もう1人のキセキ
帝光中学校のバスケ部のメンバーは、キセキの世代と呼ばれていた。それは今も変わらない。ただ、キセキの世代は彼らだけではないのを、彼らだけが、知っていた。
「こんにちは、赤司くん」
「ああ、こんにちは、白澤」
「今日もメニュー組んでみたんだけど、どう思いますか?」
「そうだね………これにしようか」
「ありがとう」
じゃあ、準備してきますね。と向こうに掛けていく白澤。彼女は3年間、この部のマネージャーを務めた。本人自体は、運動があまり得意ではないらしく、マネージャーを選んだらしい。しかし、その実力はキセキの世代に相応しいと言えるものだった。桃井と同じくらい、いや桃井よりもはるか上の実力を持つだろう。
「青峰くん!1コンマ動きが遅いです!黄瀬くんにボールを取られてしまいますよ!」
「……っはぁ…無茶だろ」
「黄瀬くん!あと少し踏み切れば青峰くんからボールを奪えた筈です!最後まで諦めないでください!」
そう、彼女の才能はその目の良さ。まるでチェス盤の駒を動かしているように、簡単に彼らの動きを推測、計算し、悪いところを全て出す。かなり厳しいところもあるが、それも必要だろうと思う。
「あ…………」
「ああああかしくーーーん!!!!!」
「!?」
「Stop under the goal , and Shoot!」
「っ………!」
キュッ
「なっ!?」
ガクンッ
カランカラン
それにしても、あの時は驚いた。試合の時、監督席から声を張り、英語で指示を出したのだ。当然、相手になどわかることもなく、俺だけがそれを理解した。日本語で言えば相手にバレる、しかし、英語ならばその確率は下がる。彼女は一気にその先を推測し、英語に直してから俺に、ゴール下で思い切り止まって、シュートを打て、と指示を出したのだ。緩急のせいで、相手のオフェンスは膝を崩し、その場に倒れた。これは、天才としか言いようのない才能。まさに、キセキの世代マネージャー。
そしてこの日、俺の技が生まれたのだった。
*
「赤司くん!!」
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「千尋ちゃんが倒れたって!!!」
「白澤が?!」
慌てて走ってきた桃井は、白澤が倒れたと言っていた。今は保健室にいるから、と言われ彼女のいる保健室へと走った。思い切り扉を開けて、中へと入る。すると、そこには驚いてこちらを向く先生と、ベッドに横たわる白澤がいた。
「…赤司くん…?」
「……はぁ…白澤、どうしたんだ…」
「すいません…ただの貧血です」
そう言って自嘲したように笑う彼女に、安心して、言った。
「そうか、けど心配したよ…君のことだからどうせ夜遅くまで部活の事をしていたんだろう」
「ええ、そうです、部員それぞれの強化メニューを考えてました」
「それは嬉しいが、バスケ部のマネージャーである前に、白澤は一人の女の子なんだから、自分の体を大切にするんだよ」
「ふふ、なんか照れちゃいますね、ありがとうございます」
「全く…君には呆れるよ」
頬を赤らめて笑う彼女に、俺も微笑みを返せば、ゆっくりと目を開けて、彼女は俺の頬に手を伸ばした。
「ふふ、赤司くんこそ、顔色悪いですよ、自分の体は大切にしなきゃですよ?」
彼女の手に、手を添えて、言った。
「君に言われたくはないな」
そうですね、と二人で笑った。次の日、彼女は元気に学校へと来ていた。
「あ、あかしくん」
「なんだ」
「ちょっと…来てください」
下を向いたまま、俺の前を歩く白澤。何だろうか、と考えて彼女についていけば、部室へと連れてこられた。まだ早い時間で、部室には誰も来ておらず、二人きりになった。
「青峰くんが…………」
「青峰がどうしたんだ?」
「………………」
ふるふると震えて、下を向いたまま何も言わない彼女。どうしたのか、と思い顔を覗き込んでみれば、目にたくさんの涙を浮かべ、それが溢れないように必死に堪えていた。
「白澤?」
「っ…すみません………青峰くんが、チームプレイに貢献出来ないかもしれません…」
「と、いうと?」
「この前の…試合で気付いたと思いますが、青峰くんのそこに眠る力が目覚めました。変わってしまったんです………。私にはわかります、青峰くんはきっと…………………す…みま…せん…なん、で泣いて、る、んだろう…」
「そうか………しかし、青峰をチームから外すわけにはいかない。俺も努力はしてみるよ。ありがとう、白澤」
はい、と涙を流しながら返事をした白澤を胸に抱き寄せ、無言のまま頭を撫でた。その日、始めてみた彼女の泣き顔は、とても美しかった。
*
白澤から話を聞いたあの日から、確かに大輝は変わっていった。純粋無垢な心は無くなり、別人のようだった。しかし、それは僕も同じであろう。僕が変わった時、彼女はどう思ったのだろうか。それが気になって、彼女に話しかけられなかった。
