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私がこの事務所の存在を知ったのは、決して何かの運命的な導きでもなければ、そこの従業員と劇的な出会いをした結果でもない。
端的に言えば、その外見からして、果たして商売で金銭が回っているかも疑わしい出で立ちのテナント式物件の探偵事務所で働く、宣伝部の努力の賜物と言えるのではないだろうか。
ようするに、チラシを見たのだ。

「探偵・調査のご依頼はどんな些細なことでもお気軽に!」

駅前のフェンス沿いにそびえ立つ、等間隔に設置されている電柱に貼ってあった一枚の紙きれを視界に捉えた私は、どういうわけか目を吸い付けられるように歩を緩めていた。
目に鮮やかに飛び込んできた、そこに描かれた生首だけの奇抜な髪型をしたポップな少年のイラストは、何かのキャラクターだろうか?キャラクターの横の吹き出しには、いかにも探偵事務所らしい常套句がどでかく、しかしどこかぐったりとくたびれて踊っていた。このご時世にデジタル文字ではない傍目にもそこそこ上手いと言わしめる、手書きの文字で記されていたそのチラシに近づいてみて、それがはじめてコピーではなく生の原稿だと気がつく。ベタベタと四隅をガムテープで固定され、雨に振られてインクが滲んでいる様が年季の入った電信柱に嫌にマッチしていた。
醸し出される手作り感は、普通ならばその事務所にとってマイナスイメージである胡散臭さ(ついでに貧乏臭さ)へと繋がりそうなものだけれど、そのチラシはすみからすみまで、何故だかとても…その、カラフルだったのだ。厳かな探偵事務所と言うより、幼稚園のお遊戯会のお知らせのような見た目に、気が抜けたというか、あくまで好意的に表現するなら親しみを持った私は、これまた吹き出しの下にパステル色のペンで彩りよく書かれた住所や電話番号といった所在情報を、気がついたら携帯のメモ帳機能を立ち上げて手早く記憶していた。初めて生で見る実在する探偵事務所の存在に、好奇心を刺激されたのかもしれない。いくらか胡散臭いけど。
そして、ささいかどうかはさて置いて、ひとつの「探偵・調査」の依頼をそっと携えて、事務所の門を叩くに至ったのだ。

至ったのだったはずなのだけれど…。

「ねえ、そこの女子高生くん。この事態、いったい君はどう責任を取ってくれるつもりなのかなあ」

初めて赴いたノンフィクションのその事務所の内装は、建物の古びた外見に比べて非常に小綺麗だった。仕事用と見受けられる、部屋の角に置かれた事務用デスクには、乱雑にダンボールや書類らしき束がとっ散らかっていて、そのスペースだけを切り取れば傍目にも無造作だ。けれど、それも仕事をこなした末に”そう”なったのなら致し方ないかと言えるほどほどさと言える。むしろここの探偵さんは仕事熱心なのだなあと意気込みを感じて、個人的には好印象でもある蕪雑さだった。
四面ある壁の一面は、天井に届く本棚でびっしりと埋め尽くされている。そこに片付けられた本の数々も、本棚だと言うのに縦に平積みに置かれていたり上下が逆さまに蔵本されていたりと一貫性の無さが目立った。もしかしなくても、この部屋の主は整理整頓からなる四文字の行為が苦手なのではなかろうか、と探偵事務所で探偵の真似事じみたことをしているのは、ただ今現在、この現状に対する一種の現実逃避以外の何ものでもないのかもしれない。

「責任、と言われましても…」

室内の真ん中には、インテリアのお手本のようなシック調の木のローテーブルがあった。客人を招く仕事上の性質からそれを挟むように二人掛けのソファがふたつ、対面して配置されている。そのソファ、扉から手前側の客人用であろう黒革の貼ったソファに、なぜか私は……正座をしてかしこまっている、のだ。いや、これは縮こまっていると言うべきだろうか。ソファの下には正座をするために脱いだパンプスがぽつんと存在感を消して、だがしかし確かに存在している。
どうせ正座をするなら床に接して低いところから失礼すべきであると思うのだけど、そのチクハグ具合が私がここに初めて足を踏み入れた、さらには客人であるという事実を辛うじて主張しているように感じた。

