ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 03-1.くたばれ賛歌


 動かぬ証拠というやつだ、さてこいつをどう隠蔽すれば……と慌てふためいていると部屋の扉が開いたのでミツヒロは咄嗟にそれを背後に隠すのだった……。

「お待たせお待たせ。それで今日君達にやってほしい事なんだけど、」
「兄上!!」

 扉が閉まりきる前に窓際で物思いに耽っていたまりあが飛び出してくる。と、まだ状況を把握し切れていないヒロシの身体に飛びつくのだった。

「兄上ぇええっ! 私です、まりあです! 兄上、どこも怪我は無いですか!?」
「ま、まりあじゃないか……どうしてこんなところに……うっ、」

 まりあから愛情いっぱいのハグを受けたヒロシの全身に鋭い痛みが走る。突き刺さるような痛みに、流石のヒロシと言えども顔をしかめてしまう。

「まりあちゃん、再会が嬉しいのは分かるけどヒロシちゃんは今全快じゃあ無いんだよ、生憎」

 えっ、と短く言い残しまりあが慌ててヒロシから離れる。まじまじとヒロシの全身を眺めながら言われてみればなるほど確かに顔に至っては殴られた痕跡がある。

 まりあはヒロシの顔に刻まれたその痛々しい跡を見るなりすぐさま彼女の中に何かが芽生えたらしい。

「ファッく……」
「まあ待て、待てまりあ。話を先に済まそう」

 危うく放送禁止用語を叫びかけたまりあを制してヒロシがまりあを着席させる。ノラが苦笑を浮かべながらその癖っ毛を掻いた。

「あ〜……、げほっ。その、本題入っても?」

 にこやかな表情ではあったがその声は明らかに困り果てている。ミツヒロとフジナミも着席するがルーシーだけは猫に夢中になっている。今度はまた別の猫に浮気中の様だ。

「おやおや、こちらの猫ちゃんは随分と美人な顔だねえ」

 ぶつぶつと呟きながらルーシーは眠たそうな猫の喉元をくすぐっている。

「……何なんですか、アレは一体……」

 ヒロシがノラに尋ねるとノラは頷きながら笑った。

「腕は確かだ」

 ノラがヒロシの方へと向き直りながら、テンプレート通りの答えなのかやけに自信満々に言うのだった。そんなヒロシの様子等には当然気付いていない、というか初めからヒロシ達が登場した事にすら気付いていない或いは興味が無いと言った様子でルーシーの関心は依然猫にしか注がれていない。

「みゃーお。何てね」

 我が子でもあやすような手つきでルーシーはオッドアイの白猫と戯れている。ほとんど一方的に。

「……」

 ヒロシは眉根を潜めて訝るような様な目つきでルーシーをただただ見つめている。何も言わなかったが明らかに怪しんでもいたし、正常な人間を見る時の目つきとは違う。ノラがそんなヒロシの肩を二、三ほど叩いてまた笑う――「腕は、確かだ」。

 今度は一語一句強調するように言われてしまった。確かにその通りなのであろう。腕は、その実力のほどは、ノラのお墨付きなんだろう。……何度も強調するようだが、その腕前は。頭の中はどうなっているのかは別として。

「ルーシーさん、そろそろいいかな」
「ん? いいですよ」
「ちょっと席着いてくれ」

 はぁい、と気の抜けるような返事をしてからルーシーがくるっと踵を返してこちらへとやってくる。見た目だけなら写真で見た通りの浮世離れした美青年なのだがいかんせん中身があれなのだからいやはや――と、ヒロシは目の前で腰掛ける青年を見て思う。

――しかし、だ。この青年と妹……まりあは一体何の接点があって一緒にいるのだろう? 恐らくこの自警団にまりあがいるのだろうが、何故……と聞きたい事は色々あるのだがとりあえず今は黙っておく事にした。

「それで、今日の依頼。もう先にルーシーさんには話したけどね」

 と、ようやく話し始めた矢先に部屋の扉がノックされてお茶が運ばれてくる。事務員の女性だろうか、スラっとした体系にぱりっとしたオフィススーツに身を包んだ中々の美人だ。年齢は……まあ美しい女性に年齢など愚問もいいところだ。知的そうな顔立ちに、首元に巻いたスカーフが一層出来そうなオーラを際立てている。女性はテーブルの前に温かい淹れたてのコーヒーを手際よくサササっと置いて行く。

「あー、僕コーシーは苦くて飲めないよぉ。だからお砂糖いっぱい頂戴ね〜」

 フジナミが恥ずかしげも無くそんな事を言うが女性は至ってクールに、「かしこまりました」と返してからスティックシュガーを五本ほど置いた。フジナミはそれを見てキャッキャと喜んでいる、その温度差たるや中々に見ていて面白いものだが……まあフジナミは完全にお子様である。

「あ、俺はいいよ」
「ですが若様……」

 只コーヒーを断られただけだというのに女性は何だか大切な約束事を断られたようにひどく傷ついたような顔をした。

「眠れなくなるしさ〜、俺結構そういうところ繊細なんでね」

 ノラが言うと女性はやはり潤んだ瞳を持ち上げてノラの前に膝を突いて、更にノラの手に自身の手を重ねてその顔を覗きこむ。

「若様には一日でも多く、私の淹れたコーヒーでもお茶でも紅茶でも……飲んでいただきたく思います。こんな状況だからこそ余計に……あら嫌だわ、私ったら縁起でも無い事……」
「あ? あー……いやー……はは」
「……」

 ヒロシが軽蔑する様な視線をノラの方へ流す。

「へー、随分とまたお盛んなようで」

 ミツヒロがにやにやしながら呟いた。ルーシーとフジナミは構わずにコーヒーと運ばれてきた菓子に手を伸ばしている。まりあも眉間に皺を寄せて女性とノラの姿を見比べている。どう見ても年齢に大きく差のある二人な為に、色々と下世話な想像が広がって仕方が無い。

「どうか、無事でいてくださいね……私、待ってますから……ずっとずっと待ってますからね! 若様の帰りを」
「え、ああ、うん。あはは……、あ、ヒロシちゃんのコーヒー、砂糖たくさんおいたげてね、十個ほど」

 そう言ってごまかすものの、やはりヒロシの呆れた様な態度は変わらなかった。女性が部屋を後にしてからノラがわざとらしく咳払いする。

「えー、あー、コホッ。まあ途中ちょっと不適切な表現があったけどもともかく……」

 そしてようやく、本題に入るらしい。


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