対極をなす境界人
奥でNが待っていることを思い出し、気は乗らないがアララギ博士たちと別れて先に進む。
しばらく行くと、今度は上り階段があった。それを上って道なりに進んでいく。そうして開けた場所に出ると、そこでNが待ち受けていた。

「来たね」

「嫌々な」

Nの後ろにはポケモンが4匹控えていた。トゲのついた卵形のポケモンと2つの歯車が組み合わさったようなポケモンははじめて見るが、掌に乗るくらい小さな黄色い虫ポケモンと岩のようなポケモンは道中でも見た覚えがある。確か、虫ポケモンの方がバチュルで岩ポケモンの方がガントルだ。
初見の2匹をポケモン図鑑で確認したところ、卵形のポケモンはテッシード、歯車のようなポケモンはギアル――博士が調査していたポケモンだ――という名前らしい。恐らく全員この洞穴に棲息しているポケモンだろう。

オレを試すために、わざわざ仲間にしたんだろうか。
これが終わったら、“解放”してしまうんだろうか。

頭を過った考えに微妙な気持ちになる。怒りといえるほどの激情ではないし、悲しみと呼べるほどの感傷でもない。ただ隙間風に吹かれたような心のまま顔を上げると、Nがポケモン図鑑を睨んでいた。

「キミはまだそんなものを持っているのか」

「いいだろ、べつに。お前がどう思おうと、オレには必要なものなんだよ」

「それではダメなんだ。多くの価値観が交じり合い、世界は灰色になっていく……。ボクにはそれが許せない。ポケモンと人間を区分し、白黒はっきりわける。そうしてこそポケモンは完全な存在になれるんだ。そう! これこそがボクの夢! 叶えるべき夢なんだ!」

大仰に腕を広げて語られるのは、飽き飽きするくらいいつもと変わらない主張。
オレにとってポケモン図鑑はポケモンを知るために必要なものだし、人間とポケモンが分断された世界なんて絶対に嫌だ。
そんなこと、こいつももうわかってるだろうに、なんでオレに夢を語るんだ。
ポケモンが好きなことはわかった。こいつなりにポケモンが傷付かない世界を望んでいることも。けど、それ以外のことはやっぱり理解できそうにない。

「それで、それがオレとなんの関係があるんだよ」

「ミスミ! キミにも夢はあるのか?」

「頼むからお前はオレの話を聞け! あーもー、何度目だこのやりとり!」

「キミはやはり理解力に乏しいようだ。何度も言っているはずだよ。ボクの理想を実現するためにはキミを、キミたちの関係が紡ぐ数式を知る必要があると」

いや、だから、それがなんでだよって訊いてるんだが。
……まあ、いい。どうせ堂々巡りになるだけだ。話を進めてやる。

オレの夢、か。
そんなもの、一つしかない。
小さい頃から憧れていたもの。
一度は失ったけど、また胸に灯ったもの。
他人からしてみれば、些細な夢かもしれない。こいつみたいに世界を変えるようなものじゃないし、叶えたからってチェレンの夢みたいに誰からも認められるようになるわけじゃない。
それでも、オレにとっては大切な夢だ。

だからこそ、こいつらの勝手な尺度で評価されるかと思うと、腹が立った。

「夢はある! けど、お前に教える気はねえ!」

Nを睨み、半ば吐き捨てるように叫ぶ。
だが、Nは怯んだ様子もなく、ふっと口の端を上げただけだった。

「夢がある、それは素晴らしい。……キミの夢がどれほどか、勝負で確かめるよ」

すっとNが手を前に出すと、滑るようにガントルが前に出てきた。グリが期待で爛々と目を輝かせる。
やっぱりバトルすることになるのか。そっちのがわかりやすくていいけど。

行ってこい、とうずうずしてるグリの背を押す。
ぱっと満面の笑みを浮かべて、グリも前にでてガントルと対峙した。

「“てっぺき”」

「グリ、“つるぎのまい”!」

ガントルが身体を丸め、オレンジ色の結晶を光らせる。防御力を上げたようだ。
その間にグリは“つるぎのまい”を舞って攻撃力を上げる。結局プラマイゼロだが、マイナスよりましだ。

