好きだから
利吉の父、山田伝蔵が単身赴任で忍術学園で働くようになって二年がたった。
前は休みのたびに帰ってきていたのだが、ここ一年間は補習が多いらしく、ほどんど帰ってきていない。
久しぶり父からの手紙にも、また帰れないといった旨が書かれていて、利吉は肩を落とした。
父から忍術を学ぶのを楽しみにしていただけに、落胆も大きかった。

「父上、また帰ってこないんですね」

「そうみたいね」

小さく呟いた母の声の後に、普通ならば気付かない笛のような音が聞こえた。矢羽音だ。
最近教わったばかりで意味はよくわからなかったが、恐らく父に対する愚痴だろう。
利吉が覚えている限りでは、父と母は仲睦まじい夫婦だった。だが、最近母はよく父の愚痴を零すようになった。

「母上は父上のことがお嫌いですか?」

「……そうかもしれないわ」

「どうして?」

「好きだからよ」

利吉は首を捻った。
好きだから嫌いなんて、あべこべだ。何かの暗号なのだろうか。
詳しく聞こうかと思ったが、無表情に淡々と包丁を研ぐ母があまりにも怖くて、問い掛けるのははばかられた。
prev * 1/1 * next
- ナノ -