「…事務所の扉、確か横の壁に準備中の立て札をしてたと思うんだけど。準備中ってつまり営業時間外ってことね」
「えっと…それは」
「常識的に考えてそんな札があったら扉を開けようとは考えないはずだよ。それとも君は営業終了後のスーパーでもづかづかと入っていけちゃう図太い精神を所有してるの?お客様根性なの?」

有無を言わせるスキを挟むことなく雄弁に語っているのは、私が座るソファの反対側、正面に置いてある同じく黒革の、ただしこちらとは違い少しとうが立ったようにくすんだ色をしたソファにどかりと腕を組んで、滲み出す威圧さを抑えようともせずに座る一人の男性だった。
年の頃は、この状態では直視も出来ないので定かではないけれど、パッと見て三十路を超えるかどうか、と悩むところ。夕刻を回った時間だからか顎に少しばかりの無精髭が伸びていて、それだけならおじさんと言う呼び名の似合う風体だ。しかし、顔面の容姿そのものからは正直若々しくも見えたし、さっぱり年齢を読み取れない。年の分からない顔って実際にあるんだなあと、ひとり思い掛けず世の中の広さを噛み締めた。

「君、話聞いてる?」
「ひっ、あ、はい!」

眉を神妙に顰めてさらに威圧され、私は殊更に肩を寄せて縮み上がる。二十代であれ三十代であれもっと上であろうと、年上の成人男性にこうして尋問じみた行為をされるのはうら若い女子として素直に怖かった。
しかし、このまま押し黙ったままでもいられず。

「ええと、まず、外の立て札は無かったというか…地面に落ちてて、開いてるのかどうかが分からなかった、です」
「…そう、それは失礼したよ」
「あ、いえ」
「でも、分からなかったのなら、やっぱりノックでもして確認を取るっていう段階を踏むのが正しいマナーだよね。それを怠った以上、君の非は覆らないよ」
「おっしゃるとおりです…」

年齢も、むしろ名前も分からない目の前の御仁からの問い詰めは終わりそうにない。
ああ、どうしてきちんと立てかかってないんだ!立て札のくせに!営業時間くらい書いててくれ!見当違いの怒りをこちらまで覚えそうだ。準備中と分かれば、私も日を改めるくらいのなけなしの常識は持ち合わせているつもりだった。だからこそ、この失態が悲しい。

…それにしても、この男性。話を伺い見るにここの従業員で間違いなさそうだけれど、なんだろうか、違和感がひどい。探偵と言うのはスーツを着ているかロングコートをはためかせている古典的な印象を持っていた中で、どういうわけか彼がカジュアルシャツにダボついたパーカーを重ね着した、若者然とした服装をしているせいかもしれない。年が異様に若く見える要因もそのせいな気もするし。とりあえず社会人が仕事をこなす時の格好では決してないが、営業時間外である以上は私服なだけかも知れないしなんとも言い切れなかった。
とは言え…そもそも、この人も年下の少女をここまで怒気の篭るイライラとした声で問い詰める必要もないのだ。ノックもせずに開けてしまったのはこちらのミスであり彼はごもっともな発言をしているまでだけど、それに対して大人の余裕を持って「ごめんね、今日の営業は終了しました」と笑顔でやんわりと帰宅を促すのも一種の接客業のマナーではなかろうか。
…と、だかしかし。そんな風にあちら側を非難する発言も、この場ではそれこそお客様根性丸出しの見当違いな言い返しになってしまうのだった。
何故なら。

「で、君が唐突に扉を開けたせいで逃げ出しちゃったあの小鳥。捜索依頼を受けてからようやく見つけ出した手乗り文鳥だったわけだけど。名前はアヤコちゃん。女の子。」
「………」
「この責任、どう取ってくれるんだい、君?」
「うううぅうぅ〜……」

好奇心は猫を殺すらしい。わりとまるっと、えらいことに、なってしまった。





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