中盤戦


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08-2.やめさせないと



自問自答するまでもなく、透子は深いため息とともに何気なく横手に積まれたスクラップの山を見た。廃車には、やはり下品な落書きがびっしりと書かれていたのだけどその中に目をひく物が一つばかりあった。

「……?」

 目を細めつつ見やれば、同じく赤色で書かれた矢印。そして――。

『このさきにいるからきをつけて』
「……」

――いる、って……

 そんな漠然とした書かれ方をしても全く伝わらない。呑気にそんな文章を残している場合でもないだろうに、と思いながらも透子は鞄の紐を握り肩に担ぎ直すと周囲を見渡してみた。

 静まり返ったその周辺に響くのは、チョロチョロと付近のどぶ川のものであろう汚水が流れているその音だけであった。しかし、その静寂の中に何か別の気配が混ざるのを透子は聞き逃さなかった。

「……誰?」

 そう、はっきりとその人物は物陰に向かって移動したのが分かった。こちらの姿を見つけるなりに、その影はスススと歩いて廃車を影にして隠れてしまった。決していい気分ではないし、何だかもやもやとしてしまい透子は危険を顧みずその後を追う事にした。

 普段ならそうせずに慌てて引き返すところだけど、一瞬見たその姿が――自分と同じ制服を着ているように見えたので、放っておくわけにはいかなくなってしまったのだ。

 透子はその姿を追いかけて、迷路のようなそのスクラップ置き場をぐるぐると駆け巡り、それからその姿に追いついた。

――やっぱり……!

 追いつめたその後ろ姿は、やはり自分と同じ制服姿の女子高生であった。透子はぜえぜえと肩で息を吐きながらその背中に向かって呼びかけた。

「ね、ねえ……!」

 よく見るとその女子高生は髪の毛もぼさぼさで、片方の靴が脱げてしまっていて、それどことかスカートやその制服もところどころ引き裂かれていてよもや暴漢に襲われてしまったのではないかと危惧してしまうような出で立ちだ。

 おまけに身体全体が薄汚れていて、もう何日も風呂に入っていないような感じにも見える。

「あなた、同じ学校の制服だけど一体……どうしてここに……」

 言いかけてから透子は気付く、その人物にはどこか覚えがある事に。栗色でちょっと緩く波打つ髪の毛は、パーマや染色したわけではない天然の地毛なんだと笑顔でいつか語っていた、その人の……その姿を思い浮かべてから透子は戦慄した。

「か、カナ先輩――っ」

 そう、いなくなった先輩のうちの一人にそれはよく似ていた。

 彼女の名を呼んだものの、きっとそれはもう『カナ先輩』ではないのだ……透子は全身がぞっとして、逃げなくちゃと思い後ずさった時には振り返ったその人と目が合ってしまったのであった。振り返った彼女は顔半分が千切れており、制服は垂れてきたのであろう血液がべっとりと付着しているようだが既に酸化して黒っぽく変色している……。

「!!」

 やばい、と脳が認識した時にはその化け物――ううん、いやゾンビなのだろう――は追いかけて来ていた。透子は果たして運動神経ゼロの自分がどこまで逃げ切る事が出来るのか不安になりつつも、何とかして走り続けた。

 それから見つけた掘立小屋に、透子は飛び込んでその扉の前に引っ張ってきた工具入れやおんぼろの椅子等を重ねて封をした。すっかり気が動転していて、透子は簡易的なバリケードを作るとそのまま後ずさった……。


 後ずさりながら、透子は小屋を囲む複数の唸り声を聞いた。獣のような、それでも獣とは違う人間のそれだとはっきり分かる、これまで聞いた事もないような声だった。思わず耳を塞ぐと透子はその場にへなへなと崩れ落ちた。

『――木崎さん、あなたって結構偽善者キャラだよね?』

 誰のものでもない、そんな声が透子の脳裏に響いては消えていく。どうしてこんな時に……と、透子は昔の記憶をその刹那に思い出していた。

『今回もそうなんでしょ。またあのきぃちゃんの時みたいにさ、弱い人間に奉仕する自分が素敵だって酔いしれてるだけなんでしょ。分かるよ〜、その気持ち』

 誰のものでもない?……ううん、違う。これはリカちゃんでもあって、きぃちゃんでもあって、きぃちゃんのお母さんやリカちゃんの取り巻きやあの時、きぃちゃんの汚物を処理していたのを後ろ指さして笑った男の子や、それからそれから色んな――そして何よりも、私自身の声でもあるんだ。

