前半戦


≫top ≫▼title back

14-5.極めて近く、限りなく遠い世界



 その細腕からは想像もつかぬ力で押しやられた凛太郎は、吹っ飛ばされて尻餅を突いてしまった。セクシータレント顔負けのM字開脚でずっこけると、凛太郎は無表情で迫ってくる小夜を見上げた。

 やはりその顔は作り物のように美しいが(事実作り物なんだけど)、恐ろしい程の冷たさに満ちている。扇子を反対の手に持ち替えると、小夜は落ちてくる黒髪を払いのけて冷淡な眼差しをこちらへ寄越す……。

「かっ、一真ァア! ぼーっとしてねえで助けろよこのクソハゲ……」
「……凛太郎〜……これってさぁ、もう手遅れなんじゃないのぉ?」
「あぁっ?」

 一真の視線を追ったのは凛太郎だけでなく、小夜もそうであった。――そうだ。呪文は完遂したのだ――老人が狂気の笑い声を上げているのが分かった。

「……おおおおおッ! 感じる――感じるぞ、偉大な、名状しがたい、外宇宙からの力が……!」

 部屋全体が揺れ、不吉に歪み、そして地の底から轟くような唸り声が響き渡るのが分かった。これまでのものとは比べ物にならない強靭なるエネルギーの集合体が、空間全てに圧力をかけているのが分かった。

「なっ……やべえ、何が起きんだよ!?」

 その振動の強さに立っていられなくなり、創介が思わずその場に倒れこんでしまった。セラも一緒になって足を滑らせたようだったが、すぐに毅然とした様子で立ち上がるのが分かった。

「何かまずくねえかコレ……って、セラ?」

 恐らく霊感だとかそういうものとは無縁の、凡人である自分にも何か尋常ではないものがこの空間へ押し寄せている事は理解できた。創介はその不安定な空気が包み込む室内をあちこち見渡し、最後に自分の少し前を歩くセラの背中を見た。

「イア、シュブ=ニグラス!……こやつらの精神力と、この祭壇にて捧げられた生き血を供物として汝の恩恵を享受したい! 我が生け贄を受取り給え!」

 狂人の如き笑い声の合間に、老人が絶叫した。だが、そんな不穏な空気に覆い被さるようにして勇ましく叫ぶのはセラであった。

「お前にシュブ=ニグラスの召還など無理だ!」

 セラのその声に、老人の笑い声がぴたりと止んだ。両手を上げた状態のまま、老人は不愉快げにセラを見つめたのだった。

「何だぁ、小僧……? 貴様は供物として生き血を全て捧げる末路を望むか? 大人しくしていれば苦痛を感じさせずに一瞬で葬ってやるものを――」
「せ、セラ! お前一体……」

 創介が彼が何をしようとしているのか当然分からずに叫べば、セラはモッズコートのポケットに片手をしのばせた。取り出したのは、禍々しい瘴気を纏う一枚の紙切れである。それの正体は分からなかったが、この歪んだ空間に等しく強力なオーラを持つ事は確かなようだ。

 セラがその切れ端を出した途端に、空間を包むエネルギーと共鳴しあうかのように強い振動が訪れた。少しよろめきつつもセラは再び持ち直し、老人へと突きつけた。老人にはその意味が分かるのだろう、明らかに狼狽したように口元を歪めたのであった。

「そ――それは……っ」
「……これを使えば全てを帰還させる事だってできる。曲がりなりにも呪術になんて手を出したんだ、この意味くらい分かるんだろう?」

 一歩も引かないセラに、老人は両目を驚愕で見開いて震えている。その時、獣のような咆哮が轟き視線を向ければ、例の山羊マスクこと黒い仔山羊がその場に崩れ落ち足首を押さえていた。

 アキレス腱を断ち切られたらしく、黒い仔山羊はその場で喚き散らしながら血を撒き散らしている。雛木がすぐその傍で、鉤爪に見立てたガラス片を向けた状態で立っているのが見えた。

 大きな獣の弱点は『脚』。腱を切られたら最後、その体重を支えるのが難しくなり倒れてしまうであろう――……。

「ば、馬鹿な……」

 信じられないとばかりにその光景を見つめ、老人が悲痛な声を漏らした。やがて小夜が動き出したかと思うと、ぼんやりとしていた凛太郎の隙を突いて蹴りを繰り出していた。凛太郎が手にしていた斧を蹴っ飛ばすと、武器をなくした彼は完全に無防備となってしまったらしい。

「うぁああ!?」

 がら空きになった凛太郎めがけて小夜が鉄扇を閉じた状態のままで振りかぶってきた。慌てて横に転がって避けると、鉄扇が床を叩き割る衝撃音が響いてきた。あんなもの全力でぶつけられたら、頭蓋骨なんか簡単に破壊されてしまいそうだ。

「く、くそ、危ないな……この女!」
「――大人しく死になさい、黙ってその肉と血を捧げなさい」

 鉄扇を床に突き立てたままの状態で、小夜がゆっくりとその首をこちらへと向ける。顔そのものは憧れとも恋慕とも取れる感情を抱いた相手――そう、ルイにそっくりだったが、言っている事とやっている事は正反対だ。

 何となく凛太郎は、こんな時になって思い出す事があった。

 まだルイが生きていた時に、こんな自分達にも手を差し伸べてくれた色んな出来事。どれもこれも些細で下らない事ばかりだけど、自分達にとっては忘れる事の出来ない記憶たち。

 ベッドのシーツをいつも綺麗にしてくれて、毎日美味しいご飯を作ってくれて、休職の出ない日には早起きして弁当を作ってくれて、自分でも忘れそうな誕生日をささやかにだけど祝ってくれて、いつも優しく微笑みかけてくれて――そしてこんな自分達にも、「生きろ」と諭してくれた。……どれもこれも、些細で、ちっぽけな事なのかもしれないけど。

 美しかった彼女が死んだと知った時、空っぽだった自分達の中から更に何もかもが失われた気がした――。




あぁ^〜
この辺でエレウシスとちょっと繋がる。
でも双子というよりは凛太郎がルイさんに思いを抱いていたのかな。
一真はあんま何も考えてなさそうだし。
雛木と山羊男の
体格差バトル楽しかったです。
トムヤムクンのラストみたかった。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -