試すは知識
階段を降りきると、そこにはバトルフィールドが広がっていた。その先は一段高くなっていて、本棚とショーケースに保管された化石を背に褐色の女性が立っている。
女性はオレに気付くと、大柄な体格にふさわしい闊達な笑みを見せた。

「いらっしゃい! シッポウ博物館の館長にして、シッポウジムのジムリーダー。それがこのあたし、アロエだよ! アンタの名前は?」

「ミスミです」

そうかい、とアロエさんは笑みを深くした。口の端を上げた顔は自信に満ち溢れているが、決してこちらを侮ってはいない。
タイプ的にも年齢的にもアララギ博士に近そうだ。キダチさん、尻に敷かれてるんだろうな。

「さあて、挑戦者さん。愛情こめて育てたポケモンでどんな戦い方をするのか、研究させてもらうよ!」

アロエさんはエプロンを脱ぎ捨て、バトルフィールドに入った。
それを認め、オレもフィールドに入り、アロエさんと向かい合う。

「使用ポケモンは2体。形式はシングル。ポケモンの交代はジムリーダー、挑戦者ともに認められている。準備はいいかい?」

アロエさんに提示されたルールを反復する。
そのルールでも今回の作戦――というより、ほぼ賭けだが――には問題ないが、1つ懸念事項がある。

「1つだけ、質問してもいいですか?」

「なんだい?」

「もしジムの壁とか天井とかを壊したら、弁償しなきゃだめですか?」

アロエさんは眉を顰めた。

「ジム戦での損傷はポケモンリーグが補償してくれることになってるから、挑戦者に弁償させることはないけど。……まさか、わざと壊すつもりじゃないだろうね?」

「ははは、まさか」

オレの乾いた笑いに、アロエさんはますます疑いの眼差しを深めた。だが、それ以上追及されることもなかった。

「質問はそれだけかい?」

「はい」

「それじゃ、さっそくはじめよう!」

アロエさんがボールを高く投げる。地に着くと同時に姿を現したのは、黒い毛がマントのように身体を覆うハーデリアだ。ヨーテリーの進化系で、面影はあるものの老紳士のような貫禄を感じる顔つきをしている。

1番道路にも棲息していたから見たことはあったが、何度見てもリクがああなる姿は想像できないな。

「まずはシーマ、お前がいってくれ!」

モンスターボールを投げれば、その中からシママのシーマがフィールドに降り立つ。シーマは前脚を上げていななき、鬣を青く光らせた。

気合いは充分だな。

「ハーデリア、“とっしん”」

「蹴りで迎い撃て!」

ハーデリアは風を切る勢いで地を蹴り、まっすぐシーマに向かってくる。
シーマはハーデリアに背を向け、右後脚を振り上げた。突撃してくるハーデリアに、まっすぐ蹄を落とす。

ぶつかり合った衝撃で、互いに少し吹き飛んだ。

シーマは右後脚が地に着くと同時に、今度は左後脚と一緒に蹴りだした。空中で体勢を整えようとしたハーデリアの背を、シーマの脚が撃つ。
悲鳴を上げながらも、ハーデリアは受身をとって地面に落ちた。瞬時に起き上がり、唸り声を上げてシーマを睨み上げる。
鋭い眼光を真っ向から受けて、シーマの鬣が何度も青く瞬いた。シーマがこのバトルを楽しんでいる証拠だ。

「なるほど、“にどげり”か」

どこか愉快そうにアロエさんは呟いた。

「今のでアンタがどんなトレーナーなのか見えてきたよ。ジムの場所がわからなくて迷子になってたって聞いてたけど、こっちの対策はしてたんだね」

「……まあ、一応」

苦虫を噛みながら、オレは頷いた。
いつの間にそんな話まで伝わってんだよ。
それに、気になることがある。“にどげり”は先日のチェレンのアドバイスを受け、特訓の末ようやく習得したかくとうタイプのわざだ。ノーマルタイプのハーデリアには効果抜群のはずなのに、それほどダメージを受けたようには見えない。そんなにレベル差があるのか?

「だけど、詰めが甘いね。ハーデリア、“かみくだく”!」

瞬く間に距離を詰め、ハーデリアがシーマの前脚に噛みつく。シーマは痛みに呻いた。

「シーマ、“でんげきは”!」

噛みつかれながら、シーマは鬣の先から電撃を放った。全身に電撃を受け、ハーデリアが怯む。その隙にシーマはハーデリアの牙から逃れた。

よし、これは効いてる。

「今のうちに“ふみつけ”!」

ハーデリアにシーマの蹄が振り下ろされる。が、ハーデリアは背中でなんなく受け止めた。

背中……?

