか、知らぬとばかりに首をそらすというのに。

言い返された気分のまま常と違うタージャの様子が気にかかり、ミスミが立ち上がる。
どうしたんだと問いかけるとタージャはスイっと首を回すような仕草を見せた。
周りを見回してみろということだろうかと、ミスミも倣う。


「……ここは、」


そうしてようやく、周囲の景色と自身の状況に気が付いた。

どうやら自分は、背の低い草むらの中で寝ていたらしい。
芽吹いたばかりの小さな花々やつくしが風にくすぐられ、あたたかな気候が麗らかな春の始まりを知らせているようだ。

木の葉を連れてそよぐ風に潮の匂いが混ざっていた。
少し歩くと、道の小脇に下へと続く階段を見つける。
崖というほど大袈裟なものではないもののそれなりの高さから見下ろせば、浅く波打つ水道が広がっていた。
なみのりを使って西へ下れば、すぐに広い海へと出るだろう。

――――ミスミは、そのことをよく知っていた。

聴こえる波音は、ずいぶんと穏やかで、漂う潮の香さえどこか違うように感じられる。
否、違う。
ホウエンの海よりもずっと、この海は穏やかなことをミスミはよく知っている。
懐かしいのだ。何もかもが。
季節の移ろいを鮮明に告げる、のどかな景色が続く海沿いの小路。


それは、間違いない――――ここはイッシュ地方の1番道路だった。


「……はは、いつの間に里帰りしたんだろうな。」

「ローダ……。」


思わず漏れた笑みが必ずしも久しい故郷に対する嬉しさだけで彩られているものとは限らない。
そのことがタージャにはよくわかる。
人とは本当に混乱したり、困惑すると一周して笑ってしまうことがあるのだ。
かくいうタージャも周囲の異変に気付いて目を覚ましたとき、懐かしい景色が広がっていたことに大層驚いたのだが、足元で寝こけているトレーナーの存在のおかげで、すぐにいつもの冷静さを取り戻すことができた。


「なんだこれ……。まさか夢か?いや、でもさっきお前に叩かれたとき痛かったよな。」


ってことは、夢じゃない……?
考えて、ミスミは以前にも似た体験をしたことがあることに思考を辿り着かせた。
あのときは、意識のあるままだったが、今回は本当に寝て起きたらここにいたから些か状況は異なるが、しかし。


「……よし、考えても仕方ない。行ってみるか、カノコタウンに!」

「ロダ。」


それが今一番手っ取り早いことなのだと結論付けて、ミスミが手を打つと、タージャはフッと口角を上げた。
懐かしい道のりを――あの日のようにパートナーと共に辿りながら、ミスミはすぐそこにある町への入り口に少しだけ胸を高鳴らせた。


ひとまず自分の家に行こうとして、町の入り口から比較的近い研究所をタージャが見やる。
そこから小さく聞こえてくるポケモンたちの鳴き声。
タージャが意味深に笑みを広げ、ミスミを見た。
ジャ、と短く鳴いたタージャ。
当たりを見つけたかのような態度にミスミもどこかで勘付くものがあった。

"ひょっとしたら"という思いのまま路線を変更して、家ではなくアララギ博士の研究所の方へと歩き出そうとした、そのとき。



「アナタは……。」



確かに聞こえた、少女の声。
少しだけアルト気味のその声は、ミスミとタージャの足を止めるには十分なほど久しいものを胸にもたらした。
ミスミは後ろを振り返る。
自分の家がある方角と全く一緒の道の先で、合わせ鏡のように自分と同じくジャローダを連れた少女がミスミを見つめていた。

茶色の豊かな髪は高い位置でポニーテールに結われ、ハッキリとした目鼻立ちにスポーティーな服装。
しかし、纏う雰囲気は活動的というよりもとても物静かに澄んでいる。

二通りに見覚えのある少女だった。
一つは、リバティガーデン島への船旅で出会った、ミスミよりもトレーナー歴の長いバトルガールな彼女。
そして、もう一つは在りし日にとても不思議な邂逅を果たしたワンダーランドの住人。
ミスミの目の前にいる彼女は、後者だった。


「――――よお、トウカ。久しぶりだな。」

「ミスミ……。やっぱり、ミスミだったのね。」


普通ならあり得ないはずの出会いを、これで三度果たしたことに驚きがないわけではなかった。
だが、ミスミは何でもないことのように片手を上げてアイサツを口にする。
あえて軽く寄越された、その再会を当たり前とする雰囲気にトウカも丸まった目をゆっくりと綻ばせる。
その隣からスッと長い首を前に出し、彼女のパートナーであるミルフィーユがミスミの隣にいるタージャへと声を掛けた。


「ローダ!」

「ロォダ。」


ローダローダっと語尾を弾ませて尻尾の先の葉をフリフリ振るミルフィーユ。
澄まし顔でつんとしているタージャと違い、ミスミたちとの再会を喜んでくれていることがわかる素直さをミスミは改めて実感する。
やっぱりこういうときに素直にうれしそうにしてくれるミルフィーユは可愛げがあっていいなあ、とミスミが徐に隣へ視線を投げれば、膝裏に尻尾を叩き込まれた。
飛び出した悲鳴にトウカとミルフィーユの首が揃って同じ方向に傾く。
知らぬ存ぜぬを貫き通す姿勢なのはタージャばかりで、ミスミが恨めしそうに崩れた体勢のまま沈黙の視線を送るが、効果はいまひとつだった。


