#8-2


 その事もあってなのか、例の佐竹櫻子、と葉月の仲は急速にそこで縮まったのだと言う。葉月曰く、とても美人で頭が良くて、どこかのお嬢様かお姫様みたい。と。事実、勉強を教えに来てくれたその少女・櫻子はとても綺麗な顔立ちの、綺麗――という言葉より他にも美しさを示す言葉がないものか、由里は探った。

 彼女は高校生らしいが、高校生には思えないほどの色香があった。色香、なんて、何だか女子高生に対して用いるのは卑しい感じもしたがともかく……。

「こんにちは。葉月ちゃんに頼まれて、勉強を教えに来たんです」

 葉月はすっかり彼女になついていて、まるで自分の彼氏でも連れてきたかのように櫻子を誇示するみたいに見せつけてくる。母親でも少し嫉妬してしまうくらい、べたべたとしていた。

「……それじゃあ、またね。葉月ちゃん」
「うん!」

 夜、忙しくなった身としては彼女に助けられた部分もある。ある――、のだが。由里の元に、記者仲間から、その情報が入ったのは櫻子が葉月の面倒を見るようになって数か月ほどだった。

「あの、その――、ちょっと、いいですか」
 
 どこか歯の奥にものでも詰まったような、妙に切り出しにくそうな調子で近づいてきたのは後輩の福沢だった。福沢はやけに辺りを気にしながら、何だかまるで命でも狙われたどこぞのお偉いさんみたいだ。ノートパソコンより更に一回り小さい、マイクロソフト社のタブレット型のパソコンを胸に抱きしめていた。

「何よ?」
「……、俺、死ぬかもしれません、ね」

 半笑いで話す福沢の口角が、痙攣したようにひくひくと持ち上がっている。その顔はまるで泣いているようでもあり笑っているようでもあった。福沢はパソコンをそっと由里の前に置いて小さく開いた。

「……?」
「この黒のベンツ、明らかに……浮いてませんかね?」
「……、これだけじゃあ、何とも。今時黒ベンツなんて――」
「このベンツから少し離れた場所を見てください。白いブルーバードが、一台。覆面パトカーってやつですよ」
「……、目を付けられてるって事? このベンツが」
「いえ、逆ではないかと」
「つまり」

 由里が言葉を切ると、福沢は液晶を再び黒ベンツを映す。そしてそれを拡大して見せてきた。最近のパソコン――というのか、タブレット端末というのか、は、優れている。少し前ならこのくらいの距離で映せば解像度がぐちゃぐちゃで粗い画質のものしか表示されなかったというのに。

「……!」
 
 まるで漫画かドラマみたいに、オーバーなリアクションで由里は会社の椅子から反射的に立ち上がった。そのはずみでデスクの上にあった書類やペンやらが落ちたが、それも無視して由里は半ば唖然とその姿勢のまま硬直していた。

「……これ……」
「――そう、です」

 髪型を変えていたが、分かった。
 いつもより濃いめの化粧もしていたが、すぐに分かった。
 華奢な身体つきと、美しい、と形容すればいいのか、それとも別の上を行く言葉があるのか?――佐竹櫻子……何故、あなたが。

 黒い細身のドレスに身を包んだその少女・櫻子は、後ろの座席でうっすらと笑みを携えながら誰かに寄り添っている――誰か? 彼女よりはずいぶんと年上に見える。とてもじゃなく、一目瞭然だが親子ではない。皴一つのないスーツ、その上に袖を通さないチェスターコートの男。……男の片目にはアイパッチ、いわゆる眼帯がされており、撫でつけた髪型と両手で掴んだ杖が目に入った。
 年齢ならば四十代、あるいは五十――にしても、その雰囲気からか男はずいぶん貫禄の入った完全にそのスジの男だ。見た目だけの問題ではなく、その醸し出す佇まいがこの空間に異様さをもたらしている。

「これは……」

 由里は、言葉にはせず福沢とは視線で交わす。福沢の身体が微妙に震えているように感じられた。

「ルチアーノ・ファミリー……」
「ファミリー? 何よそれ、マフィアって事?……何でマフィアがいんのよ、ここは日本でしょう!」
「し、知りませんよ――何か目的があるんでしょう……いずれにせよ……単なる町のヤクザとはわけが違います。だ、だけど……だけど、撮らずにはいられなかったんです……」
「馬鹿!……危険だと分かってて何故そんな、」
「……この、櫻子って女の子――俺に向かって微笑みかけてきたんです……」