そうか、思い出した!
アララギ博士から聞いたことがある。
ハーデリアの身体をマントのように覆う体毛は硬く、受けたダメージを減らしてくれるって。

だったら、

「シーマ、ハーデリアの腹を狙って“にどげり”!」

「気が付いたね! ハーデリア、その前に“ハイパーボイス”できめてやりな!」

ハーデリアが部屋中に大きな振動を起こすほどの咆哮を上げる。思わず、オレは両手で耳を塞いだ。
シーマも耳を伏せて耐えながら、右前脚でハーデリアを蹴り上げた。マントのような黒い毛が翻り、ちらと白い部分が見える。そこを狙って、後脚を叩き込んだ。

耳をつんざく咆哮が短い悲鳴に変わる。ハーデリアが地に落ちる。
四肢を地面に投げ出したハーデリアは、起き上がる気配を見せなかった。

「おつかれ」

アロエさんがボールをハーデリアに向ける。赤い光に包まれ、ハーデリアはボールに戻っていった。
シーマが得意げにいななく。いまだに鬣は楽しそうに輝いているが、息が荒い。あれだけ攻撃を受けたら、当然か。

「シーマ、いったんも」

オレはシーマにボールを向けようとして、動きを止めた。闘争心でぎらぎらと輝くシーマの青い瞳が、オレを射抜いたからだ。

まだやらせろ。

その目は雄弁に語っていた。
オレはじっとシーマの様子を窺った。このまま戦わせても、大丈夫なんだろうか。息が上がっていること以外に、目立った不調はなさそうだが。

「わかった、このまま頑張ってくれ」

オレはシーマを信じて、続投させることにした。交代させたら、一生恨まれそうだし。
シーマは満足げに鼻を鳴らし、アロエさんに向き直った。

「あれだけの攻撃を受けてもまだ元気があるなんて、ずいぶんと根性のある子だね。それに、スピードとパワーもある。だが、こんな状況でも勝つ手段を探るのさ!」

アロエさんが放り投げたボールから、ミネズミをぐっと縦に伸ばしたようなポケモンが現れた。ミネズミの進化系、ミルホッグだ。
ミルホッグは赤と黄色のぎょろっとした目でこちらを捉えた。思わず身が竦みそうになる自分を叱咤し、落ち着いてミルホッグを見返す。

いつか聞いた、アララギ博士の説明を思い出す。
確か、ミルホッグは身体の模様を光らせて相手を威嚇し、あの恐ろしい目で暗闇を見通す、だったかな。
薄暗いとはいえ、照明があるここではあまり活かされそうにない生態だ。他にもオレが知らないミルホッグの秘密があるかもしれないが、バトル中によく観察していればいけるはず。

「シーマ、“にどげり”!」

「ミルホッグ、“かたきうち”!」

シーマは一気に距離を詰め、後脚でミルホッグを蹴った。
ミルホッグは左腕で受け流し、たっと地を蹴ったかと思うと、爪で袈裟懸けに切りつけた。

一瞬の静寂が駆け抜ける。

シーマの身体が傾き、どさっと音を立てて倒れた。

「シーマ!」

シーマは起き上がらない。オレの呼びかけに反応もしない。
あれだけ攻撃を受けたのだから、仕方ないのかもしれない。だが、それだけには思えなかった。ミルホッグが使ったわざ、やけに威力があるような気がしてならない。

「教えといてあげるよ。今のわざは“かたきうち”。直前に味方のポケモンが倒れていたら、威力が倍になるのさ」

アロエさんが芯の通った声で解説した。
だから、あの恐ろしい威力なのか。だが、考え方を変えれば、次からは威力が半減するってことでもある。

「シーマ、おつかれさん」

オレは倒れたシーマをボールに戻した。ボールの中でぜいぜいと息をするシーマは負けたことが悔しいらしく、目を怒らせている。
戦闘不能になっても元気だな、こいつ。少しほっとした。

「タージャ、頼んだ」

オレはタージャのボールを投げた。ボールからでたタージャはミルホッグを見上げ、ふんと鼻を鳴らす。

調子はよさそうだ。
さっき思いついた賭けをやってみるか。

「タージャ、“ソーラービーム”!」

「ミルホッグ、“いかりのまえば”!」

タージャは手を上げ、頭上に光を集め始めた。みるみると距離を詰めたミルホッグが腹に大きな前歯を立てる。タージャは痛みに顔を顰めたが、奥歯を噛み締めて耐えた。

「“かたきうち”!」

ミルホッグはタージャの腹から歯を外し、袈裟懸けに引っ掻いた。一瞬よろけるが、なんとか踏みとどまる。
タージャの頭上で光が最大まで溜まる。それに気づいたのか、ミルホッグはさっと距離をとった。

「いけ!」

ミルホッグめがけて、光の束を撃つ。その反動でタージャは後ろに倒れ、“ソーラービーム”の軌道もずれた。ミルホッグを狙っていたはずの光は斜め上に向かい、建物全体が揺れるほどの轟音と爆風を上げて天井が崩れ落ちる。タージャとミルホッグは慌てふためくこともなく、降り注ぐ瓦礫から冷静に逃れた。
天井には大きな穴が空き、夏かと錯覚させるほど眩しい日差しが燦々と差し込む。

アロエさんはからからと声を立てて笑った。

「すごい威力だね。もっとも、その小さな身体には過ぎたものみたいだけど」

アロエさんの言う通りだ。
なんとか覚えた“ソーラービーム”はまだまだ未完成で、威力は申し分ないが狙いがまったく定まらない。タージャの身体が小さすぎて、撃ち出す時の反動に耐えきれないからだ。本来なら、本番で使うようなものじゃない。

