赤黒はラブラブです。 とてもラブラブです。 「姫始め」と同設定。単体で読めますが続きですね。 本文にあるルビ(ふりがな)が一部ないので「アレ?」と思う箇所があるかもです。 改行などいれずにそのままなので読み難いサンプルですみません。 ともしびサンプル 注:最初らへんは帝光回想な形です。後半から「姫始め」(高校1年冬)の続きになります。 (世界観が同じなので「姫始め」の空気感まま) 「つい魔が差して……オレは罪を犯してしまった」 深刻な顔で赤司が言うものだから黒子は固まった。 そんな告白を受けても自分には力添えはできない。 「自首しましょう」 「――そうだな」 肩を落とす赤司にまだ具体的なことを聞いていないと黒子は咳払いして恐る恐る訊ねた。 「赤司君は何をしたんですか?」 「窃盗だ」 耳を疑うしかない。赤司が盗みを働くなど考えられない。 お金に困っているようには見えない。赤司が手に入らないものがなんだったのか気になった。あるいはストレスからくる過ちなのだろうか。自分たちの年代特有の悪いことをしてみたくなる病。社会への反抗としての万引き。スリルを欲しがって優等生が落ちていくストーリーなど数多い。 どこにも味方がいなかったのなら凡百の落後者としての人生を歩むことになるかもしれない。赤司にそんな人生は似合わない。 「ボクは赤司君が何をしても味方です」 良心の呵責に苦しんでいるのなら更生の余地はある。 悪いことだと分かって反省しているのなら黒子に出来ることは罪を償うのを後押しすることだけだ。 「赤司君は何を盗んだんですか?」 「…………ラムネの瓶だ」 長い沈黙の後、出てきた言葉に黒子は目を瞬かせる。一瞬だけ視線を上げて赤司はもう一度「ラムネの瓶」と口にした。落ち込んだように視線を下に向けている赤司に黒子は変な声が出そうになるのを必死で抑えた。頭の中で「ラムネの瓶」というのが何かの隠語なのかを必死で考える。いけないクスリだろうか。文字通りであるのなら思いつくのは先週の銭湯だ。あの時、赤司の挙動はおかしかった。 雨上がりの中の帰り道。 みんながそれぞれの方向に別れていこうとした瞬間、トラックが歩道に突っ込んできた。珍しく赤司も途中までみんなと帰っていた。確か、スポーツ用品を見に行きたいと誰かが言ってまだ店が開いているから立ち寄ろうという話になったのだ。そして、店を出た後にある程度の場所で別れることになった。それが事故現場だった。 タイミングが良いのか悪いのか別の道へと身体の向きを変えていたので突っ込んできたトラックにも飛びのいて対応できた。身体が動かなかったなら腕の一本や二本ぐらいはダメになっている誰かがいたかもしれない。街路樹がなぎ倒されるだけで終わった。その場にいた誰も怪我をすることがなく済んだのだが土埃と突発的なことによる汗で身体は汚れた。別に潔癖症ではなかったが練習の後にシャワーを浴びてサッパリした後にこの事件。 警察の事情聴取を終えた後にみんなの心は一つだった。 ――風呂に入りたい。 生命の危機に瀕しても安全圏に戻ればみんな普通の子供でしかない。緊張感がなかった。 怪我がなくて良かったと思うよりも制服が汚れたことに苛立ったり、買ったばかりのボールが潰れたと騒いだり、食べかけのお菓子を惜しんだり、ラッキーアイテムの大きさが足りないせいだと悔やんでみたり、それぞれ勝手に危機感のなさを主張した。 少し歩いたところに銭湯があると誰かが提案して、誰かが乗って、なんとなくみんなでそのまま風呂に入ることになった。赤司は大衆浴場に入るのは初めてだと言っていた。緑間も温泉ぐらいしかないと口にしていたので縁がない人間はとことん縁がないのかもしれない。 黒子は三回目だった。 家の風呂が故障してしまったり、水が出ないトラブルなどが起こった時にスーパー銭湯に連れて行ってもらったことがある。大きなお風呂に色々な種類の湯船に興奮した。その思い出とはかけ離れた民家の中に隠れ潜むような銭湯は言うなれば昔ながらと言えたのかもしれない。 