提灯揺れた
まずは参拝しにお社に向かう。屋台が立ち並ぶ通りを抜けていくと、短い石段と大きな石の鳥居があった。
石段を上って鳥居をくぐると、参道の両脇にミニリュウの像が向かい合って立っているのが見える。この辺にあるミニリュウ像は、みんな神様の仲間らしい。だからだろうか。はめ込まれたガラスの瞳が提灯の明かりで光っているのが怪しく見えて、少しびびってしまう。
その時、肩が跳ねてしまったらしく、ヒカルが抗議の声を上げた。
ごめん、と謝ると、許すとばかりにぺちぺちと軽く頭を叩かれる。
「どうかしたの?」
ハヅキ姉が訝しげに振り返る。おれは「なんでもないよ」と首を横に振った。
こんな石像にびびったなんて、かっこわるくて言えないよ。
いつもは閉まっているお社の扉は開いていて、中ではハクリューの像が堂々ととぐろを巻いていた。ゆらゆらと揺れる篝火に、首元の玉が神々しく輝いている。
ハクリューには天候を変える力があるらしく、このお社みたいに祀っているところは多いらしい。ハクリュー以外にも神様として崇められているポケモンは各地にたくさんいて、それも1つのポケモンとのつき合い方なんだと、前にママが言っていた。
おれ、ヒヅキ兄、ハヅキ姉、アオイ兄の順番に鈴を鳴らして――アオイ兄は大人だからがっつかないらしい――、ぱんぱんと柏手を打つ。
さて、なにをお願いしよう。
手を合わせて考えていると、ぱちぱちと気の抜けた音が耳元で聞こえた。横目で見ると、ヒカルがおれの真似をして手を合わせたまま目を閉じていた。意味をわかっているのか、いないのか、ずいぶんと真剣な様子に思わず笑ってしまう。
うん、そうだ。やっぱり、
(これからも、ずっとヒカルと一緒にいられますように)
また目を開けてお礼をする。
いつの間にか、ヒヅキ兄たちはお参りを終えて脇に避けていた。
「ごめん、待たせた?」
「ううん、全然。シオもヒカルちゃんもすごく真剣にお願いしてたね」
ハヅキ姉がおかしそうにくすくす笑う。
その隣で、ヒヅキ兄が首を傾げた。
「なにをお願いしてたの?」
「えっとさ――」
「あっ、だめだよ。お願いごとにひとに言ったら、叶わなくなっちゃうから」
「だそうだから」
ハヅキ姉に注意されて、ヒヅキ兄が開きかけたおれの口をてのひらで塞ぐ。無言で深く頷くと、よし、とてのひらが外された。
よかった、危ないところだった。こんなことで叶わなくなるなんて絶対に嫌だからね。
「おい、変なことしてないで、さっさと屋台を見に行こうぜ」
アオイ兄が屋台の通りに顎をしゃくる。
ちょっと引っかかるものはあるけれど、異論はないから、みんなで参道を戻った。
途中で1人2人とすれ違う。いつもは人気のないお社でも、お祭りの時くらいは人が途切れないもののようだ。
「ところでさ、ヒヅキ兄はチャンピオンなのに、普通にこんなところに来て大丈夫なの? もし誰かに気付かれて騒がれたりしたら……」
おれはヒヅキ兄と顔がそっくりで、2歳も年下なのに間違われて勝負を挑まれることが何度かあったから、チャンピオンとして有名になってしまったヒヅキ兄の苦労も少しはわかっている。
今のところ、気付いている人はいないみたいだけど、こんな人混みの中でチャンピオンだってばれたら、大騒ぎになってしまうんじゃ……。
「いつもと全然違う格好だし、大丈夫だとは思うけれど」
「そうだぜ。こーんな地味な顔、ちゃんと覚えてるやつの方が珍しいからな」
「アオイも丸坊主にしたら誰かわからなくなると思うよ」
ヒヅキ兄とアオイ兄の間で火花が散る。