「ミスミ?」

「なんでもない……。トウカがいるってことは、やっぱりここはオレたちの世界じゃないみたいだな。」

「そうね、たぶんそう。今度はどうやってここへ来たの?」

「それが謎なんだよ。タージャとホウエンで昼寝して、起きたらそこの1番道路にいたからな。」


まるでどこかのおとぎ話だ。
夢でチョッキを着たミミロルでも追いかけてきたのだろうか。

相変わらず、不思議な経路を辿って巡り合えるパラレルワールドの住人を前にしているトウカは、パートナーのミルフィーユと顔を見合わせる。

――――なんにせよ、またこうして会えたのはうれしいことだ。

彼のことだから、きっとまたここへいられるだけ、その時間を楽しもうと言うに違いない。
以前出会ったときのミスミの言葉と、そして過ごした時間の中で見てきた彼の人物像がトウカにそんなイメージをもたらす。
ミルフィーユも同意見らしい、微笑むその顔にトウカは小さく頷いた。

顔を彼らに戻してすぐにトウカは両手を軽く伸ばす。


「タージャ、おいで。」

「ジャロ……。」


伸ばされた手を片目で見やったタージャは、大人しく頭をそこへ下ろした。
するりとトウカの両手がタージャの頬を滑る。
ミルフィーユと同じ形の顔なのに触り心地も似ているようで、どこか違う。


「タージャも久しぶりね。また会えてうれしいわ。」

「ロダ。」


ミルフィーユほど素直な感情表現はしないが、かくういうタージャも気持ちは同じはずだ、とミスミは思っている。
手を伸ばしたトウカに対し、すぐにその身を明け渡して大人しく撫でられ続けているのだから、なんだかんだで彼もまたこの再会が満更でもないのだろう。
そういえば、以前ジョウトの森で出会ったときはトウカたちの存在を感知すると、やたら上機嫌な様子を見せていた。
それなのに いざこうして再会すると、そんな素振りを見せようとしないのだから素直じゃない。
そこがなんだかんだタージャの可愛いところだと、ミスミはよく知っているが。

頭から頬、そして喉へと数回ゆっくりと掌を滑らせ、時折閉じた瞼を指でくすぐるトウカの手を甘受するタージャ。
パートナーの比較的穏やかな横顔を見て、ひとしれず笑んだミスミは、ならばともう1匹のジャローダへと顔を向ける。


「ミルフィーユ、来いっ。」

「ジャァロっ。」


軽く広げた両手に頭を滑り込ませてくるミルフィーユをミスミがわしゃわしゃと撫で繰り回す。


「久しぶりだな、元気だったか?」

「ロダ。ローダっ。」

「そっか。」


ふわりと漂う草の匂いがタージャのものよりほの柔らかい気がするのは、個体差というやつなのだろう。
ぐにぐにと頬を親指で軽く押したり、ジャローダ特有の立派な襟飾りのあたりまで撫でる手を動かすと、以前触ったときよりも身体つきがまた少し引き締まっているような気がした。
それはタージャに触れているトウカも同じ考えを持ったようで、彼女はタージャに触れる手はそのままにミスミへ顔を向けると、物柔らかな声で。


「この前会ったときよりも、たくましくなったように見えるわ。」

「伊達に旅を続けてないからな。でも、それはそっちもだろ。」

「ええ。ふふ、そうね。」


ミスミの言葉に同意見を唱えるトウカの声が、どこか弾んでいる。
トウカがタージャから手を放してミスミの方へ身体を向けると、ミスミも同じくミルフィーユを手放して、トウカと向き合う形で姿勢を正した。
互いのパートナーとの再会のアイサツを終えた後、改めてふたりはこの邂逅を喜び合う。


「こうしてまた会えて、素敵――だろ?」

「もう、また――でも……そうね、本当にアナタたちにまた会えたんだもの。とても素敵。」


もうすっかりおなじみとなって、ミスミの耳によく馴染む「素敵」の言葉。
それを先んじてトウカに"ふいうち"を仕掛ければ、再び口癖を先取られたことへの苦笑が浮かんだ。
が、以前出会ったときの再現のようなやり取りが懐かしく、苦笑はすぐに穏やかな満面の笑みへと変わる。


「いらっしゃい、ミスミ。歓迎するわ。」


これまでなら驚きに気を取られ、気持ちの切り替えを遅らせただろうが、相手もそれなりに慣れてしまったこの状況を楽しむように、トウカは微笑んで手を差し出した。
遊びに来たともだちを快く迎える、その手に向けてミスミも片手を差し出し、歯を見せて笑った。


せっかくまたこうして会えたのだからトウカの手持ちたちにもアイサツがしたいとミスミが言うと、トウカも同じ考えだと同調した。
どこか開けた場所へと移動を考えたところで、トウカがこっちだと掌で指した先を見る。
そこは、アララギ博士のポケモン研究所へ続く道だ。


「今、ちょうどみんなで集まっていたところなの。」

「みんな?みんなって……。」


まさか、とミスミの視線が動く。
自然と辿られるのは、彼もよく知る幼なじみたちの家路だ。
トウカに視線が戻ると、彼女はこくんと頷いて返した。


「アナタの知っているふたりとは違うかもしれないけれど、会ってもらいたいわ。」

「そりゃ、もちろんオレだって。こっちの世界でのアイツらとは会ってみたかったんだ。」

「よかった。実は、ミスミのことは前に話したことがあるの。でも改めて紹介できるわね。」


そう言うトウカの様子が少しだけ楽しそうで、雰囲気も心なしか以前より明るい。
故郷にいるから気分が高揚しているのかもしれないし、単純にミスミを彼女の幼なじみたちに会わせるのが楽しみで仕方ないのかもしれない。
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