――悲劇が起こる、ほんの数時間前。
「あ、あたしちょっとトイレ行って来るね」
そう言って増田彩花が立ち上がるのと同時に、思い立ったかのように浜辺育子もその席を立った。
「私も行こーっと。夜、また礼拝あるんでしょ? 今の内行っておかないと、理事長の話長いからさー。みんなはいいの?」
「んー、大丈夫。いってらー」
二人がそう言って部屋を後にし、廊下へと出て行った。
「でもさぁ、ここのトイレ汚くなぁい? 山に面しているからか知らないけどさ、何か虫がいっぱいいてちょっと……」
育子が思い出しただけで身震いする、と言った具合に嫌悪感でいっぱいの顔をさせた。
「手を洗う場所にまで、でかい蛾がいてさ」
「うふふ、育子〜。それなんだけどさ、あたしいい場所見つけちゃって」
「……え?」
彩花がニンマリと微笑んで、本来向かう筈だった場所のトイレを通り過ぎるのだから育子も首を傾げるより他無かった。
「こっちこっち! ついてきてよ」
「え? そっちって職員用のトイレじゃあ」
「気にしない、気にしない! こっちのトイレはスッゲー綺麗なんだよ、超卑怯だよね」
悪戯っぽく笑い、彩花はたったかと職員専用、とはっきり書かれたそのトイレに駆け込んで行くのであった。
「あ、ほんとだ〜。超綺麗。ずるーい何これ」
「でっしょー?」
「けど何であんなに差があるのかしら……あ、ここは網戸がちゃんとあるんだ」
そう言って窓に近づいてみて、育子は外の景色を見渡した。広がる山林は入ってみれば深そうで、入れば出るのは容易ではなさそうに感じた。
「そうなのよ。あっちのトイレは開けっ放しでさ、お陰で虫が出入りし放題なわけよ」
「網戸一枚でこうも違うかー……あ」
「ん?」
そう言って窓から向こうの景色を眺めていた育子が何かに気付いたらしく、声を上げていた。彩花が小走りに近づいて、その後ろから覗き込んだ。
「どした?」
「……今さぁ、あそこの林に……うちの制服の男女が消えてった」
「え? え? マジ、マジぃ!?」
木陰に消えていく、制服の男女。何ともスキャンダラスなその響きに、多感な噂好きの女子が食いつかないわけもない。彩花が目を輝かせて必死にその様子を窺おうとする。
「つか、南雲さん達に見えたんだけど」
「なぐも……、えー!? って、あの双子?」
「うん……」
育子が半笑いに頷けば、彩花がもうすっかり乗り気になって身を乗り出そうとしたがここからじゃハッキリと分かるわけもない。
「あいつらマジでそういう仲なわけ!? うっそー、マーージで〜〜〜!?」
「人目避けて何してんだろうね!? 何かやらしくなーい?」
これがもし、節度ある大人だとすれば見なかった事にし、そして黙って立ち去るのが本筋だろうが。刺激に飢えた世代の彼女達が、そんな面白げな事を放っておける筈も無い。
「……ちょっと追ってみようか?」
好奇心旺盛な彩花の案に、初めは躊躇していた育子も幾分か迷ってから了承した。巡回する教師達の視線を掻い潜り、二人は颯爽と森の中へと足を進めて行く。
「どうしよ〜! テンションあがるー」
「ちょっとー、静かにしてよね育子! バレたら終わりなんだよ」
彼らの消えた方角に向かってこそこそと移動していく二人であったが、やがて聞こえてきた男女の声に二人共揃って脚を止めた。
「今聞こえた?」
声を潜め、互いに視線を合わせつつ確認しあう。