「クア」
「ああ、悪い、アル。大丈夫だ」
ぼんやりとフウロさんが飛び立っていた方を眺めていると、心配そうに手を軽く嘴でつつかれて、オレははっと我に返った。
安心させるようにアルの頭を撫でてやる。クアー、とコアルヒーの頃と変わらないのんびりした調子の鳴き声を聞くと、いつの間にか強張っていた肩から力が抜けていくような気がした。
「せっかく来たんだし、中も少し見ていくか」
「クォン」
アルが頷いたのを認めて、屋上から塔内へと続く螺旋階段を降りていく。まだ昼だが中は夕暮れのように薄暗く、空気もひんやりとしていた。シンプルな外観とは対照的に、階段の手摺や柱には意外にも凝った装飾が施されている。なにかしらの伝説や歴史のある意匠なのかもしれない。
階下には墓碑が並んでおり、ちらほらと墓前で祈りを捧げる人の姿が見える。
アルは1匹でいる時はのんびりして大人しいから心配ないかもしれないが、一応騒がないよう注意しておいた。
階段を降りきり、アルと一緒に墓碑の間を抜けていく。古いものもあれば新しいものもあるが、どれも綺麗に磨かれていて、大切にされていることが見てとれた。
その時、墓碑の陰にヒトモシの姿が見えた。つい眺めていると、アルも気付いて翼を振る。と、ヒトモシはびくりと頭上の炎を揺らして、慌ててどこかに行ってしまった。
「クアー……」
どことなくしょんぼりしたアルの頭をよしよしと撫でる。アルはヒトモシのユラと仲がいいから、同じヒトモシに怖がられたことが悲しかったのかもしれない。
そういえば、この辺りはヒトモシの棲息地だったな。
てことは、ユラもここに棲んでいたかもしれないのか。
「ユラ」
ベルトにつけているボールの開閉ボタンを押してユラを外に出す。不思議そうな顔で見上げてくるユラを抱き上げ、辺りの風景を見せてやった。
「この辺、見覚えあるか? もしかすると、お前の故郷かもしれねえんだけど」
「……シィ」
少し自信はなさげだが、どことなく見覚えがあるのかユラは小さく頷いた。
「じゃあ、ゆっくり見て回るか」
フードの中にユラを入れ、部屋中を見て回りながら下に続く階段を目指す。
背後ではアルとユラが話しているらしく、「クアクア」と潜めてはいるが明るい声と「シィ」と控えめな相槌が聞こえてきた。あまり覚えてなくても感じるものはあるんだろう。ユラの声はいつもより弾んでいるような気がした。
さらに階段を降りると、さっきの場所と同じように墓碑が並んでいた。ちらほらと墓参りをする人もいる。あまりにも代わり映えしない光景にループでもしているのかと、昔見たホラー映画の設定を思い出してしまうくらいだ。きっとこの塔の中はどこもこんな感じなんだろう。静謐で、寂しい空気に満ちている。
だが、その中に見知った顔を見つけて、オレは目を見開いた。
「……アマネ?」
相棒のコジョンドとともに墓前で祈る友人の背中に声をかける。
ゆっくりと振り返ったアマネもオレの姿を認めて目を丸くした。
「ミスミ君? 久しぶりね」
「……ああ」
まさかこんなところで会うとは思わず、ずいぶんと呆けた声で頷いてしまった。
アルは翼を上げて、ユラは小さく会釈をしてアマネとコジョンドのメイリンに挨拶をする。アマネはにこっと微笑を返してくれたが、メイリンは興味なさげに鼻を鳴らすだけだった。
「もしかして、さっき鐘を鳴らしたのはミスミ君?」
「ああ」
「やっぱり。言われてみると、ミスミ君っぽい音だった」
アマネの声音は軽い。きっととくに深い意味はないんだろう。
それでも、さっきフウロさんに言われたことを思い出し、苦虫を噛んだ顔になってしまう。
「殻に籠ってるような音だって言われたけどな」
「ああ、ミスミ君って意外と慎重なとこあるものね」
あっさり肯定されて、さらに顔を顰める。
うっかり睨むような目になってしまったが、アマネは気にせず笑うだけだった。
「そんなに気にすることないんじゃない? 慎重なのは悪いことじゃないし。それに、ポジティブに考えれば伸び代があるってことでしょ?」
「……それは、ポジティブすぎないか?」
「いいのよ、そのくらいで」
そこまではっきりきっぱり言われると、そういうもののような気がしてくる。
最近、あの時のことを思い出すことが多くて、過敏になっていたのかもしれない。
「あたしとしては、綺麗に鳴らしてもらえて嬉しいけどね。あたしの名前だから」
「アマネの名前?」
意味がわからず目を瞬かせる。
アマネはすっと真上を指差し、夏空のような瞳を天に向けた。