 それを聞いた瞬間、頬が不自然に歪む。

「まるで俺に撮られたがっているような、こう……」
「もういいわ、福沢。……頭痛がする」

 こめかみの辺りがずきりと痛む――ああ、嫌だ。嫌だ嫌だ。由里は無意識のうち、髪の毛をがしがしと掻きむしり、デスクのパソコンに頭を擦りつけた。……その翌日、福沢は会社を無断欠勤した。独身寮に入っていた彼を呼びに行った同僚だが、微かにだが返事はあったという。遅刻だぞ、と念を押してその同僚は去った。ところが昼になっても、帰宅時間になっても。福沢は姿を見せなかった。

「おいおい福沢ぁ……さすがにマズイんじゃないか? リーダー、クッソキレてたぞ」
「それだけじゃねえよ、部長まで……明日、朝イチで謝りに逝けよ。俺も行くって」

 同僚達の励ますような声が彼に届いたと信じ、二人は微笑みあうが――中から聞こえてきたのは「うひ、うひ、うひ」と喉の奥から空気の塊でも吐き出しているような奇妙な引き笑いだった。……泣いているようにも聞こえるが、時折笑っているようにも聞こえるのだ。不気味以外の何物でもなく、その場にいた誰もが扉を開くのを躊躇った。

 しかし、一番扉側にいた同僚が否応なしにドアノブへと手を伸ばす事となってしまう。こんな時に少なからず覚えた非日常の羨望を微かに募らせその手を下へ。しかし、鍵がかかっている。当たり前だが。思わずドアをドンドンと殴りつけた。

「福沢! おい福沢ぁ!」

 流石に今はもう夜の七時半。向かいのアパートのおばちゃんだかおばあちゃんだか、顔をしかめてこちらを明らかに睨み据えている。やっべ、と同僚は小さく会釈し皆そぞろな思いを抱えたまま福沢家の前を後にした。

「……なー、今の声福沢だべ……?」
「だよなあ。女とか連れ込みそうな奴でもないし」
「あれが女だとしたら俺は余計コエーよ」
「なんっつか……軽くホラー体験しちまったんかな。ともかく明日部長にはそう伝えるよりしゃーないわな」

――そんな出来事が起きてから、福沢は会社に一切姿を見せなくなってしまった。およそ三週間弱。もう少し一か月に手が届きそうな頃合いだ。
 勿論、何人かが代わりばんこで迎えいに行くのだが相変わらず泣いているのか笑っているのかよくわからない声だけが響いてきては耳朶をくすぐる。同時に嫌な寒気もするから、たまったもんではない。

「まさかマジで幽霊住み着いちゃったりして」
「霊媒師連れてくっか、あっやーしーババア」

 まだ冗談で笑える余裕はあったのだが、さすがに一か月も立てば中の様子が気になる。

「すみません、何だか――ええ、はい……あの部屋から何とも言えない酷い悪臭が……下を通ると、うってなっちゃいます」

 瞬く間にパトカーと救急部隊が夜空を切り開くように怒涛の勢いで鳴り響く。近隣の住民らに混ざり、オフィスで残業をこなしていた由里はその音にはっと顔を上げた。……独身寮の方向……? 何とも言えない不穏な空気に心臓を握り絞められたままでほとんど呆然とその道を歩いた。周囲の声など聞こえてすらいなかった。

「だ。駄目です。関係のない方は中には……」
「……関係あるのよ……後輩が――住んでるの……」

 抑揚に乏しい声で言い、由里はとぼとぼとその寮を見上げた。電燈が灯り、中では何が行われているのか、すりガラスの向こうとこの距離相まって何とも言えない。事件の邪気に引き寄せられた人間たちが、唯々物言わずそれを眺め続けた。しばらくしているうちにストレッチャーから運び出されたのは、予想通りに福沢だった。
 げっそりと肉の削げた頬に手入れもろくにされていない無精ひげ、髪の毛は寝癖そのまま伸び放題で口は半開きのまま、虚ろな目がぎょろぎょろと辺りを見渡す。