 透子は手を突いて嫌な汗がどっと垂れてくるのを知った。

「――ちがう……」
『違わないでしょ。いい顔したいからっていちいち首突っ込むからさ、こんな目に遭うんだよ。自業自得だよね。ここでもし木崎さんが死んでもさ、世間ではきっとアホが度胸試しで危険区域に行ったからそうなったんだよ、ご愁傷様。って言われるんだろうね。そんな死に方してさ、お父さんとお母さんが可哀想だね。あとお姉さんとお兄さんも』
「やめてよ!!」

 透子は知らずのうちに大声で叫ぶと、小屋の周りを徘徊していた音が更に大きくなり始めるのが分かった。壁をガリガリと引っ掻くような音が耳触りで、透子は悲鳴を上げたくともその声が一気に引っ込んでいってしまう。

「……ごめんなさい……」

 透子はへたり込みながら何度も何度も謝罪の言葉を繰り返していた。出来合いのチャチなバリケードは容易く破壊されてしまい、透子は悲鳴を上げて後退した。隙間から覗くのは先ほどの変わり果てたカナ先輩と思しき姿であった。紫に変色し、死斑がぽつぽつと浮かんだその腕が伸びてくるのが分かった。

「……いいよ……」

 恐怖心はいつしか贖罪のような気持ちに取って代わっていた。そうだ。これは罰なんだ、自分がかけた多大な迷惑への代価なのだ。透子は口元をちょっとだけ笑みの形に変えて、訪れるんだろう惨たらしい死を迎え入れる心構えをしていた。

――きぃちゃん……ユウ……、

 最後に会いたかったな、でもごめん。ごめんね。もう無理そうなんだ。私はここで死ぬ運命なんだ……、そっと目を閉じたその時、だった。

 入り込んできたそのゾンビの頭部が、パンッと軽快な音を立てて弾け飛んでいたのだから透子は思わずその目を開いていた。

――誰が!?

 目の前には頭部の中身を床にでろっとぶちまけて倒れるゾンビと、それから――はっ、と顔を上げると古びたその掘立小屋の周囲では交戦が繰り広げられているのが分かった。ひょっとして自衛隊か、警察官か、それとも消防団員でも助けに来たんだろうか? とにかく、窮地を脱した事には違いがなさそうだった。

「い、一体……」

 その光景に目を奪われて、声を出すのがもうやっとといった感じで透子は座り込んだままでいた。すると、壊れたその隙間から顔を覗かせたのは全く見た事もない人物だったのであった。当然かもしれないが。

 まだ若そうなその男は、へたり込む透子に向かって言ったのであった。 

「大丈夫ですか? ここ周辺でゾンビの目撃情報が多発しているもんで見回りをしておりました自警団ですが」

――何? 自警団……!?

 自警団が何で銃なんか所持しているんだ、と思いつつどこか聞き覚えのあるその響きにはっとなったよう透子はスクールカーディガンのポケットに手を忍ばせた。カサカサと音を立てながら引っ張り出されたその紙切れに書かれた、『団員募集』の文字……。

 紙切れとその青年とを見比べながら、透子はいまだ夢から覚めきらないような表情と声で問いただした。

「あなた――は……」
「怪我はないみたいですね? 良かった。……ミツヒロ君、随分と腕を上げられましたねぇ。きちんとゾンビだけに命中しておりますよ」

 小屋の中に入ってきたその人は、この事態にもにっこりと微笑みながらどこか異質さを醸し出しつつその手を差し伸べてきたのだった。

「さぁ、無事に家に帰してあげます。責任を持ってお送りいたしますから」
「ま……、待って……」

 相変わらず上手く声に出来ないけど、何とかして告げるとその人はこちらの言葉の続きを待ってくれた。

「あなたは……誰なの?」
「僕ですか?」

 やはり口元には場の雰囲気にそぐわない微笑を浮かべたままで、男の人はマントを(マント! 一般市民には縁のない服装である……)ばさりと片手で追いやった。

「僕はルーシー。自警団のリーダーを務めるしがない只の男ですよ」
「……!!」

 何だ――やっぱり――……

 透子は安堵するのと同時に、一気に身体から全てが抜け落ちていく感覚に囚われた。激しい脱力感と、そして意識までもが一緒に放れてゆくのを最後に、透子はその場に気を失ってしまったらしい。

「あら? あらら? どうしたの、お嬢ちゃん……」

 そんな透子を見つめながら、ルーシーは自分が何かしたのではないかとまずは自分の素行を疑るところから始まるのであった。


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