風が強く吹き荒んでいる。空気の波がうねり、轟き、烈しい音を辺りに響かせている。風に嬲られた木々が騒々しい。
小屋の造りが頑丈なのか、深更から荒れている風に壊れる気配はない。板目の隙間から入り込んでくるわずかな風が、着物から露出している肌を切り付け悪寒が走る。

《まだ寅四つだ》
「知ってる」

一人でいるには少し広すぎるであろう座敷に、それこそ一人で背筋を伸ばし居住まいを正したまま静かに坐している。小屋の中にいるというのに、静かに吐く息は恐ろしく白い。まだ春が浅いのだと思っていると、唐突に背中が熱を帯びた。人と背中を合わせているような心地よい温度に目を閉じる。

《待つか》
「ああ、待つ」

背中の温度の持ち主が問いかける言葉に、短く答える。冷たい空気に石を投じたように、たった一言は小屋の中を揺らした。風がなおも吹きつけている。
目を開くと、そこには目を閉じる前と何一つ変わらない風景が広がっていた。淋しく、孤独な空間。家人が一人しかいないから当然ではある。自分で小さな作業小屋を掘っ建て、普段はそこで寝食を済ませているという、陽気な祖父の姿を脳裏に描いた。それから、厳しい修行の為、何か月の間もずっと家を空けている明朗快活な姉の姿を。二人とはあまりにも対照的な性格の自分に思わず目を伏せた。考えても詮のないことだとは分かっている。

「――――風が、止んだ」

先程まで荒れ狂っていた風の音が急に聞こえなくなったことを不審に思い、天井を見上げた。実に突如として止んだ風が嵐の前触れではないかと勘繰るが、外の様子を確認するつもりが特にないため、何を考えても全て思考のままに終わってしまう。

《卯の一つだ》

再び声がして小屋の中全体の温度が上がるのを感じた。

「行こう」

立ち上がると、床板がぎしりと低い音をたてた。一気に広くなった視界に立ちくらみがする。風が再び吹き始めた。
囲炉裏を迂回して板戸の前に立つ。目の前で暗い木の板が振るえている。一瞬、不吉な予感がして扉を開けることを躊躇った。例え里の起床時間が早くとも、この小屋に来る人は存在しないはずだから、扉を開けることで何かが起るはずもないのだと思いなおし、手をかけてゆっくりと横に引く。
風が一気に流れ込んできた。着物の裾や髪をさらって、小屋の中をひとしきり暴れ回る。明けてきた空が白く広がっている。

「――開けたな」
「!!?」

足元から這い上がってくるような気持ちの悪い男の声に鳥肌が浮きたつ。体の正面から衝撃を受けて後ろへ倒れる。視界の端にちらついた菜の花色の炎が大きく揺れ、体が床に叩きつけられると同時に霞のように散った。小屋の中の気温がぐっと下がり、起き上がろうと床に手をついたところで真上から圧し掛かる重さに息が詰まる。

「な、ぜ貴様が……っ」

眉を寄せると、頭の上から「誰でも良かったんだよ」という言葉と共に、何か錐のように先の尖ったものが降ってきた。反応する間もなく、ぶつりと水気のある音をたててそれは瞼を突き破った。一瞬で右目が熱を孕み、喉から音のない悲鳴が迸る。くるりと眼球の周囲を回るようにそれが回され、頭の奥でぶちぶちと酷く嫌な音がした。生理的拒否反応で涙が浮かび、滲んでいた視界が急に暗転する。
右手を握りこんで力を入れようとするが、痛みと怒りが暴れてとても集中できない。
それが出ると同時に、男の手におそらくは自分のと思われる眼球が握られているのを左の視界にとらえて吐き気を催す。

「へひゃ、ふひひひ!!」

男は下卑た笑い声をあげた。全身で本能的な危険を感じる。男を野放しにしていては里が危険に晒されると直感し、ありったけの理性と気力を呼び起こして右手を握りこんだ。頭の上で菜の花色の炎が灯ると、一瞬で一匹の狐の形になり、男に飛びかかると小屋の中の温度が一気に上がった。

「焔狐!!」
《海魔、貴様血迷ったか!》

男は転がるように小屋の隅に逃げる。尋常じゃない量の血と涙が溢れる右目を押さえながら、漸く立ち上がる。

「こ、これで全部だ」
「――?」

何を言っているのかと左目を眇めて焦点を定める。男の手には小振りの葛篭があり、丁度それを開けようを手をかけているところだった。それを見た途端、先程から続いている悪寒が倍増して、男に向かって足を踏み出すが、平衡感覚が掴めずに膝を折る。
ばたん、と大きな音をたてて小屋の中に何人もの里人が入ってきた。風が流れ込んできて、小屋全体が大きく揺れる。

「桔梗、大丈夫か!?」

視界の端に見慣れた白い着物の裾がよぎり、両肩を大きな手に抱かれる。その手の温かさに安堵して無意識のうちに止めていた呼吸を再開する。

「あいつ――!!」

姿は見えないが、語調からして怒っているのだと推察し、その言葉に顔をあげて男の方を見ると、男は人々が手にした武器を体中に突き刺され、なおも狂ったように笑っていた。



風が、止んだ。

音が、消えた。


「――――天堂地獄――――」


どくん、と心臓の止まる音が聞こえた気がした。


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