「“メタルクロー”で一気に決めてやれ!」

「“ロックブラスト”」

大きな鋼の爪を鋭く光らせて、グリは地を蹴った。ガントルが撃ち出した石の弾丸がいくつも襲ってくるが、すべて鋼の爪やドリルのような角で薙ぎ払っていく。だが、ガントルも移動しながら“ロックブラスト”を撃ってくるせいでなかなか思うように近付けない。
ガントルの移動は独特だった。身体の向きを変えないまま前後左右に滑るように動き回っていて隙がない。純粋なスピードだけならグリの方が速いが、絶え間なく石の弾丸が霰のように襲ってくるせいでどうしても足を止められた。

「だったら、石を打ち返してガントルにあててやれ!」

「リュウズ!」

意気揚々と声を上げ、グリは腕を横薙ぎに払って迫りくる石の弾丸をガントルに向かって打ち返す。最初は避けられたが、すぐにコツを掴んだのか三度目でガントルの頭に命中した。それだけではたいしたダメージにならないが、隙は生じる。その一瞬でグリは距離を詰めた。

「今だ、“メタルクロー”!」

「“てっぺき”で受け止めるんだ!」

振り上げた鋼の爪をグリはガントルに振り下ろす。Nが指示した二度目の“てっぺき”は間に合わなかった。
だが、ガントルの硬い身体はグリの“メタルクロー”を受け切った。大ダメージを与えられたらしく一瞬ふらつきはしたが、すぐに踏ん張ってグリを押し返そうとする。また“てっぺき”で防御力を上げたらしくガントルのオレンジ色の結晶が光って、面白そうにグリの口の端が上がった。

「もう一回、“メタルクロー”!」

「“いわくだき”」

もう一度、グリが腕を振り上げる。ガントルも片足を持ち上げた。それが勢いよく振り下ろされ、つるはしで岩盤を叩いたような硬い音が辺りに響く。
耳障りな残響が収まった時、どさりと音を立てて倒れたのはガントルだった。
グリがどうだとばかりに振り返る。「よくやった!」と褒めてやれば、腕をぶんぶんと振って応えた。

だが、

「すまない。キミを傷つけてしまった」

Nが近付いてきて、グリは目を丸くして腕を下ろした。オレもぽかんとしながら、なりゆきを見守る。
Nはガントルの前に膝をつくと、その硬い岩の身体をそっと撫でた。すると、地面に倒れ伏してぴくりとも動かなくなったはずのガントルがゆっくりと起き上がった。
前にライモンの遊園地で戦った時と同じだ。あの時もどういう仕組みか――なにか道具を使ったのか、それともポケモンの声が聞こえるくらいだし他にも不思議な力を持っているのか――Nが撫でただけで、戦闘不能になったシンボラーが自力で飛べるくらいには回復していた。
ガントルも戦闘不能だったのが嘘のようにふらつきもせずしっかりと3本の脚で立っている。Nが「大丈夫かい?」と尋ねると、オレンジ色の結晶を光らせて応えた。

「アリガトウ。でも、キミをこれ以上傷付けたくはない。あとはゆっくり休んでいたまえ」

表情が見えないながらもどこか心配そうにガントルはNを見上げたが、優しげな微笑を向けられると、すっと後ろに下がっていった。

回復はしたが、これ以上ガントルを戦闘にだす気はないらしい。ただ、倒れたポケモンを放っておけなかっただけのようだ。
普通のトレーナーならすぐに回復してやれなくてもモンスターボールの中で休ませてやることができるが、こいつはモンスターボールを憎んでいるからな。そんなことはできないし、したくないんだろう。

それにしても、こいつ、やっぱりポケモンと話してる時だけはまともだな。
その10分の1でもいいから、人間ともまともにコミュニケーションをとってくれないだろうか。

そんな微妙な気持ちを抱えつつも、Nの行動自体は理解できるものだったからオレはなにも言わずに待ってやった。
が、グリは待ち切れなかったらしい。はやくバトルの続きをしようとばかりにNの背中を軽くつついた。
Nが少し目を見張って振り返る。ドリュドリュ、とグリが急かすように鳴くと、灰青の瞳がじっと興味深そうにグリを見つめた。