ジェットバスもない熱いだけの湯船に黒子のテンションは若干下がった。スーパー銭湯で勢いよく出てくるお湯の気持ちよさを知った時から黒子の中で銭湯はアミューズメント施設だ。眼鏡のない緑間が知らない子供に対して急に動き回るなと説教をしていることぐらいでは面白くない。 青峰と間違って走り回る子供に注意する緑間はもう少しチームメイトを信頼するべきだ。青峰はタオルでブラジャーを作って遊ぶぐらいで人に迷惑をかけてはいない。 百まで数えてから上がれと赤司に言われたものの黒子は七十を超えたあたりから意識が朦朧としてきた。 気付いた時には脱衣所で扇風機の前に寝かされていた。その時、黒子が目を開けて初めて見たものがラムネの瓶だった。風呂から上がった赤司が黒子の様子を見ながらラムネを飲んでいたのだ。赤司とラムネ、似合わないような気がしたが本人はとても嬉しそうだった。こんな上機嫌な赤司は見たことがない。ぼんやりとそう思っていたらラムネの瓶を頬に押し付けられた。冷たくて気持ちが良かったが恥ずかしかった。 「銭湯でのことですか?」 「そうだ。オレは瓶を返却しなかった」 「……え?」 「飲み終わったら返すようにと書かれていた。実際、回収していたのは知っている。分かった上でオレは返さなかった。気になって調べたのだがラムネの瓶は製造を中止していることもあるという。……オレは回収した瓶を洗浄して新しく中身を詰めて売っているその流れを止めてしまった」 頭を抱え込み「犯罪者だ」と落ち込む赤司に黒子は「そんなに気にしないでいいと思います」と声をかける。 慰めでも何でもない。本心からの言葉だった。 「赤司君がそんなに純粋とは思いませんでした。……どうしてそんなに後悔するようなことをしたんです? 瓶は返却するものだと知っていたんでしょう」 「言った通り魔が差した。そうとしか言えないな。欲しかったんだ。あの透明な水色の硝子が欲しくて堪らなくなった。どうせ資源ごみに出してしまうのだろうと思ったら手放せなくなった。自分の手元に残しておきたかったんだ。飲み終わった瓶はオレにとってゴミじゃなかったから捨てたくなかった。持って帰って部屋に飾っている」 そこまで赤司が気に入るだけの何かがラムネの瓶にあったというのは黒子にとって誰かに話してしまいたいような衝撃の出来事だ。ラムネの瓶は赤司を狂わせすぎだ。 黒子も嫌いではないが取り立ててそこまで特別とは思わない。 「だが、そんな風にして手にしたラムネの瓶だ。家に帰ってなくなっていたらと思うと授業にも身が入らない」 確かにラムネの瓶ならゴミだと思って捨てられてしまう可能性もありそうだった。 「ラムネの瓶ですけどもう少ししたらコンビニで売ってたりするんじゃないですか? それは回収してるって聞いたことないです」 「それは飲み口がプラスチックになっているものか?」 「たぶんそうだったと思います」 「それじゃダメだ」 こだわりがあるらしい。 「一体型のラムネの瓶がいい。あの一本のシルエットが好きなんだ」 シルエットなら飲み口がプラスチックでも変わらないと黒子は思ったがツッコミを入れることなく赤司の言い分を聞く。とつとつとあの時にラムネを初めて飲んだと口にする赤司に育ちの違いを感じたりした。ぼんやりと赤司が欲しかったものはラムネの瓶そのもの以上にラムネを飲んだ時の感動とかいろいろなものなのかもしれないと黒子は理解した。赤司がしたこと自体は大したことではないと黒子は思うのだがそれでも決まりを破ったことに対して赤司が罪悪感を覚えるのならちゃんと謝りに行けばいい。 「銭湯の人に欲しいって言えばくれそうな気がするんですけど……」 「いいや、いい」 罪の告白をしたからか赤司の顔はスッキリしていた。 「ラムネの瓶はどこにあります?」 「持ってきている」 「じゃあ、帰りにあの銭湯に行って返してきましょう。警察に行く必要はないですよ。被害届が出てないなら赤司君は出頭し損です。