01-1.24時間耐久!地獄の鬼ごっこ
都市圏の電力、ほぼ断線。交通・通信に大被害――電気系統、多数炎上……首都圏における帰宅困難者、人数把握も困難な状況。ゾンビ発生からまだ数時間しか経過していないうちの出来事である。
ものの数時間足らずで、日本は大よそ終末に瀕したのであった……。
「お願いします、マンションから出して下さい! 子どもが熱を出してるのよ……」
立ち入り禁止のバリケードテープを問答無用でマンションの周囲に貼っていく警官達に住民からは当たり前のように不満の声が立ち込めた。必死な形相で訴えるのはその手の中にぐったりとした少女を抱えた母親と思しき人物であった。
熱冷まし用の冷却シートを額に貼り付けて、半纏に包まれた少女は母の腕の中で衰弱しきっている。
「駄目です、このマンションは完全に封鎖しています。一人たりとも外へ出してはいけないとのお達しが――」
「理由を教えろよ、馬鹿野郎! 俺は明日、仕事で絶対に外せない取引先との打ち合わせがあって……」
「お話しする権限が我々にはないのです、どうかご理解下さい!」
「ふっ、ふざけるな馬鹿野郎〜! そんなので大人しくご理解できるわきゃねえだろうがぁああ!」
たちどころ上がり始める罵声にも、只淡々と業務をこなすが如くその手を止めない彼らは住民の声など聞き入れてくれる気配もなかった。
「衛生検査官はいつ到着だ?」
「――衛生検査官、って?」
偶然その話し声を耳にした住民が隣人に話しかけた。話しかけられた隣人は肩を竦めて、やや小首を傾げたのだった。
「しょ……食中毒とか発生した時に動く技術官じゃなかったっけ?」
「何でそんなものがウチのマンションに入るんだよ!? っつーか食中毒でこんな大掛かりな事する?」
「――おかしなウイルスが発生した時も動く事があるそうだよ」
二人のやり取りを聞いていた、また別の住人だった。どこか暗い表情と声で、住人は寒さからか両腕を組んでその身を縮みこませながら陰気な口調で続けた。
「病原体や細菌によるテロが……行われた際にも……生物兵器なんかが使われたりね――ほら、日本じゃあまりそういう事例がないから聞き慣れないけど……」
「何だよそれ。うちのマンションでバイオテロでも起きたって……」
馬鹿馬鹿しい、と続けようとしたその言葉は外のけたたましい悲鳴によってかき消された。一同がその声に導かれるように顔を上げると、マンションの出入り口を覆うように張られていたビニールのシートに真っ赤な血が飛び散っていた。
「!?」
「ぐぁあああああッ、がああ〜〜〜」
「ひ、ひぃい!……かか、感染者はもう既に出てしまってるんだ! 畜生、この業務に何の意味もないじゃねえかー!」
警官のうちの一人が、何かまた別の人間に背後から羽交い絞めにされているのが見えた。
そして、目の前に広がる血液のシミはその警察官の首から噴出したものだという事も理解した。見ればその首は思いっきり抉り取られていて、そこにあった筈なんであろう肉は抱きついた人物の口の中にあった。
「あ……」
「きゃあああああっ!」
たちまち悲鳴が周囲には轟いて、出入り口付近でたむろしていた住民達は我先にと部屋へと引き返し始めたのであった。ビニールの向こう側で、警察官が血反吐を吐きながら隔離された向こう側の住民達に助けを求めた。
「た、た、助けてくれッ、痛っ、痛゛い゛ぃーッ!」
しがみつくそいつを振りほどこうと必死になっているようだったが、多分こりゃあもう手遅れだ――派手に血を吹き出す彼を振り向きざま見やりながら、住人達は死に物狂いでその場からそれぞれ走り去ったのであった……。
少しずつ広がる汚染の輪。そんな中で彼らも正しく、このパンデミックから逃げ出そうとしていた。
「う、ぁああああっ! ああああーっ」
「叫んでないで走れバカ!」
創介とセラは、ゾンビの群れに追いかけられている真っ最中だった。出だしは順調だったのに……あれから二人は車に乗ったものの、やはりしょせんは創介の無免許運転だ。咄嗟のトラブルには対処しきれずに車は大破したようなものだった――無免許運転ダメ、絶対。