「キミはどうしてポケモン勝負が好きなんだい? 自分も相手も傷付くのに」

「ドリュ」

「楽しい? 何故?」

「リュウズ!」

「楽しいものは楽しいから、か。単純な答えほど難解なものはないね」

グリらしい回答にNは考え込むように目を伏せる。
だが、それはほんの数秒で、すぐに顔を上げて今度は灰青の瞳をオレに寄越してきた。

「ミスミ! キミはポケモン勝負はお互いが理解するためと信じているかい?」

グリとの会話からその質問になるのは若干飛躍してないか、と思わなくはないが、これまでNに問われてきたことと比べると、まだ理解の範疇ではあった。
だから、オレも今回は真面目に考えてやる。

オレにとってポケモンバトルは楽しいからするもので、お互いを理解するためとかそんな難しいことを考えたことはない。
けど、言われてみると、ポケモンバトルを通して相手のトレーナーの性格やポケモンとの関係が見えてくることは確かにある。
例えば連れているポケモンでなんとなくその人の出身地や旅をしてきた場所がわかるし――他人から貰ったり交換したりして手に入れた場合もあるから絶対ではないが――、可愛いポケモンばかり連れているトレーナーは可愛いものが好きなんだろうとか、同じタイプのポケモンだけを揃えているトレーナーは強い拘りがあるんだろうとか、相手の趣味やポリシーが窺えることもある。戦い方にも個々人の性格や経験がでるだろう。
それに、ポケモンバトルは一種のコミュニケーションだ。オレとシーマがバトルして仲良くなれたように、ポケモンバトルを通じて理解し合えるようになることもあるんじゃないだろうか。

「そういう側面もあるんじゃねえか」

「そうか。なら、ボクの全身から溢れるトモダチへのラブ! 見せてあげるよ」

これは笑うところだろうか。
いや、言った本人はものすごく真剣な顔をしてるんだが。

Nは踵を返してガントルたちのもとに戻り、テッシードの名前を呼んだ。ぴょんっと跳ねて横になったテッシードが地面を転がって前に出る。やっとか、とばかりにグリが鋼の爪を打ち鳴らした。

ポケモンたちと同じように、オレとNも睨み合う。
それが再開の合図だった。

「“かわらわり”!」

「“やどりぎのタネ”」

テシードは硬そうな身体をしているからはがねタイプかいわタイプだろうと判断し、その2つに効果抜群のかくとうタイプの技“かわらわり”を指示する。
グリは勢いよく駆け出し、テッシードに向かっていった。テッシードが飛ばした小さな種が腹についても構わず、大きく振り上げ卵形の身体に鋭く手刀を落とす。打撃音とともに硬質な悲鳴が上がり、確かな手応えを感じた。

瞬間、テッシードの全身から生えた緑のトゲが弾けるように飛び出た。

呻くような声を上げて、グリが飛び退る。その腹には緑のトゲがいくつも刺さっていた。
グリが煩わしそうに手でトゲを払う。あまり深くは刺さっていなかったらしく、トゲは少し払っただけですぐにとれていった。
その間にNが“てっぺき”を指示し、テッシードの光沢が増す。同時に抜けたトゲが元通りに生え変わった。

今のトゲはなにかの技か……?
それとも触れた相手にダメージを与える系の特性か?

ダメージ自体はたいしたことなさそうだが、警戒はした方がよさそうだな。

「だったら、“じならし”」

「“ギガドレイン”」

テッシードから距離をとったまま、グリが地面を踏み鳴らす。テッシードは地面に刺さって身体を固定することで転倒を回避したが、振動でダメージは負っていた。
だが、“かわらわり”ほどきいてはいない。多分、いわかはがねタイプに加えてくさタイプも入っているんだろう。今一つではないが、効果抜群でもなさそうだった。
しかも、“ギガドレイン”と“やどりぎのたね”でグリの体力を吸いとって回復されてしまう。こっちも効果抜群ではないとはいえ、何度もされると地味にきつかった。
それでもトゲで攻撃のたびにダメージを負わされるよりもましだと“じならし”を続けさせる。だが、状況は一向によくならず、泥仕合に陥っていた。

