緒川は重たいスコップをマーチの後頭部めがけて振り下ろし、何度も何度も殴り飛ばした。頭蓋骨が砕ける感触が伝わってきたが、完全に沈黙させなくてはならなかった。
何度殴ったか分からないくらいにスコップをぶつけていくうちに、いつしかその頭は変形し、脳髄やらが散乱していた。
「も、もうやめろ……緒川……」
上原が思わず青褪めて止めると、緒川はようやくその腕を振り上げた状態のままで止めた。それから、ややあってからぶるぶるとその腕を降ろした。とても力無く、やるせなさの伝わる動作に見えた。
「……緒川くん……」
明歩の声にも、緒川はしばし茫然とし、それから脱力したように振り返った。
「――なぁ」
震える声で言い、緒川が続けた。
「一体……何なんだよ、これは」
「……」
「どうなってんだよ。……こんな馬鹿げた話、どこにあるんだよ?」
自嘲ともとれる笑みを浮かべたままで、緒川は足元の――頭の潰れた元・級友の遺体から足をどけた。
「畜生」
やりきれなくなったように、緒川が鼻を啜るのが分かった。それからその場に座り込み、頭を抱え始めた。泣いているのはすぐに分かったけれど、そんな事をやっている時間なんかないだろう。誰しもがそう思ったが、同じ思いを抱えている全員にはそれをたしなめる余裕も無かった。
「とにかく」
先陣を切って口を開いたのは上原であった。
「とにかく、行かなくちゃ……荷物をまとめて……」
「! う、上ちゃんっ」
「――え」
涙なんかもはや気にせずに顔を上げ、緒川が叫んだ。ほぼ同時に、上原の腕の中にいた榎本が上原の髪の毛を掴んで、歯を剥いているのが分かった。
「こ、こいつ噛まれていやがったのか!?」
上原が焦ったように叫び、緒川が補足するみたいに言った。
「そんな、噛まれた痕なんかないのに!」
榎本の全身の怪我は、恐らく事故的なものであったり、ゾンビに武器でやられたものだとばかり思っていたがそうではない。
「引っかかれたんだ、その傷!」
緒川が叫んでいたが、それはもうこの際どうだって良くなっていた。上原はとにかく、榎本の拘束をかわさなくてはいけない。
「離せ、……このっ! くそったれ!」
上原が背後にあった窓ガラスめがけて突進する。
榎本の胸倉を掴む形になったままで突っ込めば、ガラスが割れ、けたたましい音と共に破片が飛び散るのが見えた。全身をガラスで刺されて傷を作ろうが、全く痛がる気配も無い榎本は既に人じゃあないのだ。
その事実にぞっとし、窓の縁に背中を預けながらも上原の手にしがみつく榎本を哀れに思った。
「離せっ、離せってば!」
「ウウウウ、ウ」
夜風が吹き荒んで、室内に冷たい空気が流れ込んでくるのが分かる。榎本の背中やら脇腹に砕けたガラスの破片がガリガリと食い込んで、とても痛そうな事になっていた。
「ちきしょう!」
どうしようもなくなり、揉み合いの末に上原は榎本のどちらかと言えば軽量なその身体を突き落としてしまっていた。巻き込まれないよう慌てて腕を引いた時に、腕をガラスで挫いて強烈な痛みが走った。
「うがぁああっ!?」
「上原くん!」
尻餅を突きながら深く裂かれた腕を押さえ、上原がのた打ち回る。緒川が慌てて駆け込んできたが、すぐに上原は叫ぶのだった。
「か、噛まれたんじゃない! ガラスで切っただけだ!!」
弁明しておいてから、上原は滴る血液を何とか押さえようと手の平で蓋をする。
「ひどい血だわ。どうしよう、何かで止血しなくちゃ」
「分かってる! ハンカチかタオルか……荷物から探せ」
そして次の瞬間にはきびきびと動く緒川と明歩であったが、根室だけはびびってしまっているのかぼーっと立ち尽くしたままでその光景を眺めているだけだった。
「根室ッ! ボサっとしてねぇでお前もやるんだよ!」
「なにを……」
「聞いてなかったのかよ、荷物からタオルでも布でも止血帯代わりになるもんを探せって!」
声が荒っぽくなってしまうのはこの際仕方が無い事だろう。
緒川も明歩も、誰のものかもはや分からないスポーツバッグやらをひっくり返しタオルをかき集める。ついでに発見した、透明のポーチに入っていた消毒液を掴むと明歩は苦悶の表情を浮かべる上原の前に座り込んだ。
「これ、一応つけておいた方が……これから山の中を歩くんなら何か変な雑菌が入っちゃうかもしれない」
「ああ。……上ちゃん、ちょっと……いやかなりしみると思うけど、ごめんな」
完全なる素人療法でしかないのだが、二人はてきぱきとその手を動かして上原の傷の手当を施していく。根室はもう、隅っこで震えるだけで役に立ちそうにもないのだった。
噛まれたとか噛まれないとか
この辺もゾンビもののおもしれえとこだよな