逆に事実関係を調べないといけなくなって、おまわりさんのお仕事を増やしてしまいます」 適当に黒子は言う。警察がどうやって人を捕まえているのか細かくは知らない。ミステリー小説からの聞きかじりの適当な知識。 「それもそうだな。まずは被害者への謝罪が第一だ」 そんなに大事でもないと思うのだが赤司がそこまで悪いと思っているのなら茶化すことでもない。 そして、部活の帰りに二人で銭湯に行くことになった。 何人かに赤司と黒子が連れだって歩いていることに対して疑問が投げかけられたが適当に誤魔化した。赤司の犯罪とも言えない出来事を暴露する気にはなれなかった。ズレているだけなら別に笑い話のように口に出来たかもしれないが鞄からラムネの瓶を取り出した赤司は真剣で笑えない。 瓶を見つめる赤司は名残惜しげで銭湯を前にしてなかなか動きださない。思わず力になりたくなった。 「……赤司君、ボクが返してきましょうか? たぶん、気づかれることはないと思います」 「いや、いい。黒子はここで待っていてくれるか」 そうして赤司は一人でラムネの瓶を持って番台に座る老人に頭を下げに行った。こっそりと覗いていればこの前のことを覚えていたのか話はとんとん拍子で進んだようだ。 これで赤司も罪悪感から解放されただろう。喜ばしいと黒子は特に自分が何をしたわけでもないのだが思った。 「怒られなかったどころかラムネを貰ってしまった」 「そういうものですよ」 「そうなのか?」 「正直者には優しくするものです」 皿を割って隠していた子供が皿を割ったことを謝りに来たらどんな大人でも頭から怒ったりしない。 (両親が大切にしている壺とか花瓶とかマグカップとか、そういうの赤司君は割ったことなさそうですよね) たとえ間違ってしまっても誤魔化すこともなく非を認めるのが想像できる。 (ちなみにボクはしらばっくれましたが……) それは怒られるのが怖いというよりも本当に反射的なものだ。悪いことをしたから隠そうとしてしまう。 それでやり過ごそうとしても大人にはバレてしまうのだがつい、目先の安全をとって知らないふりをするのだ。 「正直者に大人は優しいです。大人は嘘や誤魔化ばかりだから本当のことを言う子供に甘いんです」 「子供らしくない意見だな」 「紫原君のご年配受けを見てボクは学びました」 「あぁ、紫原は素直だからな。嫌味も皮肉もなく心の底から思ってることだけを言ってる」 「言わなくてもいいことがあると思うんですけどね」 「それこそ子供だから口にすることで誰かを傷つけることを分かったとしても自分の感情を優先して言ってしまうんだ。大人はその辺を誤魔化すからね。伝えてしまえば相手を傷つけると分かればわざわざ触れようとはしないだろ」 大人とか子供とか以前に人を傷つけることはいけないことだと黒子は思う。赤司は違うのだろうか。 「紫原は言って良いことと悪いことの区別はついているんだよ。ただ、別に好きでも何でもない相手に対して気を遣ったりする優しさなんていうものは持ち合わせてないだけだ」 嫌いな相手に対して嫌いだと正面切って口にするのは子供らしい。わざわざそんな風に揉め事を起こす大人はいない。嫌いな相手の蹴落とし方として真っ直ぐすぎる。 「だから、自分が気に入らない人間を黒子が庇うと紫原は一段と荒れるだろ? そういうことだ」 「どういうことです?」 「自分は間違ってないとお前に認めて欲しがってるんだ」 紫原の気性の激しさはいつもゆったりとしている分だけ目立つのだが赤司の言っている通りならもう少し何とかならないだろうか。 「ボクは紫原君がすごいのは知ってますよ。他のみんなだって分かってるはずです。――――ボクに、一緒になって人を追い詰める立場になって欲しいってことですか?」 「それは無理だろうね。だから、バスケの時に意見が合わないお前のことを紫原は面倒だと思っている」 「でも、紫原君は赤司君の言うことを聞きます」 「子供は大人の言うことを聞くものだ」 「誕生日は紫原君の方が早いです」 そういうことではない。