焦れたようにグリが視線を寄越してくる。
そうだな、このまま続けたってしょうがねえ。
一か八か、勝負にでるか。

「よし、いけ! “かわらわり”だ!」

意気揚々と腕を振り上げてグリが飛び出す。
“ギガドレイン”で体力を吸いとられても構わず一気に距離を詰め、硬い鋼の爪をテッシードの頭頂に叩き込んだ。甲高い音と硬質な悲鳴とともに緑のトゲが弾け飛ぶ。真正面からミサイルのようなトゲを受けたグリは短く呻いたが、ぐっと踏ん張り、駄目押しとばかりにもう一度“かわらわり”でテッシードの頭を打った。
すべてのトゲが抜け落ち、テッシードが倒れる。まるで最後の力を振り絞るようにNの足元まで転がると、靴の先にあたって止まった。

「トモダチが傷付く……。これがポケモン勝負だよね」

テッシードを抱き上げ、痛ましげにNが呟く。
なんでだろうな。その顔を見ていると、もやもやしたものが胸の内側に湧き上がってくる。

「……もっと楽しめばいいのにな」

ぽつりと独りごちた呟きは小さすぎて、テッシードを回復させるのに集中していたNにはきっと届かなかった。

ポケモンバトルを、ポケモンと一緒にいることをもっと楽しんでみればいいのに。

今のあいつが、母を奪われ巣に閉じ籠っていた頃のリクに、傷付き心を閉ざしていた頃のユラに、怒りに支配されていた頃のオレに重なって、胸がざわついた。
この感情はなんなんだろう。
悔しいのか、悲しいのか、もどかしいのか、腹立たしいのか。

どうすればいいのか、自分がなにをしたいのかわからないまま、ただ立ち尽くす。
と、どすどすとグリが近付いてきた。その腕が振り上げられて、勢いよく背中を叩かれる。突然の痛みと衝撃にオレは悲鳴を上げた。

「グリ! 急になにすんだ!」

「リュ!」

グリは笑顔で右腕を振り上げた。
もしかして、元気づけようとしてくれているんだろうか。
ものすごく背中が痛いけど。

「ありがとな」

苦笑して、グリの頭を軽く小突いてやる。
と、グリの身体が後ろ向きに倒れて尻餅をついた。すぐに起き上がるが、明らかにふらついている。連戦で体力に限界がきたか。

「大丈夫か? もうボールに戻って休め」

「リュウズ」

平気だ、とでも言うようにグリは胸を叩く。
こいつはポケモンバトルが好きすぎて、たまに無茶しようとするんだよな。トレーナーのオレがちゃんと見ててやらねえと。

「無理するなよ。バトルはいつでもできるんだから、今はゆっくり休んでろ」

ボールを取り出してグリに向けると、渋々といった様子でボールの中に戻っていった。

グリのモンスターボールを仕舞い、Nに向き直る。
あっちもテッシードの回復を終えたらしく、またトゲが生え揃ったテッシードをガントルに預け、痛みを堪えるような顔で振り返った。

ギアル、とNが手を前にだす。すると、歯車のようなポケモンが後ろから飛び出てきた。
こいつもいわかはがねタイプっぽいな。光沢があるし、どちらかといえばはがねタイプだろうか。
それなら、“ニトロチャージ”と“にどげり”を覚えているシーマをだすか、と考えていると、カタカタと腰につけたモンスターボールが1つ震えだした。

「アル?」

なにかを主張するように揺れるのは、コアルヒーのアルのボールだった。
バトルにでたいんだろうか。
電気に満ちたこの洞穴はアルの肌に合わないみたいだったから、道中プラズマ団とバトルした時もアルだけはボールの外に出さなかったが、それがお気に召さなかったのかもしれない。ホドモエジムでヤーコンさんに勝ってから、アルもポケモンバトルにはまってるからな。

