猫の日×野良猫
「ふみゃあ」

サヤマートの入り口で、まるで店番でもするかのように、その猫は座っていた。
学校帰りに寄ったちさきは、挨拶するように甘ったれた声で鳴く生き物に本日特売の卵のことも忘れて見入ってしまう。
猫自体は知っていたが、地上で暮らすようになるまで見たことすらなかったし、これまで見かけた猫もすぐに逃げていくものばかりだったため、こんな間近で相対するのははじめてだった。
こういう時はどうすればいいのだろう。

「お前、こんなところまできたのか」

固まったままのちさきの隣で、紡が慣れた様子で猫の鼻先に手を差し出した。においを嗅いでから甘えるようにすり寄ってきた猫の頭をそっと撫でる。
当然のことのように目の前で繰り広げられる光景にちさきは目を瞬かせた。

「知ってる子なの?」

「船着き場によくくるから。人懐こいくせに時々魚を盗ってくから、油断ならないけど」

口では困ったやつだと言いながら、表情は柔らかい。
猫も気持ちよさそうに目を細めて、されるがままなっている。茶トラ柄の毛に包まれた身体は柔らかそうで、手触りもよさそうだ。

「触る?」

「えっ!?」

確かに触ってみたいとは思った。思ったけれど、

「……か、噛まない?」

「尻尾掴んだりとかしなければ」

「引っ掻かない?」

「引っ掻かない」

「墨吐かない?」

「吐けない」

大丈夫だから、と促され、恐る恐る手を伸ばしてみる。
鼻先が近付き、すんすんとにおいを嗅がれる。湿った鼻が触れてびくりとしてしまったが、猫は構わずすり寄り、甘えた声で鳴いた。
紡がしていたみたいに、そろそろと頭を撫でてみる。思った通り、柔らかい。もっと、とねだるように寝転がって見せてきた腹も撫でてみると、よりいっそう柔らかくて、ずっと触れていたくなるほど心地よかった。
猫の方も気持ちいいらしく、蕩け切った顔で身を委ねている。

「可愛い」

「みゃあ」

「ふふ、みゃあ」

思わず鳴き真似で返してから、はたと我に返る。ぎここちなく顔を隣に向けると、いつもと変わらぬ表情で紡がこちらを見ていた。
かっと顔が熱くなる。なんとか言い訳しようとするが、口から零れるのは意味を成さない上擦った声のみだ。

「えっ、あっ、その」

「にゃあ」

淡々と真顔で発せられた鳴き真似。予想外の行動に呆気にとられる。
からかっているのか、気を回してくれたのか、ただなんとなくのってみただけなのか。
紡はいつもと変わらない様子で、なにを考えているのかまったく読み取れない。わからないが、ただ一つ、

「ふっ」

似合わな過ぎておかしいという事実だけははっきりしていて、しだいに笑いが込み上げてきた。悪いとは思うのに、止めようにも止まらない。

「ちさき」

「ふふ、ごめん。……えっと、うん、可愛かったよ」

紡が眉を顰める。それもなんだかおかしかった。
放っておかれた猫が、もっと構ってとばかりに鳴くまで、なかなか笑いは収まらなかった。
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