Nightmare Crisis

03、聖母の首

 施設の中には簡易的な礼拝堂が準備してあって、薄暗い照明の中に佇む聖母の像は薄く微笑みを称えており、処女マリアの純潔の象徴でもある百合の花が飾られていた。流石にパイプオルガンまでは用意できないので、代わりにと安っぽいオルガンが準備されていたのはちょっとアレだが、教会や、高校に設備されているような礼拝堂の雰囲気はよく出ていると思う。

 そしてそんな空間には似つかわしくない派手なギャルや、チャラい男子生徒なんかの姿がそこにあるのは全くどうかしているとも思うのだが……そういえば、上原と揉めかけた会津と北山、それとはまた別に行動を共にしている不良連中の姿が見当たらなかった。

 チラ、と見渡してみてもやはりいない。

 まあ、あいつらがこんな行事ごとに参加している事そのものが上原にとっては不思議だったのだ。途中いなくなってしまう事ぐらい珍しいとも何とも思わない。視線を戻す途中、暁の隣で祈りを捧げる梓が視界に入った。艶やかな黒髪を垂らし、聖書を膝元に広げ、両手を合わせ目を伏せて。本当にため息が出そうになる程綺麗な姿だった。

 慈愛に満ちたその憂いを帯びた表情、まさしくキリストを産み落とした聖母様のようであり侵し難い神々しさと、そして高尚な純潔を纏っている。あまりジロジロ見ているのを悟られないようにさっと視線を戻しつつ、上原は前を向いた。何だか斜め後ろくらいで、静寂の中でうっすらと響くシャカシャカとした音が耳に入ったので音のする方を見やると案の定、泉水がいた。

 泉水はヘッドホンから漏れる音楽に気付いているのか、いや或いは気にもしていないのか、ぼおーっとした顔のままで正面を見ている。

『そしてあなたたちは自分の息子や、娘の肉を食べるようになる――』

 聖書の一句を読み上げるのは、理事長のおばちゃんだった。この人は喋る時に何ペチャペチャと水音を響かせるので聞いていると何だか胃の辺りがムズムズする。

『……人肉食というのは、もっともタブー視されている行いですね。えー……例えば極限状態に置かれたとして、食料は一切ない。あるのは人間の遺体ばかりだとしたらどうします? それを食べて生き延びるか否か……』

 今ふと気付いたのだが、この聖典とされている聖書にはやたらとカニバリズムの描写が多いのである。飢餓に耐え切れず自分の子どもを殺して食う親の話とか――、案外とえぐい。

『私でしたらば、そうですねぇ……何としてでも生きたいと思い、きっとそれを口にするのではないかと思いますね。聖体拝領だと思って、きっと咀嚼するでしょう。それはキリストの血であり肉であり、彼の与えてくれた思し召しだと言い聞かせて……』

 上原はぼーっとそんな話を聞きながら、それから何故か梓の事を考えた。梓ならどうするだろう。というか、あの兄妹ならば。

 あいつらは何だか、お互いの身体を切って与えあっていそうだな。そしてそれを喜んで口にしていそうだ。容易く想像できた。

――ああ、けど……

 梓になら食べられていいかもしれないな、俺の身体……余す事無く食い尽くしてもらいたい。そうすれば、彼女の一部となれるわけだ。流れる血液となり、或いは肉となり。いいな、そういうの――ずっと一緒にいられるって……、

 長い長い話から解放されて、小休憩が挟まれた。夕飯まで、自由時間との事で皆それぞれ好きに散らばっていた。

 ロビーでたむろって話し合っている連中、部屋でトランプやらウノやらで盛り上がっている連中、隠れてこっそり煙草を吹かす連中、カップル同士でいちゃつく者。日の暮れた山奥は、人工の光が差さないのもあってか一際暗く感じられた。窓の外の景色を見つめながら上原は、周りの話には加わらずにぼーっとしていた。