「いけるか?」

ボール越しにアルに問う。
アルはボールの中で元気よく羽ばたいて答えた。

「よし! じゃあ、いけ! アル!」

「クアッ!」

勢いよく投げたボールが地面にあたって開き、アルが飛び出てくる。空中でアルが翼を広げると、弾けるように水滴が飛ぶ。辺りに満ちた青い光に煌めき、その水滴はアルと一緒に地面に落ちていった。
ずいぶんと気合いが入っているらしい。アルらしい見事な水芸だった。
どう? とばかりにアルが振り返る。口の端を上げて頷いてやると、にっこりと笑ってギアルに向き直った。

「“チャージビーム”」

「“みずのはどう”」

アルがぱたぱたと羽ばたき、振動する水の塊をギアルにぶつける。それでもギアルは怯むことなく二枚の歯車を回し、電撃を放ってきた。
反射的にアルが全身から水を噴き出す。その水の壁を突っ切って、電撃はまっすぐアルの翼にあたった。アルが悲鳴を上げる。まだ全身から水滴が出ているから、まるで泣いているみたいだった。

「アル、大丈夫か? “はねやすめ”で回復だ」

「クアッ」

アルは翼を畳んで身体を休め、体力回復に専念する。また“チャージビーム”が飛んできたが、今度は近くの岩陰に隠れてやりすごした。
“はねやすめ”中はひこうタイプでなくなっているからさっきよりましとはいえ、みずタイプも持つアルには効果抜群だからな。なるべくあたりたくはなかった。

“はねやすめ”で回復はできるとはいえ、このままじゃジリ貧だ。“チャージビーム”は撃つたびにかなりの確率で特攻を上げるからな。長期戦には持ち込めない。だが、短期決戦でいこうにも相手に大ダメージを与える術もなかった。

諦めてシーマと交換すべきだろうか。
けど、アルの瞳にはまだ闘志が燃えている。なるべくなら、このままアルに勝たせてやりたかった。
そのためには、一か八か、賭けにでるしかないか。

「アル、威力が弱まってもいいからとにかくたくさん“みずのはどう”をあててくれ!」

「クアー!」

了解、とばかりに鳴いて、アルは小さな“みずのはどう”をギアル目掛けて続けざまに何発も放つ。
一発一発の威力は本来の半分もない。このまま受け続ければ少しずつ体力が削られて倒れてしまうかもしれないが、少しくらいならどうということもないだろう。

だから油断したのか、はたまた困惑か、躊躇いか、Nは最初なにもしなかった。ギアルも歯車の身体を回転させて“みずのはどう”の威力を削ぐだけで、わざわざ避けようとはしない。
こっちとしては好機だった。とにかく“みずのはどう”をあて続ける。

正確には数えていないが、10は越えたところで流石にギアルも煩わしそうに唸り声のようなものを漏らした。
それに促されたのか、意を決したようにNが口を開く。

「終わりにしよう。“チャージビーム”」

Nの指示に従い、ギアルが歯車を回して電気を溜める。アルはぐっと身を低くして身構えた。
数秒で溜まりきった電気がビームとなって放たれる。だが、それはアルではなくギアルの真上に向かっていった。
電撃を受けた天井が崩落し、ギアルに瓦礫が降り注ぐ。Nが心配そうに呼ぶが、それに応えることなくギアルは固い壁に自分の身体をぶつけにいった。

「混乱……」

呆然とNか呟く。
それがオレの狙いだった。
“みずのはどう”はたまに相手を混乱させることがある。だいたい3割と低い確率だから、混乱させられたらラッキー程度のものだが。

なら、母数を増やしてみたらどうだ?
威力が低くても、何度も“みずのはどう”で頭を揺らしてやれば、混乱しやすくなるんじゃねえか?