「あたしの名前、天上に響く鐘の音、でアマネなの。父がここの鐘の音を気に入っててね。多くの祈りを乗せて、遠く、空まで届く優しい音だからって」
さざ波のように空に広がった鐘の音を思い出す。
籠っているなんて言われたけど、あの鐘の音は綺麗で、優しくて、鳴らす人が違えばどこまでも響き渡っていくような気がした。
「言われてみると、なんかアマネらしい気がするな」
「そう? ありがとう。……ところで、アルちゃん、進化したのね。見違えちゃった」
そうだよー、と返事をするようにアルは翼を上げた。
すると、メイリンが鋭い眼光でアルとユラを一瞥した。突然睨まれユラは怯えたようにオレの頭の後ろに引っ込むが、アルはどうしたのー? とばかりに首を傾げてメイリンを見上げる。呆れたようにメイリンの切れ長の目が眇められ、アマネがおかしそうに笑った。
「今ならアルちゃんともいい勝負ができそう?」
「ジョフ」
「こら、鼻で笑わない。前より強くなってるのは、メイリンもわかるでしょ?」
つんと顔を背けるメイリンにアマネは苦笑する。その様子にいつもと変わったところはない。さっきからアマネはいつも通りだ。
……けど、ここにいるってことは、そういうことだよな。
なるべくさりげなくアマネの前にある墓を見やる。墓碑にはユエという名前と5年前の日付が彫られていた。結構前に亡くなってるんだな。
気にならないと言えば嘘になる。かといって、「お前のポケモン死んだのか?」なんて直球で訊けるわけねえし……。
「気になる? その子のこと」
ふいに図星をつかれ、びくりと肩が跳ねた。
そろそろときまり悪く顔を上げる。アマネはさっきまで祈っていた墓碑を見つめて、眩しげに目を細めていた。
「ここにはね、メイリンの父親のコジョンドが眠ってるの。あたしの父のパートナーでね、あたしにとってももう一人の父親のような存在だったわ」
懐かしむように優しい声音でアマネは語りはじめた。
アマネのポケモンじゃなくて、アマネの父親のポケモンだったのか。メイリンの父親ってことは、きっとすごく強いコジョンドだったんだろうな。
「あたしの父はユエと――このコジョンドと一緒にチャンピオンになるのが夢で、何度もポケモンリーグに挑戦してたの。今のチャンピオンと戦ったこともあるのよ。あと一歩のところで負けちゃったけど、それでも諦めずに夢を追いかけ続けてた。……でも、5年前にユエが病気で亡くなっちゃって、父さんの夢は永遠に叶わなくなっちゃった。あの時の父さんは見てられなかったわ」
今はもう立ち直って元気に道場を開いているけどね、と明るく付け加えるが、きっと当時は大変だったんだろうな。一瞬だけて見せたアマネの悲しげな横顔は、それを雄弁に語っていた。
同時にわかったこともある。父親とそのパートナーについて語るアマネの眩しげな目や、静かにまっすぐに自分の父親の墓碑を見つめるメイリンの瞳はきっと――
「アマネもメイリンも、親父さんたちのことを尊敬してるんだな」
「ええ、二人とも自慢の父なの」
アマネは、そして意外にもメイリンも素直に頷き、凛とした笑みを見せた。
アマネとメイリンの強さの根源にあるのは、きっと立派な父親の背中なんだろう。
「ねえ、ミスミくんにも夢はある?」
奇しくもそれは昨日Nにもされた質問だった。けれど、Nにされた時のような苛立ちが湧き上がることはもちろんなく、オレは穏やかな心持ちではっきりと頷いた。
「ああ、ある」
「どんな夢?」
「オレはポケモンと一緒に世界中を旅したい」
アマネの親父さんと比べたらちっぽけな夢だ。叶えたからといって、誰かに認められるようなものじゃない。
けど、それがオレの小さい頃からの夢だ。父さんと母さんの旅の話を寝物語に聴いていた頃から憧れていたものだ。
「そっか。じゃあ、今は夢を叶えてる真っ最中なんだ」
アマネは口元に笑みを浮かべて、父親のことを語っていた時のように眩しそうに目を細めた。
「ミスミ君はすごいわね」
「そうか?」
真正面から褒められると照れ臭くて、どうにもぶっきらぼうな返しになってしまう。
だが、アマネは気にしたふうもなく、ますます笑みを深めるだけだった。
「ねえ、せっかくだから、ポケモンバトルしない? 結局、前会った時はできなかったし」
「いいけど、絶対にアマネの方が強いと思うぞ」
「そりゃ、簡単に勝たせてあげるつもりはないけど、ミスミ君となら面白いバトルできそうな気がするから」
「お手柔らかに頼む」
バトルと聞いて心なしかきりっとしたアルと身構えるユラをつれ、アマネと一緒にタワーオブヘブンの外に出る。
その後のバトルの結果は言うまでもないだろう。