一番初めに枡屋さんが私を指名したとき、彼と私は視線を合わせてお互いに「「・・・あ」」とつぶやいてしまった。
彼は、京に来て二日目の早朝に散歩で出会った色男だったからだ。
太夫の段取りとして、初夜は太夫は商品のように黙っているのが作法なのだが、お互い何かを感じ取り、その日のうちに打ち解けてしまったというわけだ。
藍屋さんにバレればきっと怒られるので、内密に、だ。
彼も私もお互いに演じ合っている身、何か繋がるものがあったのだろう。
私は太夫の顔を、彼は商人の顔を剥ぎ取って、辻みやび個人として、枡屋喜右衛門個人として・・・お互いの素性も知らぬまま友人になる。
過去も、裏の顔も、何一つ事情がわからなくてもいい。そこにいてお酒があって、話ができるならそれでいい。そんな距離が、お互い気が休まる位置だ。
それゆえにお互い敬語も、階級も、何もかも忘れて古くから友のように毎回語らうのだ。下手な嘘をつく必要も、相手を疑う必要もない。それがすごく心地よい。
彼の職業を本格的に知ることになったのは、彼が通い始めて四、五回目のお座敷の時。
そこで私は、思わぬ再開を果たすことになったのだ。
「前に私の出身が長州って話、したわよね。
この前幼い頃の夢を見て、知り合いが出てきたわ。」
「へぇ、どんな?」
「やることが突拍子もないやつだったわ。
それにいたずら好きでね。逃げ足も早かったから、大人たちも手を焼いていたわ。
しばらく会ってないけど、今頃三十にもなるのに女に迷惑なんかかけてないかしら。」
「そらすごい。わての知人にもそんな人がおるで。
計画するときは綿密なんに、引き時は颯爽と去ってく。」
「そう!まさにそんな奴よ。」
「ちなみにそん人は今、島原の遊女にお世話になっとって・・・」
思わず酒を飲む手が止まった。
「遊女にかくまってもらっているの!?
どうしようもないやつね、五郎ちゃんに似て。」
けしからんやつだな、そいつ。五郎ちゃんのような奴が二人といるとは。
きっと惚れた遊女もいつか死ぬのではないかと心配で気が気ではないだろう。
「せやな・・・・・・・・・ん?」
「なによ。」
「五郎ちゃん?」
「五郎ちゃん。
小五郎だから、五郎ちゃんよ。」
「ちなみに姓は?」
「和田。」
「・・・なんや、たまげた・・・。」
枡屋さんは一度止めた手を再び動かして、酒を口に含んだ。
私は不思議に思いつつもまあいいかと盃を空にする。
そこで、吾郎ちゃんについて思い出したことがあった。
「・・・ああ、ちがうわ。途中で養子入りしたから、今は確か『桂小五郎』だったかしら。」
「ぶっ!!」
「うわっ!!!
きったないわね、吹くなら私の方向かないで。」
「けほっ、ごほぉ・・・っ・・・!!」
「あーもう、大丈夫?」
私は本気で変な器官に入ったらしい枡屋さんの背中をしばらくさすっていた。
彼が落ち着いた頃、深呼吸を繰り返してやっと口を開いた。
「すんまへん。
桂小五郎て・・・長州浪士の、桂でっか?」
「あぁ、うん。
今はそんなことしているみたいね。」
「・・・・・・・・・はぁーーー・・・。」
「なに、どうしたの。」
「会いたいどすか・・・」
「え?」
「会いたいどすか、桂はんに。」
「まあ、そりゃあね。」
枡屋さんは少し疲れたふうに微笑んだ。
「ほんなら、あわしたる。」
聞くところによると、枡屋さんの仕事は表では商人だが、裏の顔は過ごしづらくなった京での攘夷志士の連絡役のようなもので、とてつもなく責任の重い立場だった。
炭薪商の家に養子として迎えられ、そこを継いだ表向きはただの商人だが、島原などの様々な職種の人も情報も行き交う場所で慎重に倒幕の計画を進めているそうだ。
そして、その会合がもうすぐこの場所で行われるとのこと。そこに、桂小五郎も参加すること。
「すんまへん、深追い御法度な雰囲気やったのに。」
自分から漏らしてしもうた、と項垂れる彼の背中を、私はバシンと強めに叩いた。
「何言ってんのよ、これでより一層気兼ねなく酒が飲めるじゃない!」
「はは、そうどすな。」
そこまで話していたところで、襖が開いた。
数は四人、浪士たちだ。
「な!枡屋、お前何故遊女を追い出さない。
これは大事な会合で・・・」
「すんまへん、このお方が桂はんの知人だそうで。
それに、こん人も長州の方どす。」
枡屋さんがそういうと、彼らは一番後ろについてきている一人に一斉に目を向けた。
視線の先には、顔立ちのいい男性。昔から美形だったが、大人になると色気も追加されるらしい。
10年ぶりの再会となった吾郎ちゃんは、私を見て首を傾げだ。
「誰だい枡屋殿、その女子(おなご)は。
僕はこんな綺麗な遊女と知り合いになった覚えはないが…。」
その言葉に、少しだけ口元がひきつる。なに、その口調。優男かい?
