「………。」
目が覚めれば、いつもと変わらない…今ではもうすっかり見慣れた天井が映っていた。
しかし少しだけ布団の位置が違っていて、私は昨日のことを思い出そうとする。
「…………あ。」
そうだ……高杉が来ていたんだ。
艶子ちゃんに高杉が三味線で恋歌を歌って大爆笑して……ダメだ、そのあとは曖昧だ。
私が布団の位置を帰るはずがないので、多分高杉が居る前で寝こけてしまったのだろう。
「……あ〜〜〜。
ごめん、高杉。」
変な寝言は言っていなかっただろうか。
よだれは?
そもそも汗をかいていたはずだ。
今更になって後悔の念が押し寄せてきて、頭を抱える。
しかしそれも少しの間だけで、
「…もう、いいや。今度会った時に謝ろう。」
切り替えが早いのが私のいいところだと思う。
*
余程疲れていたのか、旅人じゃありえないほど日が高く昇った空の下、もう数時間で夕方じゃないか…とひとりごちる。
こんなに遅く起きたのも随分となかった…というより、初めてではないだろうか。
私は体が鈍っているのを感じながらも、布団をしまいながら一人ぶつぶつと語り物を暗唱していた。
日課の一つである語り物の暗唱。芸を売っている身としては、このぐらいしないと商売にならない。語っているあいだに度忘れなど、客も興ざめだ。
ちょうどいい時間帯に昼食(兼朝食)を済ませ、私は艶子ちゃんの部屋におじゃましてみる。
しかし、今日は確か三味線の稽古でこの時間帯はいないのか、と思い出してほかの部屋に遊びに行くことにした。
部屋をいくつか回るが、遊女格の人はまだ寝ているか出かけたかしていて、話し相手は見つかりそうになかった。
(次の部屋は春霞さんか…。彼女は起きてるかな?)
「春霞さん、いらっしゃいますか?」
「へぇ。その声はみやびはん?
入ってくらはい。」
「失礼します。」
春霞さんは、香を焚いていた。
甘い花の匂いが部屋に充満していて、彼女の部屋だということを証明している。
「どないしたんどすか、こないな時間に。」
「実は、少し暇になってしまって。
洗濯をしようとしても、雑用をこなそうとしても厄介払いで…。」
「ほほ、そら、太夫にそないなことさせられまへんよって。
ほいで、ここに逃げてきたわけどすな。」
さすが、理由を言っただけで話の意図を察してくれる春霞さんは、話のテンポがいい。
私は苦笑いして、彼女の挿している簪をみた。
「その簪、素敵ですね。
旦那様からの贈り物ですか?」
春霞さんは途端に、恋する乙女のように頬を染める。
照れ臭そうにかんざしを触りながらも、幸せそうに微笑んだ。
「へぇ。
あんひとは甲斐性はない、お金もないけんど…それでもわてのために、大事な貯金を叩いてくれはって。」
「大事に思われているんですね。」
私も目を細めて彼女を見ると、彼女も可愛く頷いた。
そうしてしばらく、春霞さんと世間話をしてお昼どきを過ごした。
*
ところ変わって私は、再び自室に戻ってきた。
春霞さんを見習ってお香でも付けてみようかと思ったが、やはり故郷長州の蜜柑の香りが好きなので止めておこうとそこで思考を打止めた。
ふと、隣の部屋の、廊下側の襖が空いた音が聞こえた。
私は少し声を張ってとなりの住民に呼びかける。
「あらおかえり、艶子ちゃん。」
「あ、みやびさん。ただいま戻りましたっ!」
襖が空き、今日も元気な艶子ちゃんの顔が飛び込んだ。
「うん、元気があってよろしい。」
私はまだ発展途上の艶子ちゃんの頭に手を置くと、彼女はへらりと締りのない顔で微笑んだ。
こういうところが母性をくすぐるというか…守ってあげたくなってしまう。
魔性…魔性よ、このこ。
「ところで、ミサンガはどう?」
「あ!もうすぐなんですけど…あれどこまで伸ばせばいいんですか?」
「んー、翔太くんの手首一回りの長さの七割前後ぐらい?
短い分には不格好で済むけど、あんまり長すぎると手から抜けちゃうから注意してね。」
このぐらいです、と、おずおずと見せてきた艶子ちゃんのミサンガ。
売れるぐらいにはちゃんとできていて、半ば感心しつつもアドバイスを送る。
「ん、そろそろ結んでもいいとおもう。
六本の糸を三色二束で分けて、それぞれ三つ編みしてね。」
「はい。」
私の隣で黙々と…真剣に三つ編みをする艶子ちゃん。
流石に、女の子だけあって三つ編みは上手だ。
……。
「あ・・・結局私のミサンガ、誰にあげよう。」
「自分で付ければいいんじゃないですか?」
「それだとさみしいじゃない。
もう数年経てば三十路よ?私もまだ若いことしたいわ〜。」
「みやびさんはまだまだ綺麗じゃないですか。」
こころの底から出てきたため息に、艶子ちゃんが苦笑いをこぼしたのがわかった。
・・・はあ・・・・・・若いって、いいな。
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