赤司が言いたいことは分かっている。紫原と揉めることに意味はないと言っているのだ。平行線だからこそ絶対にぶつかり合ってしまう。二人ともが相手の意見を認められずに対立するのだから考え方を割り切れない子供なのだと言っている。 「赤司君だって大人というほど狡賢くないですよ」 ラムネの瓶で罪悪感を覚えるぐらいに純粋だ。 人の言葉をよく聞いて規則を破ることなく生きてきた優等生に感じる。少しの不正も許さない高潔さは子供っぽいのではないだろうか。 「話は戻るんだが、大人が子供を甘やかしているという意見だが……オレが特別紫原に甘いように見えたか?」 「特別扱いはしていませんが優しいと思います。言っても聞かないと諦めてるところと、紫原君自身が素直に赤司君の言うことに従っているせいだとは思いますけど」 紫原と黒子が揉めたとしても赤司はどちらかの味方につくということはない。あえて言えば紫原寄りな気もするがそれは紫原の肩を持っても黒子が理解するだろうと分かっているからだ。そこから考えると弟のために負けてやれと言われている兄の気分になる。先ほど自分で言ったように紫原の方が誕生日が早いというのにこの連想は何だ。 「……紫原君はずるいです」 「憎めないから?」 「ボクの本で虫を潰したりしましたけど許しました」 「お前も紫原の菓子を食べたりしただろ」 「それとこれとは別問題ですよ」 唇を尖らせる黒子に赤司は笑ってラムネを差し出した。 「飲むか? 付きあわせてしまったお詫びだ」 「赤司君は大人ですね」 「大人ならここで金一封じゃないか?」 「それは嫌な大人です」 謝罪に付き合っただけでお金をもらうような友人関係は破綻しているだろう。友情はそういうものではない。 「嫌な大人か、……そういうものしか周りにいないから普通の大人の姿が分からないな。紫原がかわいがられている姿を見ると子供とはこういうものなのかと思うが」 「赤司君は優秀すぎて大人受けが悪いんですか?」 それはありそうなことだ。偉ぶったわけでなくても赤司の態度にへりくだってしまう大人はいるだろう。 「黒子もわりとそのタイプだろ」 そんなことをはないと言いたかったが赤司とは違った方向で面倒な子供だと思われている可能性はある。 「ボクは影が薄いので取り立てて嫌がられはしません」 「点呼とるときにいなかったり、勝手に迷子になっていたり、何考えているんだと言われて問い詰められた経験はないのか? 何を考えているのか分からない子供は嫌われる」 図星だったので話題から逃げるように黒子はラムネの栓になっているビー玉を下に押す。 ガシュッと音を立ててビー玉がラムネの瓶の中に落ちるこの瞬間はなんだか気持ちがいい。「いただきます」と一声かけて黒子はラムネに口をつける。喉を通り抜けていく清涼感。炭酸の喉越しに肩から力を抜く。赤司にラムネを返す。全部は飲めない。先週も一口もらって黒子は満足した。目の前にあったラムネの瓶が冷たくて頬に触れられた時に気持ち良かったから一口欲しいと赤司にお願いしたのだ。赤司に対して図々しいことを言ってしまったと思ったが快く黒子の願いは聞き入れられた。 「美味しいですね」 味は変わらないかもしれないが風呂上りのあの時より美味しかった。起き上がったばかりでのぼせた黒子には冷たさは感じても味は感じられなかった。赤司からの貰い物という事で変に緊張していた事もある。回し飲みなど大した事はない。潔癖症ではないし、したことがないわけではない。心に引っかからせるような出来事ではなかったはずだ。 (どうして緊張したんでしょうね、ボク) 首を傾げたくなる。紫原に対しても別に嫌味めいたことを口にするつもりはなかった。言ってしまった後で先程の自分の言葉こそ言わないでいいことだった気がしてくる。どうしても赤司に訴えたくなったのは何故だろうか。 「赤司君、ラムネ嫌いでした?」 「いや、これは実は三回目だ」 「気に入ったんですか?」 最初は銭湯の時だろう。