「タージャ、“メガドレイン”で態勢を立て直すぞ!」

「ミルホッグ、“いかりのまえば”!」

タージャは“メガドレイン”でミルホッグのHPを吸収しつつ、迫りくる前歯を避けた。少しかすったが、ダメージはほとんどない。
ミルホッグか怒りを込めた前歯でタージャを狙う。タージャは地を滑るような動きでかわしていく。何度もそれを繰り返すうちに、タージャの動きに余裕がでてきた。今まではすんでのところでかわしていたはずの攻撃に、不適な笑みすら浮かべて対応している。

「スピードが上がってる?」

アロエさんが怪訝そうに眉を寄せた。その背後で、ショーケースが照り映える。アロエさんははっとして天井に空いた穴を見上げた。歪に切り取られた青空で目が眩むほどに太陽が輝き、フィールドを明るく照らしている。

「そうか、本当の狙いはこれだったんだね。ツタージャは太陽光をたっぷり浴びると、動きが鋭くなる。あの“ソーラービーム”は天井を破壊して太陽光を取り込み、ツタージャの素早さを上げるためのものだったわけだ。持てる知識をここまで大胆に使えるなんて、なかなか骨のある子じゃないか!」

褒めてもらって恐縮だが、ついさっき手に入れた知識でちょっとした思いつきを試しただけなんだよな。情けないから言わねえけど。
それに、まだ賭けの結果はでていない。

「だったら、“れいとうパンチ”!」

「避けて“つるのムチ”!」

ミルホッグは拳に冷気を纏わせ、タージャに殴りかかった。タージャは身を低くして避け、ミルホッグの股下を潜り抜け背後に回り、“つるのムチ”でミルホッグの後頭部をぶった。ミルホッグは振り返り、再び拳を振り上げる。そして、何度も何度も冷気を纏わせた拳と鋭い蔓の攻防が続く。いや、攻防というより、ほとんどタージャが一方的に攻撃を加えていただけだった。ミルホッグの拳はタージャには当たらない。素早い動きに翻弄されるばかりだ。

このまま勝てるかもしれない。

そう思った時だった。

「ジャ!?」

ミルホッグの拳がタージャの腕に掠った。最初はタージャが油断したせいだと思った。

「タージャ、油断するなよ!」

「タジャ!」

わかっている、とばかりにタージャが応える。だが、ミルホッグの拳が掠る回数は増し、ついには腹に直撃した。タージャはなんとか堪え、蔓でミルホッグの脚を捉えて転ばせた。ミルホッグが体勢を立て直す間に距離をとり、腕や腹についた霜を叩いて落とす。

タージャが油断しているからとか、そんなんじゃない。確実にタージャのスピードが落ちている。
でも、なんでだ。日光は変わらずに降り注いでいるのに……。

その時、冷たい空気が火照った頬を撫でた。

「冷気……!?」

「ご名答! 本来“れいとうパンチ”に相手の素早さを下げる効果はないが、ツタージャは周囲の温度の影響を受けやす種族だからね。連発して周囲の温度を下げれば、もとの素早さくらいには戻せるのさ」

流石は研究者にしてジムリーダー。生半可な知識で太刀打ちできる相手じゃないか。

思わず息を呑んだ時、タージャが肩越しに振り返った。意志の強い緋色の瞳が、オレを射抜く。
そうだな、まだ終わりじゃない。賭けがどうなるかだって、最後までわからねえし。

「タージャ、“こうごうせい”でまずは回復だ!」

「ミルホッグ、“れいとうパンチ”!」

ミルホッグの“れいとうパンチ”が襲う。掠りながらもなんとか避け、タージャは光の中で回復に専念する。
ミルホッグの攻撃は勢いを増していた。タージャの動き捉え、確実に尾の近くを――急所を狙って冷気を込めた拳を撃ち込む。今はなんとか急所は避けているが、結構苦しいな。

「タージャ、距離をとりながら“つるのムチ”!」

タージャは跳躍して大きく距離をとり、蔓でミルホッグを翻弄する。だが、冷気に触れた蔓が凍り、ムチのように撓らなくなると、容易に避けられるようになってしまった。
ミルホッグが蔓の間をかいくぐり、タージャとの距離を詰めていく。タージャはじりじりと後退して距離を稼ぐが、やがてとんと背中が壁に触れた。拳に冷気を纏わせて、ミルホッグが迫る。

その時だった。

タージャの身体の内側から光が放たれた。光は強さを増していき、しだいに輪郭があやふやになっていく。それに惑わされることなくミルホッグは身体を捻り、タージャの急所めがけて拳を突き出した。光が揺らめく。タージャを捉えたはずの拳は壁にめり込んだ。ミルホッグが目を見開く。その背後に、ツタージャよりも細身で目つきの鋭いポケモンが回り込んでいた。

「タージャ、今だ!」

先の凍った“つるのムチ”がミルホッグの脳天に振り下ろされる。ムチではなく鈍器となった蔓に打たれ、ミルホッグは目を回して倒れた。
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