それに随分いいご身分じゃないの。私は太夫の顔を作って綺麗に頭を下げると、色気のある声で声をかけた。
「お会いしとうございました。―――五郎ちゃん。」
「・・・・・・お前・・・みやびか?」
「はい、みやびでございます。
私の事をお忘れになるなど、殺生というものではないですか?」
「というかお前随分雰囲気変わったな。
まさか遊女になっているとは思わなかったぞ。」
「まあ、いろいろございまして。お陰様で中々人気な太夫になりました。
そういうあなたもね、小五郎さん…もう少し近くでお顔を見せて?」
「あ、ああ・・・。」
なんの警戒心もなく近づく五郎ちゃん。
隣の枡屋さんもニコニコ見ていた。
そして、私の隣に腰掛けようと屈んだ瞬間、
ガッ!!
「・・・・・・っ!!!」
頬を殴った。利き手グーで、思いっきり。
私は左に思い切り倒れた五郎ちゃんとは逆にゆらりと立ちあがる。
「・・・いい身分じゃない、ご、ろ、う、ちゃーん。」
「遊女に手を出して、すっかり不抜けたのかしら?
それとも私の言ったこと忘れちゃった?」
「・・・!!
お、覚えている、覚えてます!!」
「へえ、なら言ってみなさいな。」
「け、怪我をして帰ってこない、危険なことには首を突っ込まない・・・!!」
「覚えてるじゃない、褒めてあげるわ。
でもまだわかってないようだから言ってあげるわ。あなたの職業は何?」
「すまん!だが男としてやらねばならぬこと・・・」
「そんなこと聞いてないわよ、馬鹿なの?
私の質問に答えなさい。二度も言わないわよ。」
「じょ、攘夷浪士です・・・。」
「私の言ったことは?」
「怪我をしない、危険なことには首を突っ込まない」
「はい、復唱」
「お、おいお前ら、見ていないで助けろ!!」
「お、おい女!桂さんをはな」
「外野は黙ってて!!」
「「「は、はい!!」」」
*
言いたいことを全て言い切った私は、すっきりした思いで枡屋さんの隣に座り直した。
島原に来る旦那の中でも一、二を争うぐらい顔立ちが良くなった五郎ちゃんは、モテるのをいいことに口調と物腰を柔らかくしたそうだ。
きっと本当の目的はそっちの方が晋ちゃんと釣り合いが取れて、会談などにも都合がいいからとかだろう。
いい加減辛抱強く黙っていた周りに頭を下げる。
「ごめんなさい枡屋さん、皆さん。
五郎ちゃんの顔を見たらつい、我慢できなくなっちゃって。」
形だけでも可愛い笑顔を繕う。
だが、みんな苦笑いだ。
「ええどす。
あんさんを怒らせたらあかんことは充分理解できた。」
「なに、怒らせなけりゃいいのよ。ね?」
「・・・ああ、そうだな。」
五郎ちゃんは遠くを見ていた。しかし私は悪くない。
「・・・ほんま、あんさんは不思議な力がある。
あんさんになら、すべてを委ねてもええような・・・そんなもんがある。
だから桂はんもつい面倒見てもらいたくなるんやないどすか?」
「私はあんたらのおねえちゃんでもお母さんでもないわよ。」
「こんな姉さん、わても欲しかった。
桂はんが羨ましいわ。」
「言っておくが、お前にはやらないぞ。」
「あんたのでもないって言ってるでしょ!
私の弟は晋ちゃんただひとりよ。」
ベシン、と、昔のように頭を叩く。
この感じがなんとも懐かしくて、嬉しかった。
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