幾つにも重なった獣のような呻き声。幻聴でも何でもなさそうだ。相変わらずスマホをいじっていた新条も流石にその手を止め、騒ぎ出す同級生達の視線を追い外を眺めた。

「何?」
「あ……ありゃ、ありゃ、何だよ」

 それはまるで、地獄の底から鳴り響くような大合唱だった。鼓膜にまとわりつくような嫌な声は耳朶を執拗に打ち付けたが、心のどこかではまだこれが作り物であると願ってやまない自分がいる。うろたえる同級生らに続いてそれを覗き込めば、一面赤色で包まれた異界のような景色がそこには広がっていた。

「は? 何あれ、さ・撮影か何かッ!?」
「あ、そ、そうかも。新条、お前いるから何かドッキリカメラみたいなやつやってんじゃねえの?」
「なワケねーだろ」

 冷めた様子で新条は一蹴したのだけれど、しかし、そうでも言われない限りにわかに信じがたい。受け入れろというのも無理な話ではないか、こんなもの――こんなものは――新条は反射的にスマホを操作するとカメラを立ち上げてみる。

「やべえ。クソやべえ。これ、千リツ超えるし……いいねも千……いやこれどっちも一万いくんじゃねえ……?」

 それから片手でSNSアプリを立ち上げてみるが、圏外表示になっている事に気付いた。

「あ゛!? クッソ、何だよこれ。萎えるなチキショウ!」
「そ、そんな事してる場合じゃねえだろ新条……」
「うっせぇんだよ、バァカ。災害時にツイッターだけが生きてて情報網になってたって話もよくあんだろーが! それに俺はさぁ、読モやってんの。有名人に片足突っ込んでんの。分かる? 影響力もでかいしフォロワー八百人ちょいついてんだよ。俺が発信すればみんなにどういう状態なのかを届けられるんだよ。すごい感謝されるっしょ。……あ、クッソ……! やっぱり繋がんねえわ」

 そんな新条の姿を見つめる周囲の顔といったら、一体何と言っていいものやら難しかったのだけれど。その微妙な空気を引き裂いたのは男の野太い悲鳴だった。

「う、うわぁあああああッ」
 
 それは普段、自分達がじゃれ合っていたりふざけている時にあげるような悲鳴の比ではなかった。絞められたアヒルのような、だらしない悲鳴があちこちに響き渡る。臆病な足音が、そこいらに溢れ返り緊張を煽り、分からせる。何か想像している以上の恐怖が、訪れているのだと。

 学生達から離れ、先程『ホスト』と称されたその男と、そしてその隣には切り揃えられたストレートの黒髪をした女がいる。確かに、若い男女と言えどもカップルとは言い難い雰囲気を纏わせた二人からは――ある意味この異様な事態に似つかわしい、ただならぬ空気があった。

「……ロッキンロビン」

 煙草を吹かしていた『ホスト』が女の名を呼ぶと、彼女は返事代わりに微かに視線を動かしたようだった。

「見つかった? 例の彼女」
「――分からない。そっちは見つけられたか?」
「いや、全く。こっちの方だと思ったんだけど」

 女ことロッキンロビンはいささか軽蔑するような調子で視線を元の位置に戻した。

「いつもそうね、キルビリー。方向音痴も度が過ぎるから女にも逃げられるんだわ。――あ、違った。貴方の場合、男じゃなきゃ嫌なのかしら」
「まあね、ケツの方が締まりがいいからな」

 ホスト風男、もといキルビリーは手にしていた刀を持ち直すと(勿論、真剣だ)咥え煙草のままで気怠そうに周囲を見渡した。逃げ惑う乗客達の中で、逃げも隠れもせず突っ立ったままで会話を続けている二人は更に不思議さに拍車をかけていた事だろう。
 悲鳴の散らばる中で、二人は再びのように歩き始めた。


「きゃあああああッ、あっ!」

 あれから、神代達のいた用具庫の中はものの数秒で悪夢の箱と化した。室内になだれ込んできたのは同じ制服を着ている筈の、似て非なる『別の存在』であった。

「ちょッ、っと、何! 何よぉ、痛い! 痛ぁい!!」

 制服姿の男子生徒は、女子生徒の腕に噛みつくと鮮血が迸った。面識があるかないかなんてのはもうこの際、どうでもいい話だった。恐怖心が生徒達の強がりや虚栄心をあっという間に駆逐していく。