「え、そんで上原喧嘩売ったの? 北山に」
「厳密には会津にね、凄い男だよ」

 先程の武勇伝で盛り上がる周囲をよそにして、上原が考えるのはやはり意中の彼女の事ばかりなのである。

「せんぱーい」

 剣道部の後輩である根室もいつしかそこに加わっていた。

「センパイ、センパイ。さっきから何聞いてるんです」

 相変わらず俗世になどは興味も無さそうにしている泉水に、無邪気な根室が近づいた。根室が膝を抱えて遠い目のまま音楽を聞いている泉水に話かける。

「何って。……グリーン・デイ」

 泉水の片耳から無遠慮にヘッドホンを引っこ抜いて、根室は興味深そうにそれを自身の片耳に宛がった。先程、緒川は泉水と気長に会話できる上原を凄いと言ったが本当に凄いのはこっちの方だと思うのだが。

「へー! 英語っすね英語、何言ってるか分かるんですか。これ。そもそもグリーン・デイってどんな歌なんですか?」
「グリーン・デイは歌手の方だよ……」

 緒川が苦笑い気味に補足すると、根室が「へー!」と声を漏らした。泉水は表情を変えずに根室の手から奪われたヘッドホンを取り戻し、それから耳に戻した。そもそも泉水が何故ここにいるのか、といえば自分達が泉水を見つけたので話しかけていたら次々流れで人が集まってきただけの事なのだが。

「にしても、流石は山奥。霧が深いねぇ」

 この中では一番よく喋る男、マーチこと西園昌司だった。マーチはお目当ての女子グループを探して部屋に行ったはいいが教師に見つかったので引き返してきて何となくここにいる、という感じだ。

 上原をはじめとしたこのグループは無害な奴らの集まりだ。それに気を許して、自然と皆が集まって来る事も結構あった。

 マーチは徐々に深くなってくる霧を窓から見つめながらぼやいた。

「そういやさぁ、緒川」
「え?」
「この合宿中、決めるんだろ」

 そう言ってマーチは何だかいやらしく笑い、それから片手を持ち上げる。その親指を人差し指と中指の間に挟み込むんで、つまりはまあ、男女のセックスを意味する下品な暗喩ポーズを作って見せ付けた。

「何すかぁ、それ。緒川センパイ?」

 根室の無邪気な問いかけに、緒川は「あのなぁ」とマーチの手を叩いた。

「そういう事はいいんだよ、別に」
「分からんよぉ、向こうもまんざらでもなかったら。ゴム持ってる? ん、あげよっか?」
「だーからぁ、マーチ!」

 そのやり取りを聞きながら、上原はぼんやりと考え込んでいた。自分はどうなんだ、と。南雲梓とそうなりたいかと聞かれたら、そりゃあ即決で「勿論」と答えるだろうが――何故だかそれだけじゃ満たされないのだ。ひとつになりたい、だけどそれはそういう意味合いだけではなくてもっと直結的な意味を指しているのだ――梓の身体の一部になりたい。

 願わくば、彼女に愛されてみたい。殺されてみたい。そしてその肉を食らって、嚥下してもらいたい――彼女の身体を行き交う血肉となって、ずっと傍にいられたのなら……。

「ああ! 噂をすれば来たじゃないか、麗しのハニーがさっ」
「だっ……馬鹿、声でけぇんだよお前はよ!」

 止めに入る緒川の声を無視して、他の女子生徒らを連れてやってきた彼の意中の人である明歩に向かいマーチが呼びかけた。

「真島サーン、どしたのー? 良かったら俺達と話していかな……」
「あ……ねえ、大変なの」

 近づいてきた彼女達の顔は何だか深刻そのものであって、こちらの馬鹿な空気等は通用しなさそうだった。



上原、中々のキティーちゃんやな。
アンネへの血が脈々と引き継がれとる。
人肉なんて硬くてとても
食えたもんじゃなさそうなんだけど……。


Modoru Susumu
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