もう一回は自発的に赤司が買ったことになる。ラムネなど学校の自販機にあっただろうか。 バニラシェイクよりも今はラムネが飲みたくなった。 「いや、甘ったるくて正直もう二度と飲まないだろうと思っていた」 そう言いながら赤司は黒子が渡したラムネをどんどん飲んでいく。いい飲みっぷりだった。黒子には真似できない。炭酸を一気飲みすればむせるのは確実だ。赤司はそんなことはなかった。それにしても喉が渇いていたのだろうか。ラムネはすぐになくなった。名残惜しむようにラムネの瓶を揺らす。カラカラとビー玉が鳴るのが涼しげだ。 「先週も『こんなものか』と思って青峰に倣って牛乳にしておくべきだと一口目は後悔していたのだがな――」 思い出すしても赤司がラムネに文句を言っていたことはない。むしろ、なかなか美味しいと言っていた。 「ボクが一口飲んだせいで飲み足りなくなったみたいなことを言ってませんでしたか?」 飲み終わった赤司は不満げにラムネの瓶を振る。 「人が飲んでいる姿が羨ましくなるのかな。あの時も黒子が飲んだ後はもう少し飲みたい気がした。…………やっぱりこれ、持ち帰りたい」 ビー玉をカラカラと鳴らしながら赤司が困ったような顔をする。中が入っていないのに持って帰ってどうするつもりなのか。また部屋に飾るのか。 「そんなに欲しいなら一言断って貰って来ればいいじゃないですか? たぶん、くれるんじゃないですか?」 「そんなに無神経にはなれない。恩を仇で返すことになる」 謝ってラムネを貰ったことが赤司にとっては恩なのなら施しへのハードルが低い気がする。 飴玉の一つをもらっても喜びそうだ。 (浮世離れしてズレているせいで逆に親しみやすいキャラクターになってるんですか?) 赤司のことがよく分からなくなってきた。 個人的な付き合いなどほぼなく、黒子に対して相談してきたこと自体が理解しがたいようなところがある。どうして赤司に連れ添ってここまできたのかと瓶を返却してそして、お礼を言っているらしい赤司に思う。何を話しているのか知らないが年相応らしい笑顔を見せている。赤司があんな風なはにかみを見せること自体が黒子には衝撃だ。 そんなにラムネの瓶が好きで、そんなにラムネが飲めたことが嬉しかったのだろうか。こっそりとここでラムネを買って部活中に差し入れしたいと思ったが運動中はスポーツドリンク一択だと赤司は言っていた。効率重視な人らしい。黒子も同じ気持ちなのでラムネのことは忘れることにした。ラムネの瓶を返却して黒子の元に帰ってきた赤司は手を出せと柔らかな笑顔で告げた。何をされるのか怯える黒子の手のひらに水色の飴玉が置かれた。 「また機会があったら利用させて貰うと言ったらこの飴をくれた。そんなつもりはなかったんだけどね」 「赤司君は良い子ですね」 「なんだ、その言い方は。いらないなら返せ。紫原にやる」 「――貰います。赤司君は自分で食べないんですか?」 もう返せと言われないように黒子は急いで飴を口の中に入れてしまう。味はソーダだ。 「そういう物は口にしない」 「食べたことないから怖いんですか?」 「そんなわけないだろ」 「赤司君はお菓子食べると歯が溶けると思ってるんじゃないかと――」 「それなら黒子に渡すわけないだろ。帰ったら歯を磨け」 歩き出す赤司に黒子は謝る。赤司をからかうなど大それたことをしてしまった。 「本当は食べたかったりします? 美味しいですよ」 口の中にあると喋るのが大変な大きさだった。舌で押しやれば外からは頬に膨らんだように見えておかしかったらしい。赤司が肩を震わせた。 「赤司君っ」 「和むね」 そう言って膨らんだ頬を指で突っつかれた。 「やめてくださいっ」 思わず叫べば口から飴が出てしまった。しまったと後悔した時には遅い。飴は地面に落下してしまうかと思えば赤司が捕まえた。反射神経なのか目がいいのか赤司の手の中に今まで自分が舐めていた水色があることに恥ずかしくなる。黒子が謝る前にその飴を赤司は口に入れてしまった。 