ハヅキ姉の手前、それ以上はなにもしないけれど、本当にすぐ喧嘩するなあ。喧嘩するほど仲がいいってことなのかもしれないけど。
それにしても、ヒヅキ兄が地味な顔ってことは、おれも地味な顔ってことだよね。
別に派手な顔がいいってわけじゃないけど、ちょっとへこむ。
「でも、一応用心はしておこうか」
ヒヅキ兄は少し足を速めて、斜向かいにあるお面屋に向かった。ピカチュウやプリン、ナゾノクサやニョロモなど、愛嬌のある顔のポケモンのお面がたくさんかけられていて、同じくらい愛嬌のある笑みを浮かべたおじさんがいらっしゃいと挨拶をしてくれる。
ヒヅキ兄は迷わずピカチュウのお面をとると、それをつけて無言でおじさんに代金を払った。
ヒヅキ兄、人見知りだから、店員さん相手でも極力目を合わせたくないんだろうな。
「コウ、どう? おそろい」
「ぴーかー」
コウは不満げな鳴き声を上げた。なんでだろう、と思っていると、ヒヅキ兄のお面と自分の顔を交互に指さし、腰に手をあてて胸をそらす。
ヒヅキ兄は少しだけお面をずらして眉を上げた。
「自分の方がずっとかっこいいって?」
「ぴか」
当たり前だろ、とばかりにコウが首を縦に振る。
ヒヅキ兄はわずかに苦笑を浮かべた。
「そうだね」
ヒヅキ兄がコウの頭をわしゃわしゃと撫でると、コウはいたくご満悦そうに目を細めた。
「コウちゃんは本当に負けず嫌いだね」
「誰かさんに似てな」
くすくすと笑うハヅキ姉の隣でアオイ兄が肩を竦ませた。
浴衣姿の男女が提灯の下で並んでいると、不思議とお似合いに見えるらしい。日常から離れた空間と格好のおかげで、肩を並べるアオイ兄とハヅキ姉は夏祭りデートを楽しむカップルみたいだった。
そして、それはおれだけにかけられた幻覚ではないらしく、お面屋のおじさんが含みのある笑みをハヅキ姉たちに向けた。
「そこのカップルも買っていかないかい?」
「違います」「違う」
間髪いれずに2人して否定する。が、おじさんは、またまたー、とからかうように笑みを深くした。
「ほら、このニドラン♂とニドラン♀のお面なんてどうだい?」
「勘弁してください」「勘弁してくれ」
またまた2人して同じ言葉で否定する。実際にカップルではないし、お互いにそういう対象としてはまったく見てないことも知っているけれど、ある意味相性はいいのかもしれない。
おれと違って前提条件を知らないおじさんには、息ぴったりの彼氏彼女に見えるのだろう。仲いいねー、とからから声を立てて笑っている。
その様子に、アオイ兄が諦めたように「もういい」と吐き捨てた。ハヅキ姉も深くため息をつく。
「カップルはともかく、わたしも買おうかな」
ハヅキ姉が手にとったのは、もちろんおすすめされたニドラン♀、ではなく、長年の相棒プリンのお面だった。
ハヅキ姉は代金を払うと、髪型を崩さないよう慎重に頭の横にお面をつけた。
「ぷ〜り」
「うん、おそろい」
ぷりちゃんはふわふわと浮かぶと、目を細めてプリンのお面を撫でた。こっちはハヅキ姉がプリンのお面を選んだことに満足しているらしい。
ぷりちゃんもハヅキ姉も笑顔がふわふわしていて、見ているだけのおれまでふわふわとした気持ちになってくる。
と、くいくいと髪を引っ張られた。
「どうした、ヒカル?」
「ちゅう」
ヒカルはピカチュウのお面を指さした。
どうやら、ヒカルもおそろいがいいらしい。
「わかった。おじさん、ピカチュウのお面をください」
「ぴかちゅ」
「えっ、ヒカルも?」
ヒカルは当然とばかりに頷いた。
ピカチュウがピカチュウのお面をする意味ってあるのかな?