二人は車を乗り捨てるととりあえず逃げだした。走っていた、とにかく振り向かずに一心不乱に。今しがた二人を追うゾンビは全部で十体ほどいた。
「ッ……、ねぇ! 忘れてた、さっき預けた僕の銃は!」
「あ、あ、あるよ! ここに!」
走りながら創介は腰のベルトに手をやった。
「撃って! ヘタでもいい、どこかしら命中させて転ばすんだ!」
セラが叫ぶので、言われた通り創介は腰からそれを引き抜いた。
「……コンチクショウ! くらえっ」
――が。
「あ、あれっ!? 撃てないっ! ひ、引き金が引けないっ」
「あぁ! 安全装置がかかってる!……上のそこをスライドさせるんだよ! がちゃんって言うまで!!」
「はぁ!? 何それ? スライドって!? 何!? どうやって! どこをスライドさせんだよ! どーやって、ねえどーやって!」
「――まさかモデルガンとかも撃った事無いの!? もういい、僕によこせ!」
「お、俺は善良な子ども時代を送ったからそんな野蛮なモン握ったこともねえよ〜っ」
泣き喚く創介は無視するようにセラはその手からオートマチックの拳銃を奪いあげた。射撃できる状態にすると、振り向きざまに一番近くにまで迫っていたゾンビの頭を撃ち抜いた。
「ゴバッ」
走りながらと言えどセラの腕前はやはりそこまで言うだけあって確かなようで(どこで練習したのかは不明だが)、命中したのは偶然なのかもしれないがへっぴり腰の自分と比べると随分堂々としている。
「……ああっ!?」
ふっと正面へと戻った創介が絶望し切った声を上げた。何だ、とセラも正面へと向き直り、目の前に合った金網にうっと呻いた。
「ちっきしょう! 行き止まりとかマジ勘弁だぜっ……!」
創介は金網を忌々しそうに握り締めながら叫んだ。そうしている間にもゾンビ達は横一列にこちらへと走って来ている。猶予なんかほとんどない、セラは振り絞るように言った。
「くっ……、よじ登れ! そうするしか無い!」
「ええい、くそぉ!」
苛立ち混じりに叫んでから創介が言われた通りに足をかけるが、ゾンビ達はすぐにやってきた。焦りゆえか背後が気になって上手く行かない。
セラがすぐさま、もう一発撃った。追い詰められても冷静さを欠かさない、何て肝の据わった奴だろうとその見た目に反して随分と彼が男らしいことを創介は知るのだった。
「はんぐっ」
創介の服の裾を掴んでいたゾンビがその一撃を受けて倒れた。が、ビビってしまった創介が昇るのを止めたかと思うと、そのまま足を滑らせてしまったようで落下してきた。何てお約束な事をしてくれちゃうんだろう、とセラはこれ見よがしに舌打ちを一つさせた。
「馬鹿野郎っ!」
「だって……あ、あわわっ」
「……もういい、なら一緒に戦って! とにかく接近を許すな!」
創介はとりあえず家から持ってきた金属バットを構えた。草野球でバットを構えるのはしょっちゅうなせいかその構え方はやけに決まっている……構え方だけ、なら。
食らいつこうと走ってきたスーツ姿のゾンビに、創介はボールでも撃ち返す時みたいにバットを構えた。
「……コレでも食らえよっ、オラ!」
バットをフルスイングさせればガキーン、とボールを打ち返した時のような気持ちのいい音がしてゾンビは大きくのけぞって倒れた。実に綺麗なジャストミートだ、流石は草野球でならしているだけはある。
しかしまあこれだけやっても何せ相手は疲れを知らない歩き回る死者ばかり。こんなちょびちょびと相手にしたところで焼け石に水程度、とんでもなくジリ貧な状況――しかしここで諦めると、待つのはこいつらの仲間入り。
――じょっ、冗談じゃねえぞ!
と、創介が再びバットを構えた時であった。
「君たち!」
金網の向こうで声がしたのだが――今はもう振り向く時間さえ惜しい。一瞬の隙が命取りだ、二人はほんの一瞬だけ、隙を与えない程度に視線を向けた。その瞬間には声の主であろうそのひとはバっと飛び上がると、金網のてっぺんに足をかけていた。