呆然としている黒子をよそに赤司は黒子にハンカチを差し出した。よく分からないまま受け取ると口元を指さされた。どうやら濡れていたらしい。黒子が手をハンカチでぬぐっていると赤司は自分の鞄の中からウェットティッシュを取り出して手をふいた。どうしてそんなに余裕を持っているのか理解に苦しむ。 「どうして飴を舐めてるんですか」 飴を舐めたかったのなら買えばいい。 先程まで黒子が口に入れていたそんなものは捨ててしまえばいいのに赤司はしない。 「舐めたくなったなら、それじゃなくてもいいじゃないですか。人のものが欲しいんですか? ラムネも……」 黒子が飲んだから飲みたくなったと言いたげなところが赤司にはあった。 「赤司君っ?」 何も答えることはせずに赤司は歩いていく。怒っているわけではないはずだ。少し考えて黒子は「その飴はすぐになくならないと思います」と告げる。 「別に変な顔になっても馬鹿にしたりしませんよ。赤司君と違って」 チクリと嫌みを混ぜてみたが赤司には効果がない。 返答がないのは黒子のことを疑っているからだろうか。 自分がされたことを仕返さないと気が済まないように見えるのなら悲しい。 「赤司君はボクのことなんだと思ってるんですか」 拗ねた声に赤司の足が止まる。ゴリっとなんだか痛い音が聞こえた。固いものを噛み砕く音。 「甘い」 「飴ですから」 口の中の飴を噛み砕いてしまったらしい赤司はやっと喋ってくれた。無視されるのは悲しいので良かった。 「黒子は美味しそうに食べていた気がするのだが?」 「そうでしたか?」 「なんだか食べたくなった」 「コンビニに売ってますよ」 「ラムネと同じだ。衝動的なもので別にそんなに必要でもない。けれど、欲しいと思った気持ちを抑え込むのは難しかった。――元々はオレのだったのだからいいだろ」 「そうですけど、赤司君は水色のものが好きなんですか?」 「ラムネの瓶と飴の共通点か。……そうだな、そうかもしれない。水色か。透明な色を見ていたら、つい」 「赤司君、アクアマリンとか好きですか?」 「いいや。宝石の趣味はない。カッティングされて美しいとは思うが所有欲は刺激されないな」 手元に置きたかったのがラムネの瓶や飴玉だということを考えると実は安いものが好きだったのか。 (赤司君にとってはラムネも飴も珍しいものだったりするんですかね。宝石のほうが身近で……) それは考えられなくもない話だ。 「原石ならどうですか?」 「考えたこともないね。そもそも、規則を逸脱してまで何かを手元に置こうと思ったことなんてなかったから驚いてるんだよ。でも、案外簡単に手放せた。執着していたと思ったのは気のせいだったかな」 不思議そうにまだ口の中に残っているだろう飴を舐める赤司は年相応に見えた。 「さっき、飲み終わったラムネの瓶を返したくないって」 「そう思ったけど別にさっさと返していい気もしたし、飴も噛まずにずっと味わいたい気がしたけど気にせず噛んでしまえた。……なんだろうね」 そういうこともあるとは思う。大切だと思ってこだわってみても意外にどうでも良かったりする。 「悲しかったりしませんか?」 「さぁ、不思議だと思うだけだ」 気付かないだけで後で後悔するのかもしれない。そんな連想を涼しげな赤司の横顔に黒子はした。杞憂ならいいのだがどうにも気になる。 (赤司君、子供らしさが欠けてるのかもしれないですね) きっと何も知らない。分かっていない。 「わがまま、もしかして言ったことないですか? 誰かに」 甘えたことがなさそうな人だとは思っていたが、何かを欲しいと思ってそれが許されないというのなら誰にも言わずに罪を犯すことを選ぶのは間違ってる。欲しいなら欲しいと訴えればいい。ラムネの瓶に関しては魔が差したにしても赤司の行動は不自然だった。 「赤司君は必要最低限のものだけでいいと思ってそうですよね。だから、なんだか――」 かわいそうと言うのは違う。 「――心配です」 気分を害したかと思えば赤司は顔を両手で隠していた。 「赤司君?」 