「……どいて!」

 神代のその細腕にどうしてそんな腕力があったのか、不思議ではあったが今はそんな場合ではなかった。神代は近くにいた女子生徒を突き飛ばすと、部屋の片隅へと走った。それは決して自分だけ逃げるつもりではなかった。神代はデッキブラシを掴むとまるで刀を操るようにし、柄の部分を手の中でくるりと躍らせた。

「な――何する気よ、神代!?」
「下がって! こいつは頭を潰さないと活動をやめない!」

 早口に捲し立てるや否や、神代は踵を返し、その態勢のまま一歩踏み込んだ。体重を乗せた蹴りを急襲者の肩口に叩き込む。肉の千切れる嫌な音と共に、齧られていた女子生徒の上ずった悲鳴が響いたのだが、どうする事も出来なかった。それで神代は手にしていたブラシを、武器として使う事をここで選択したようだった。
 それは目にもとまらぬ速さで、神代は柄の部分を口元を血で濡らす男子生徒の頭部へ叩き込んだ。所詮は木の棒で、破壊力はさしたるものでもなかったんだろう。けれども、その動きは見事な手前としか言いようがなかった。

「くっ……」

 自分達の知る限りの神代は、特別運動神経に優れているだとか何部のエースだとか、そんな話は聞いた事もなかった。そりゃあ運動音痴というわけでもないだろうけど、噂になる程優れているような印象はなかったし、自分達が気に留めなかっただけで干渉しない部分では何か格闘技の達人であったり、学校外では武道でもたしなんでいたのかもしれなかった。――そう言っても過言ではないくらいの、達人のような動きをしていたと思った。

 木製の棒きれくらいでは牽制にもならなかったのだろう、男子生徒はターゲットを神代に絞ったのか口元を半開きにして襲い掛かってきた。神代はそれも息を切らしてかわし、柄でその一撃を受け止めていた。

「ヒッ……」
「ひゃああ!」

 助けるどころかこの時点で既に、数人は逃げ出していた。若しくは、腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。でたらめな祈りの言葉を聞きながら、神代は何かもっと殺傷能力の高い武器がないかと見渡していた。

――まずい、このままでは折られてしまう……

 神代が冷や汗を浮かべた次の瞬間、彼女に圧し掛かっていたその力がふっと軽くなった。

「!?」

 ハッと顔を上げた先では、男子生徒の額、ちょうど眉間の付近から銀色の物体が突き出していた。遅れて、大量の血が溢れ出しそれから男子生徒の身体が大きく痙攣を起こす。男子生徒は口から血の混ざったヨダレをこぼし、だらしなく間延びした呻き声を残し動かなくなってしまった。

「……何やってンだ、こんなの相手に手こずるなんて。お前らしくもない」
「――っ……!」

 神代が改まったように顔を上げてみると、そこにいたのは黒服に身を包んだ既に成人しているであろう男女がそれぞれ一人ずつ。高校生ではないのは明らかであったが、神代はずれた眼鏡の位置を直しつつ、息を一つ吐き出した。

「――、貴方達」

 男……先程のホストことキルビリーは片手を引っ込めると、男子生徒の後頭部から突き刺してあった刀を同時に引き抜いた。こうやって『二度殺された』その男子生徒は、その場にどさりと倒れ込んだ。

「おいロッキンロビン、武器」
「え?」
「こいつに武器。どうやら武器がないと何もできないらしい、流石に『ひのきのぼう』一本じゃ哀れすぎるだろ」
「……私は荷物持ちじゃないよ」
 
 少々不機嫌そうな声を出しつつも、ロッキンロビンは手荷物の中にあったその鞘に収まった刀を神代に向かって投げ渡した。神代は無言でそれを受け取り、刀と二人を交互に見た。それから、言った。

「それが今の名前なの?――何ですって、聞き取れなかったからもう一度教えてちょうだい」

 それから刀を持っていない方の手で眼鏡を外すと、レンズにかかったぞんざいに拭い始めた。

「俺はキルビリーで、こっちはロッキンロビン。サザン・パシフィックとマイケル・ジャクソン。カッケーだろ」
「……よく分からないけど、貴方がすぐに何かから影響を受けやすい事はよく分かったわ」

 眼鏡を掛け直し、神代は受け取った刀を持ちながら立ち上がった。

「こっちは名乗ったんだからそっちも教えろよ、呼び名がないと不便なんだよな。この世界の言語ってやつは」
「――那岐」
「ん?」
「神代那岐(かみしろ・なぎ)。ここでは苗字と名前、二つが揃って成立するものなの。覚えておきなさい」

 神代那岐。それが彼女の、フルネームであった。

06、老いたる霊長類の星への賛歌

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