Twilight Mystery
生い茂る緑の森には似つかわしくない廃れた建物。
朽ち果てかけた建物には当然といった風に天井はなく、穴だらけの壁はほとんど崩れ、どこもかしこも――打ち捨てられたドラム缶にまで苔が生している。


『夢の跡地』と呼ばれるここ――工場跡の中にミスミは最初のポケモンであり、大切なパートナーであるジャローダのタージャと立っていた。

なぜ、この場所に。

スワンナのアルに乗ってサンヨウシティのポケモンセンターの前に降り立つと、まるで何かに引き寄せられるように、迷いのない足取りでここまでやってきたことが今になって不思議で仕方ない。
旅の途中にも関わらず、来た道を引き返す形になることも厭わなかった。

ここに来る理由なんてないはずなのに――何かに呼ばれた気がした、なんて。


「なんか変な感じだな。」

「ローダ。」

「なんだっけな、これ……。
たしか、カントーとかジョウトでは、こういうときを表す言葉があった気がするんだけど……。」


オウマガドキ、だったか?

この一線を超えた先に行ってしまったら、どこかへ迷い込んでしまうような……そんな感覚だった。

なんだか妙に手持無沙汰で、胸に手を当ててみると、いつもよりも速い鼓動が感じられた。
さっきから胸がざわついて仕方ない。
落ち着かない面持ちのミスミがタージャを見上げれば、頭二つ分高い位置にある彼の顔は表情こそいつも通りクールだが、しきりに尻尾の先を震わせているのは落ち着きがない証拠だ。
タージャも何かを感じ取っているらしい。


「それにしても……今日はここ、やけに霧が深いな……。いや、霧っていうより靄か?」

「ロォダ。」


立ち込める紺碧の"靄(モヤ)"。
夢の跡地全体を覆うそれは些か濃煙で、しかし、人工的に放出されたものとも違うように感じる。
匂いなどもなく、よく見れば視界のあちこちにチリチリと細かい砂の粒のような光が浮かんでいた。

この靄の存在は森に入る前から気付いていたものの、今になってようやくそのことを実感したようなミスミの呟きにタージャが短く鳴く。
ミスミはそれを「そうだな」という肯定の言葉だと思い、何気なく聞き流したのだが、すぐに彼の鳴き声は別の意味であったことを知る。


「ムゥシャ。」


青い靄の中に玲瓏と響いた、ポケモンの鳴き声。

控えめに煌めく青い景色の中を見渡す視界の奥底。
影絵のようにぼんやり浮かび上がってくる、丸い物体。
音もなくこちらへと近付いてきたのか、あるいはミスミたちが引き寄せられるように歩み寄ったのか、その境界線さえ曖昧な感覚に苛まれながら、ミスミの茶色い眼の中に淡い色彩が映り込む。
青い胴体に紫の手足、やや桃色の色味が強い頭部からとめどなく噴き出されているのは、この夢の跡地一体を覆い尽くす靄と同じ紺碧の色をしていた。

通常色とは異なる、色違いのムシャーナだ。

ミスミがそれを認識して間もなく、タージャが再び「ロォダ」と鳴く。
先程と同じ鳴き方は、このムシャーナの存在を感知していたゆえなのだろうということを漸く理解した。

そのときだ、閉じられていたムシャーナの眼がすうっと開き、薄紅の眼から妖しの光が放たれる。


「――――ムシャァン。」


瞬きの刹那、ムシャーナが生み出す光を帯びた紺碧の夢のけむりがムシャーナと、そしてミスミとタージャを含めたこの場一体を深く包み込む。
互いの姿さえもはや見えなくなってしまうほどの濃煙にとっさにミスミがタージャの葉の手を握り込み、名前を呼び合って互いの存在や距離を確かめた。

そうして、無意識のうちに一歩を踏み出たのは深い紺碧の煙から逃れるためか、あるいは再び"呼ばれた"ような気がしたからなのか――――。


ハッとミスミが気付いたときには、彼らはすでに夢の跡地とは異なる場所に立っていたのだった。
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