「そんなことを言われたのは初めてでどんな顔をするべきか分からなくなった。……オレが、心配、……か」 「別に赤司君がどんな顔してても気にしませんよ」 弱みを見せないというよりも見せ方を知らない人なのだと黒子は赤司のことが分かったような気がした。放っておくと寂しい場所に行ってしまうのかもしれない。赤司もまだ自分と同い年で世界を知らない子供なのだ。そう思うと気が抜けて親近感が湧いてくる。器用に生きていた人間は総じて不器用になってしまうのかもしれない。 要領よくこなして経験値がある分だけ何もわからない場所への対処が遅くなる。健康に気を使っている人間こそが知らない間に病気になってしまうように目を向けている場所以外を見落としてしまう。あるいは詳しいからこそ自分は例外だと思ってしまうのかもしれない。他人ばかりを見ているから自分が見えなくなってしまう。医者の不養生なんて言葉が赤司を見ていると連想する。 ラムネの瓶のことなど黒子が気にしていたのなら赤司はきっと気にすることじゃないと言ったのではないだろうか。 自分がしてしまったことだから対処に困った。 つい、という気持ちで何かをしたことなど今までなかったのではないだろうか。魔が差したというのはつまりは自分の意思とは無関係に体が動いてしまったということだ。そんなよくあることが赤司はきっと分からなかった。無意識の声を聞くのが下手なのではないのかと飴を舐めている赤司の横顔に思った。 何を求めて、何を欲しがっていたのか。 何が聞きたくて、何を伝えたいのか。 物事は単純だというのに心が複雑だから口に出す言葉と本心に隔たりがある。意識的に赤司が使い分けて大人であれえばあるほど無意識の置き去りの子供の心は不器用だ。 エリートこそ小さな障害に躓いて人生を駄目にしてしまうというのはきっと転びなれていないからだ。負けたことのない人間は負けた後に立ち上がれないかもしれない。 苦難を知らない人間だと赤司を非難したいわけではない。 ただ、どうすればいいのか自分でも分からなくなった日が来たのなら手助けしたいと黒子は思った。 動き出した歯車を動かしている本人が止めることができないなら誰かが横からその手を掴まないといけない。それが助けであるかどうかは黒子には分らないし、赤司にはもっと分からないはずだ。間違えてしまってもいいんだと思えるだけの心の余裕ができたならまた違った景色が見えるのではないのかと思うだけ。 ラムネの瓶への執着は憧憬なのではないのかと黒子は赤司とのやりとから感じた。赤司は何でも知っているように見えて普通の中学生の遊び方を知らない。不幸だというよりもそれが赤司征十郎の生き方なのだから黒子が勝手に幸不幸を判断できるはずもない。 「赤司君は少しだけでも肩の力を抜いていいと思います」 こんな風に口にすることぐらいは黒子の自由だ。 主将をしていれば疲れることもあるはずで辛くて愚痴の一つや二つ言いたくなる日もあるだろう。 気楽に生きられる性格じゃなくても肩肘はっていてはもたないに違いない。潰れてしまう。 「十分抜いている。他の誰かの前ならこんな失態しない」 「ボクは赤司君が頼ってくれて嬉しかったですよ?」 「頼った?」 「違うんですか?」 「――頼った、な。確かに……どうしてだ?」 自問するような赤司にひとりごちた。 「今回、赤司君は魔が差してしまったかもしれないですけど、取り返しがつかないことをしでかしたわけじゃないんですからそんなに気にしないでいいと思います。一人で謝るのが嫌ならボクも一緒に行きます」 「どうしてだろうな。他の誰かに言われたのなら不要だと断りそうなものなんだけど……いま、黒子にそう言われてオレの心は軽くなってしまった」 きっと今回の出来事は赤司にとってイレギュラーなことなのだ。自分の気持ちが分からないなんてこと今までなかったはずだ。だから、赤司は混乱している。支えたいだなんていう大それた考えを黒子が持ってしまうぐらいにその日の赤司は隙だらけだった。