君の秘密は腹の中に(けも耳系)

1

自分を追い込むのは好きだったし、体を鍛えることも好きだった。
仕事も天職だと思っていた。

警護の仕事で大きなミスを犯した。
幸い大事だけは免れたが、それでも責任は取らなければならない。

左遷は決まっていた。一族の人間からの侮蔑の視線にももう慣れた。
ドーベルマンを先祖にもつ、自分の一族は国家の、特に警察組織に入るものが多かった。
その中でのミスだ。

父親には勘当同然で既に連絡を絶たれている。
友人は皆同業か、近い仕事についていた。

まあ、仕方が無いという諦めの気持ちだった。

職場で荷物の整理をしていると、上司に気分転換に駅前のカフェテリアに行く様にと言われる。
情けなのだろうか。けれど、身長190センチ近い男が女性の好む店に行ったところで悪目立ちするだけだろう。

けれど、上司はとにかく行ってこいの一点張りで諦めてそこに向かう。

案内されたのはテラス席で、一人珈琲をすする。
すると、テーブルに影ができる。

目の前の椅子に座って当たり前の様にカフェラテを頼んでいるのは学生時代の知人のイノリだった。
相変わらず、飄々としているが、着ているスーツを見ても持ち物を見ても彼が今何をして暮らしているのかは分からなかった。

昔からそういうところがあるやつだった。
といっても学生時代大して仲が良かった訳では無いのだ。

イノリは周りからキツネを先祖に持っているのだろうと言われていたが実際のところはよく分からない。
退化してしまったのだろう耳は見たことが無かったし、キツネ特有のふさふさとした尻尾を外に出していることも無かった。
それに、イノリ自身が自分がキツネであると言っているのは聞いたことが無かった。

だから、彼が実際どんな出自なのかは良くは知らない。

ただ、耳も無いのに、よく、彼の周りには人が集まっていた。
そんなイノリが相変わらずの目を細めた笑顔で俺の前に座っていた。

「相変わらず、鍛えてるみたいですねえ。
まず姿勢が良すぎる。」

相変わらずの表情のまま言われた言葉は褒められているのか、けなされているのか。
恐らく後者なのだろう。

失敗をして、左遷が確定している俺にはぴったりの言葉なのかもしれない。

「あれ?もしかして聞かされてないんですかあ?」

イノリが素っ頓狂な声を上げる。

「シノさん、明日から俺と一緒に情報部のお仕事するんですが。」

情報部、その言葉に思わず息を詰める。
その部署名は所謂通称で、要は特高の事だった。
特別高等警察、一昔前は無辜の市民を国の為にならないと逮捕していた組織だが、今はテロリスト等から国家を守っているらしい。
その実内情は知らされてはいない為分からない。

「左遷という話じゃ……。」
「まあ、島流しみたいなもんですよ。」

殆どが地味な内偵ですしね。とイノリが笑う。



配属された先はイノリの言った通り特高で、俺は基本的に内勤で書類整理ばかりしていた。
最初は左遷では無いのではと思った気持ちは一瞬でしぼんだ。

自業自得なのだ。
与えられた仕事をこなす日々は昔とそれほど変わらない。

イノリはここへ顔を出したり出さなかったりだ。
忙しい様で顔を出してもすぐにどこかへ出かけていた。
友人関係ですらないのだから、雑談なんてしたことはない。

ただ、淡々と職務をこなすしかないのだ。

前にイノリが顔を出してから、恐らく1ヶ月ほど経っただろうか。
何か大型の内偵でも入っているのだろう。気にしない様にしていたら、深夜に近い時間になってひょっこりイノリが顔を出した。

丁度室内には誰もおらず、俺一人だった。

顔色が酷い。青白くなった顔で「シノ久しぶり。」と笑う。
それから、イノリは目を見開いた。

彼がキツネだと言われていたのはその顔の作りが主な理由だった。
細いツリ目が特徴の顔は目を開くと幾分柔和な印象だ。

「イノリ?」

いつもとの様子の違いに思わず名前を呼ぶ。
それが引き金だったのか、それとも限界だったのかは分からないが、イノリはずるずると座り込む。

「ちょっと、ミスった。」

そこで初めてイノリの着ているジャケットの下が血で濡れていることに気が付いた。

「おい、大丈夫か。」

しゃがみ込むと、手を取られた。

「見た目ほど酷くはないんだ。
だからちょっとこのまま……。」

イノリは俺の手を握ったまま目を閉じた。

「おい!」
「んー。ちょっと寝不足なだけだから。」

ぼんやりとした話方でイノリは言う。
うつらうつらとしているのが分かる。

やがて本当に寝てしまったイノリのを見て、シャツのボタンを外すと、見た目ほど酷いもなにも、見た目通り酷い傷を負っていて、慌てて病院へ駆け込むことになった。

病院へ連れて行こうとするまで何度か手を離そうとしたのだが、がっちりと掴まれて振りほどくことはできなかった。
いつまでも、いつまでも手の感触が残っている気がした。

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