「福沢ぁ!!」

 変わり果てたその姿に由里が絶叫する。人の波を押し退けて由里は福沢の隣に立つ。

「すみません、急ぎなのでちょっと……」
「福沢! 福沢ぁあ! あんた男でしょ!? 何よ、何を見たの、何に辿り着いたの!? ねえ。ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、何でもいいから喋ってよ!!!!」

 そろそろ救急隊員の人達にまた人の波に戻されそうになってしまう。その時だった。福沢はようやくのように、そのぎょろりとした目を動かして由里の方へ手を伸ばした。一見只の使いつくされたノートのようにしか見えなかった。






「ねえ、櫻子。香水、変えた? いい匂いね、えーと、何だっけ。嗅いだことあるんだけど」
「香水なんか使ってないわよ」

 いつでも彼女の周りには誰かがいた。けれど彼女は、一人でいたいように見えた。微笑みを絶やさず、櫻子は答える。

「眠る時に、アロマキャンドルを焚いてるの。安いけれど、結構いいのよ。自然と火も消えてくれるから、危なくないし……匂いは色々あるけど、今日のはブルガリアローズ」
「わ、聞いた事なかった。でもいーなー、香水程けばくないし、ほんのりって感じ」
「何々? 櫻子ってばまたトレンド入りしちゃう?」
「ふふ、何よそれ。私、何者なわけ?」
「だって櫻子、センスいいんだもん。ねえねえ、シャンプーは何使ってるの? 洗顔後のお手入れとかは??」

 知らず知らずのうちに櫻子の周囲にはどんどんと女子生徒が集まっていく。一心に彼女に視線が注がれるが、櫻子は普段とあまり変わらない調子だ。あの、福沢が目を離せなくなったという、不思議な陰りを沈めた瞳。

「シャンプー、かあ。別に特別な事は――あ、ノンシリコンシャンプーに変えたかな。その方が、お肌にもいいんだって。髪の毛から送られてくる油分がカットされる、って」
「そうなんだぁ! うわーうわー肌ケアもばっちりなんだねー!」
「ふふ。でも私、こう見えて結構ズボラだから、化粧したまま寝たりするのよ?」
「つーても櫻子の化粧なんて、日焼け止めと水ファンデでしょー。あと、リップ? クレンジングいらないからつるつるなのかなぁー。うちなんか金ないしプチプラ、プチプラー! 余計金かかんのかな」
「うちは逆にたっかいデパートの化粧品類揃えたけど、どーも肌に合わなくてさぁ。一週間じゃわかんなくてー。メルカリに出しちゃおっかなぁー、あーあ。損したーっ!」
「んー、何がいいのかなんてわかんねぇっすよねー」
「……でもね。肌ってやっぱり内部から変える必要があるのよ、食生活とか、運動とか……」

 それまでは女子のトークに付き合っていた女子高生の顔をしていた櫻子だったが、筆箱のジッパーを閉めると今度は聖女のような微笑みで彼女たちを見据える。

「やっぱりほら、ストレスが一番良くないから。結局、内部から治してしまうのが一番だったりするのよ。だから私は、色々と化粧水なんかもするけど、サプリメントで補う事も多いかな」
「え〜っ、え〜っ! 何てサプリ!? つってもでぃーえいちしー以外のってたっかいよねー。プラセンタとかビタミン剤とかコラーゲン系?」
「ううん……と。どれも混ざってる、なんか魔法みたいなサプリかな。強いて言えば。私達にはまだちょっと早いくらいだけど、知り合いの二十代の人は額の皴が消えて。お陰で仕事中も、自信を取り戻して元気になるんですって」
「ええ! すっごぉーい、なにそれ〜〜〜!! ほんと、魔法みたい」
「サンプル、二人分貰ってこようか? 錠剤と液状のものがあって、併用するの」
「わー! わー!! 神様女神様櫻子様ー!! おっねがいしまーす!!」
「くす、正直でよろしい」
「私もほしーーい! ね、ね、お金払うから!」
「サンプルだから、いらないわよ。気に入ったら、また私の所に来てくれたらいいし」

 そう言って柔く微笑む櫻子は、薄く眉を持ち上げ、また聖女のそれとは違う笑みを浮かべているのだった。小さなえくぼを覗かせながら、櫻子はそっと溜息をついた。
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