確証はなかった。それでも賭けてみたかった。
その結果が、今この状況だ。

「今のうちに決めるぞ! “ねっとう”!」

アルが羽ばたき、勢いよく煮えたぎった水を発射する。それは自分で自分を傷付けるギアルを呑み込んだ。白い湯気がギアルから立ち上る。
そして湯気が晴れた瞬間、かたんと硬い音を立ててギアルが地面に倒れ伏した。
アルが目を輝かせて振り返る。よくやった、と褒めてやれば、嬉しそうに羽ばたいた。

それに目を細めてから、Nに視線を向ける。
Nは息苦しそうに胸を押さえ、虚空を睨んでいた。

「どうしてだ? トレーナーであることを苦しく思うまま戦っていても勝てないのか……。クッ! こんなことで理想を追究できるか! 伝説のポケモンと……トモダチになれるものか……!」

それは聞いているこっちまで苦しくなるような、嘆きと焦りと憤りだった。
その声に呼応するようにギアルが立ち上がる。ふらふらの身体で、それでも強い意志を瞳に宿して。
誰もが息を呑む。
ギアルは確かに戦闘不能になったはずだった。
ギアルの2つの歯車が回る。鋼色に光り輝くエネルギーが生まれる。恐ろしいほどに美しいそれは、金切り声とともに暴発した。

滅茶苦茶な軌道を描いて、鋼色の光線が迫ってくる。反射的に右に跳ぶ。オレもアルも寸でのところで回避できたが、光線がすぐ横の地面を深く抉っていって、肝を冷やした。

瞬間、足元が崩れた。

「あっ……」

一瞬の浮遊感にやばいと思った時には遅かった。
咄嗟に伸ばした手が空を切り、なす術もなく身体が真っ逆さまに落ちていく。

そこからは、やけにスローモーションに感じられた。
大きな穴が真上に見える。ぱらぱらと青く輝く石が降ってくる。

「クアアア!」

声がした。洞穴中に響きそうなくらい必死な叫び声が。
そして、水色の小さな影が視界に飛び込んできた。

アル……!?

アルが落ちてくる……いや、飛び降りてくる。オレを追いかけて。
けど、アルはトラウマで飛べない。このままじゃ、アルまで大変なことになる。
自分の無力さに声にならない声が漏れる。今さらになって恐怖で身が竦んだ。

その時、アルの身体が光に包まれた。どんどん輪郭が曖昧になって、白い光が膨らんでいく。
そして、限界まで膨張した光が弾けた時、そこにいたのは小さなコアルヒーではなく、大きな白い翼を広げた美しい鳥ポケモンだった。

一気に距離が縮まって、アルの嘴がオレのバッグのベルトを掴む。脇に食い込んだショルダーベルトに全体重がかかって苦しかったが、がむしゃらにバッグを掴んでなんとか身体を支えた。
真剣な顔でアルが羽ばたく。
落ちていくだけだった身体が上へ上へと昇っていく。
青い石が浮かぶ洞穴の中をアルが確かに飛んでいた。

夢でも見ている気分だった。
だって、アルはずっと飛ぶのを怖がっていた。はじめて出会った時――ボルトロスとトルネロスが起こした嵐に巻き込まれ墜落した時からずっと。
“そらのとぶ”の技マシンを見せた時だって、あんなに嫌がっていたのに。
なんの躊躇いもなく飛び降りて、進化して、飛んだ。
オレを助けるために。

目の奥が熱くなる
視界が滲みそうになるのを堪えて、オレはじっと空を飛ぶアルの姿を見つめた。

やがて、天井に空いた穴をくぐって、地面に下ろされた。
安堵したのか、疲れたのか、脱力してアルも地面に倒れ込む。
その首にオレは抱きついた。

「……アル! ……アル!」

言葉がでてこなかった。
この気持ちをどう言い表せばいいのかわからない。
アルはただ「クォーン」とのんびりした声で鳴いて、大きな翼で優しくオレの背を擦ってくれた。

「これが、キミたちの数式か……」

呆然とした声に顔を上げると、Nがギアルを抱き上げて、じっとオレたちを見下ろしていた。

すっかり忘れていたが、まだNとのバトルの途中だった。
正直、もう続ける気分じゃないが。

「まだやる気か?」

「いや、もういい。これ以上続けても解は同じだ。それに、邪魔が入った」

「邪魔?」

少し白けたようにNが横道の方を見やる。
怪訝に思ってオレもそっちに目を向けると、見慣れた人影が2つ近付いてきていた。

「ミスミ! もうすぐフキヨセシティだね」

「ベルは耳がいいのね。あんな遠くからでも、ミスミの声が聞こえるなんて」

場違いなくらい明るい笑顔でベルが駆け寄ってきて、その少し後ろをフタチマルのミーちゃんと微笑ましそうな目をしたアララギ博士がついてくる。
邪魔って、もしかしてあの2人のことか?