「大輝」
「あ?」
「少しはチームのことも考えろ」
「俺は一人でやる、仲間なんていらねぇ」
「大輝………………」
それからというもの、チームの統制は崩れ、バラバラになっていった。大輝と特に仲のいいテツヤでさえ、変わった大輝に戸惑っていた。
*
それから、無事全中3連覇を成し遂げた頃には、皆それぞれの道に向かって進もうとしていた。変わった者、変わらない者。しかし、実際変わらないでいたのは彼女だけだった気がする。彼女だけは何も変わらなかった。
「赤司くん」
「千尋、どうしたんだい」
「いえ、特に用はないんですが…」
「そうか」
「けど、赤司くんも、変わってしまいましたね」
苦笑いを浮かべる千尋に、内心戸惑いながらも手を握り締めた。
「あ、かしくん………」
「僕のこと、嫌いになったか?」
「そ、そんな!とんでもないです…」
慌てたようにそう言った彼女に、そうか、と告げて道を歩き始めた。きっと彼女は内心複雑な気持ちで歩いているのだろう。恥ずかしそうに、でもどこか寂しそうに下を向いて歩いていた。
少し歩いて、適当に誰もいない教室に入った。空は綺麗な夕焼けに染まっていて、外を見た彼女は綺麗ですねと呟いた。
「どうしたんですか、こんな場所に連れて来て」
「まだ、わからない?」
「何がですか?」
「そうか、わからないか」
ん?と首を傾げる彼女を手繰り寄せて、自分の胸の中へと連れこんだ。驚くわけでもなく、嫌がるわけでもなく、ただ、静かに僕の腕の中に収まっていた。
「私、赤司くんに聞きたいことがあるんです」
「なんだい」
「私は、キセキの世代を、皆さんを支えることができたでしょうか」
「……勿論…そうだな、言うならば君は7人目のキセキの世代。幻の7人目だよ」
「どうして………?」
顔を上げないまま、そう言った彼女の声は震えていた。結局、その日は何も言えないまま、彼女が泣き止むまでずっと抱き締めていた。
*
桜の蕾が花へと変わる頃、僕達は学校にいた。卒業式を終え、部活のメンバーで集まっていたのだ。勿論、その中に千尋もいて、いつものように優しい笑顔を向けていた。
「千尋、今まで部活を支えてくれてありがとう」
「いえ、さつきちゃんや、皆さんがいてくれたおかげです、こちらこそ3年間ありがとうございました」
綺麗に頭を下げ、礼を述べた千尋。僕は何だか恥ずかしくなって、そっぽを向いた。他のメンバーは何やら向こうで騒いでいた。そして僕は千尋の手をとり一言、行こうか、と言えば彼女は、はい、と微笑んで僕の手を握り返した。
「赤司っちぬけがけっすか!?ずるいっすぅうう!!」
「黄瀬、本人は気付いていないのだよ」
「え!?そうなんすか!?」
「ああ…彼女はきっと、そこらへんは鈍いのだよ…」
「納得っす…」
僕達の方を見ながら、話を進める黄瀬と緑間。千尋はその2人にも挨拶をすると、僕の方へと向き直した。
「赤司くん」
「なんだい」
「この後少しお時間頂いてもいいですか?」
「ああ」
「(あああ、あかしっち告白っすかね…!)」
「(ああ、きっとそうなのだよ)」
「真太郎、涼太、聞こえているよ」
2人ににっこり微笑むと、なんのことなのだよ、と焦り始める真太郎と黄瀬。他のメンバーにも挨拶を済ませ、またあとで、と告げると、千尋と教室へと戻った。外は沢山の人が集まり笑っていたが、教室は静かで、二人しかいなかった。
「千尋」
「ねぇ赤司くん」
「なんだい」
「私は貴方の支えになれたでしょうか」
「ああ…千尋がいたから僕は…」
「そう…ですか」
微笑みながら涙を流した千尋。それはまるで天使が泣いているようだった。そして、僕はその涙を拭った。
「千尋に言いたいことがあるんだ」
「はい、なんでしょうか…」
「好きだよ」
「ありがとうございます…」
「ああ」
「それと、私も好きです、赤司くん…」
僕は千尋を抱き締めた。そうすればもっと泣き出してしまった。泣き続ける千尋の頭を優しく撫でながら、話を聞いた。
「青峰君も、他の皆も変わってしまいました」
「赤司くん……も…」
「私が何も出来ないせいだと思ってたんです」
「役立たずだから…」
そんなことないよ、君のおかげで全中三連覇だって成し遂げられたんだ。と言えば更に泣いて。
結局、僕は彼女が泣き止むまでずっと抱き締めていた。
高校に入学して、彼女とは離れた。遠距離とは大変なもので、中々会えなかった。それでも彼女は何度も僕を励まし、支え続けた。彼女がいることで何度助けられたか。それは今も昔も変わらない。
紛れもないキセキ。そう、彼女はキセキの世代7人目、支えるキセキなのだと、僕は思う。
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