まあ、ヒカルがほしいならいいか。
「おじさん、ピカチュウのお面2つください」
「はい、まいどあり」
代金を払うと、おじさんはおれとヒカルにピカチュウのお面を手渡してくれた。
自分の頭の横にお面をつけてから、ヒカルの頭にも同じようにつけてやる。
ピカチュウの顔の横にもピカチュウの顔があるって、やっぱり変な感じだ。でも、ヒカルはご機嫌な様子で歌まで歌っている。
「ヒカル、楽しい?」
「ぴか」
「そっか。おれもヒカルとおそろいで楽しいよ」
変でもなんでもいいか。ヒカルが嬉しいなら、おれも嬉しい。
おかしいのと嬉しいのとで笑っていると、尻尾を垂らして店先のお面を見上げるルナの姿が目に入った。
「どうした?」
アオイ兄も気付いたらしく、ルナに声をかける。けれど、何故かルナは不機嫌そうに目をそらした。
アオイ兄が怪訝そうにルナが見ていたお面に視線をやる。おれも同じ方を見てみた。
さっき買ったピカチュウやプリンのお面、店のおじさんがハヅキ姉たちに勧めたニドラン♂とニドラン♀のお面の他にも、コダックとかイーブイとかピッピとか、色んなお面が並べられている。
でも、そのなかにブラッキーのお面はない。
もしかして、それで拗ねているのかな。
「アオイ兄、もしかして」
「わかってる。ルナ、お前もつまんねえことを気にすんなよ」
「ぶうう!」
ルナは弾かれたようにアオイ兄を振り仰いで唸った。
確かに子供っぽいかもしれないけど、自分だけないのは寂しいよね。全然つまらないことじゃない。
「ちょっと、アオイ兄! そんな言いかだっ!?」
急に額に衝撃がきて、アオイ兄への抗議を呑み込んでしまう。アオイ兄がでこぴんをしたからだ。
「アオイ兄!」
「お前も面倒くせえな」
アオイ兄は心底面倒そうに頭をかくと、3つ隣の露店に向かっていった。そっちから顔を背けて、ルナは尻尾を何度も地面に打ちつけている。
どうして、夏祭りにきてまで喧嘩なんてするんだろう。アオイ兄とヒヅキ兄の喧嘩はある種のコミュニケーションだからいいとして、ルナやみんなとはもっと楽しめばいいのに。
「ひどいな、アオイ兄」
「同感」
「ぴかちゅぴ」
ヒヅキ兄とコウが同意する。
こういう時の反応は本当にはやいな。
と、ルナが身体の模様を月のように光らせて、おれたちを睨み上げてきた。
喧嘩してても、トレーナーの悪口を言われるのは嫌なんだ。
「ルナ、ごめんね」
もう言うなよ、とばかりにルナは顎をそらして鼻を鳴らした。
アオイ兄のことが本当に好きなんだな。ルナには悪いけど、ますますアオイ兄に文句を言いたくなってきた。
なんて、静かに憤っていると、
「なにやってんだ、お前ら」
いつの間にか、目を眇めてアオイ兄が戻ってきた。
「別になんでもないよ」
唇を尖らせて返すと、アオイ兄はますます眉を顰める。でも、それ以上追及する気にもならなかったのか、おれたちから視線を外して、ルナの前に膝をついた。
「ほら、ルナ。これでいいだろ」
アオイ兄は袖を少しまくって、自分の手首を見せた。そこには金色に光る三日月のブレスレットがつけられている。さっきまではなかったから、そこの露店で買った物だろう。
なんで、わざわざブレスレットなんか買いにいったんだろうと首を捻るけれど、すぐに合点がいった。
ブラッキーはげっこうポケモンだから、月でおそろいなんだ。それに、手首で金のブレスレットが輝くさまは、ブラッキーの身体にある輪っかの模様に少し似ている。
ルナはブレスレットに鼻先を近づけ、アオイ兄を見上げた。その顔はすましたものだったけれど、尻尾は弾むように揺れている。きっと、すごく嬉しいんだろうな。
「アオイって、なんだかんだで優しいよね」
「アオイって、やっぱり気障だよね」
ハヅキ姉とヒヅキ兄が対照的な感想を述べる。
アオイ兄はヒヅキ兄に向かって「おい」と声を荒げるけれど、ヒヅキ兄は「本当のことだろ」といつもの無表情で受け返した。
そうだね。ちょっと気障で優しいのがアオイ兄なんだよね。
そんな当然のことも忘れて怒ってしまうなんて、おれもまだまだだな。