「……って、この大穴どうしたの!? アルちゃんも進化してるし!?」

オレの後ろにぽっかりと空いた穴に気付いて、ベルが目を丸くする。アララギ博士も心配するような目をオレに向けてきた。

「……ポケモンバトルの最中に、ちょっとな」

どこから説明すべきか迷った結果、面倒になって穴が空いた直接的な原因だけ答えると、ベルは「やっぱりポケモンってすごいんだねえ」とぽかんとし、アララギ博士は「怪我はなさそうでよかったわ」と苦笑した。

「で、ミスミ。そちらのトレーナーはどなた?」

「ああ、えっと、あいつは……」

Nのこともどこまで説明すべきか迷いながら一瞥し、息を呑む。
Nはポケモン図鑑を見る時と同じ、憎悪の籠った目でアララギ博士を睨み付けていた。

「……アララギか。トレーナーとポケモンの関係に疑問も持たず、人間の勝手なルールでポケモンを分類し、ポケモンという存在を理解したつもりになる……。そんなポケモン図鑑が許せないのだが、アナタはなにを考えているんだ?」

「あら……ずいぶんと嫌われているようね」

アララギ博士は静かにNの視線を受け止めて、肩を竦めた。

「だけど、あなたの意見も一つの考え方なら、私の願うところも同じく一つの考え方よ。ポケモンとどう付き合うべきか、それは一人一人が考え、決めればいいんじゃない?」

まっすぐにNを見返し、アララギ博士は諭すように語りかける。
だが、Nはより苦々しげに歯を食いしばった。

「それでは間違った考えの人間がポケモンを苦しめる……。そんな愚かな世界をボクは見過ごすわけにはいかない!」

吐き捨てるように宣言し、Nはフキヨセに続く方へと去っていく。Nのポケモンたちも当たり前のようにNについていった。
小さくなっていく背を、なんとも言えない気持ちで見送る。
アララギ博士もNの背を見つめ、苦笑を浮かべた。

「……まあ、いきなりわかってもらえるとは思わないけど、少しずつでいいからみんなの気持ちを知ってほしいな」

まるで頑是無い子供を見守る大人のような口調でアララギ博士が呟く。
出会い頭にいきなり非難されたのに、よく怒らないな。こういう時、アララギ博士は大人なんだと実感する。

「さてと……もう少しデータを集めるかなー。私たちとポケモンがもっと仲良くなるためにも相手のことを知らないとね!」

ぐっと伸びをして、アララギ博士は切り替えるように明るく言った。

「ミスミはこのままフキヨセに行くの?」

「そのつもりですけど」

ちら、とフキヨセに続く方の道を見やる。
あっちにはNがいるはずだ。うっかりまた鉢合わせたら面倒だし、少し間を置くか。

「ちょっと休んでからにします」

「その方がいいかもしれないわね。少し疲れた顔してるわ。……それじゃ、私たちはもう行くわね。ベル!」

「はい!」

アララギ博士に呼ばれ、はっと我に返ったようにベルが返事をする。
苦笑してアララギ博士が歩き出すと、ベルは「じゃあ、またね! ミスミ」と手を振り、慌ててついていった。その隣にミーちゃんが並ぶ。
遠ざかっていく3つの背中を眺め、オレは深々とため息をついた。

「疲れた……」

今日はいろんなことがありすぎた。
思わずその場に座り込んで項垂れると、進化して長くなった首を伸ばして心配そうにアルが顔を覗き込んできた。その顔を撫で、我慢できずふわふわな羽毛に顔を埋める。アルはのんきな声で鳴いただけで、されるがままになっていた。

……ああ、癒される。

「ありがとな、色々と」

Nのこととか、Nのために力を振り絞っていたポケモンたちのこととか、頭に浮かんでくることはたくさんある。
けど、今はなにも考えたくなくて、アルの調子外れな歌を聴きながら目を閉じた。


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