思わず黒子は赤司の手を握る。 「大丈夫です。いつだって罪を憎んで人を憎まず、です」 赤司がしたことはそもそも、罪だとも思わない。 けれど、失敗をしたことのない人間はミスに厳しいのかもしれない。なんだって出来るから出来なかった場合を想像しない。赤司が悪いのではなくそういう風に生きていただけだ。不器用な人間を糾弾することなど出来ない。 「黒子、変なことを聞くが――オレが嘘を吐いてもお前はオレのことを許せるか?」 「嘘の質にもよりますけど……赤司君が言うなら必要な嘘であるような気もしますね」 何を言うつもりなのか黒子は緊張した。 夕日が完全に落ちた街の中で点々と灯をともしている街灯がまるで星のように綺麗だ。昼間のあたたかかった空気を残している風はやわらかい。甘いソーダ味の飴玉の香りが少しだけおかしかった。赤司の頬が紅潮しているのは気のせいだろう。街灯が赤みを帯びた光を発しているだけだ。目の錯覚だ。繋いだ掌の温度が上がっているのも思い違い。 「オレはお前が好きみたいだ」 それはどちらだろう。嘘なのか、本当なのか。 赤司がくだらない冗談を言う人間だとは思わない。 無暗に人を傷つけたりしない。冗談のつもりであるなら今みたいな顔をするだろうか。 少しだけ潤んだ瞳。拒絶を恐れるような顔は皿を割ったことを母親に謝る時の自分の顔なのではないのかと黒子は思った。どうしてかとても怖い。怒られるのが怖いのか片づけるのが嫌なのか。そんなことではない。皿を割ったというのは取り返しがつかないからだ。それを告げるのは怖い。万引きをした人が盗んだものを返して終わりとはならないように始まったことをなかったことにするのは大変だ。 皿を割って知らないふりをする方が楽なのだ。。取り返しのつかないことの責任をとるよりも胸を痛ませる罪悪感だけで済む。やり過ごせる。許してくれなかったらどうすればいいのか分からなくなる。壊れたものは戻ってこないのだから謝罪以外できようがない。だから、罪を犯すことはとても怖くてそれを誰かに告げることもまた恐ろしい。 「――冗談だ。いいや、好きなのは嘘じゃない」 「どっちです」 「いいじゃないか。嘘でも許してくれるんだろ?」 はぐらかすように赤司は笑う。 これもまた魔が差したのだろうか。 口にするつもりのない言葉がこぼれ出したのだろうか。 「嘘でもボクは嬉しいです」 そう言えば赤司は微笑んだ。見たことのない種類の顔だ。 胸が締め付けられるような赤司の表情に苦しくなっていく。嘘が嘘ではなければいいと思った。たとえ今は嘘でもいつか本当になればいい。 (略) 「赤司が記憶喪失ってマジか?」 どうしてよりにもよって火神からこんなことを聞かないとならないのだろうか。黒子の手に持っていたバニラシェイクが倒れて中身がこぼれる。それに構うことすらしない黒子に「マジなのか」とチーズバーガーを口に入れるのをやめて火神が溜め息を吐く。赤司が記憶喪失など黒子は聞いていない。知らない。いつからそんなことになっていたのか分からない。正月は普通に会ったのだ。何の問題もなく過ごしてしまったことが逆に違和感があるほどに温かな幸せだけを手にした三が日だった。 満たされきって離れがたいぐらいの濃密な時間。 思い出しても身体が熱くなるような数日間からまだ一カ月も経っていない。 「黄瀬から連絡が来たんだけどよー。なんでか、黒子に聞きたいけど聞きにくいって」 「そうですか。火神君、黄瀬君と仲良いですね」 「よくねえーよ。お前に探り入れろってことだろ。これは。面倒くさいこと押しつけやがって。……って、別に黄瀬となんかあったわけじゃないんだろ?」 「たぶん、赤司君のことだからボクに言い難かったんだと思います」 「なんでだ?」 言われて黒子は自分が赤司と恋人同士だからだと言えなかった。まだ混乱していたからか男同士で恋人同士なのだと言うのがはばかられるからか、よく、分からない。ずるずると心に引っ掛かった言葉に突き動かされて逃げている。 (略) 「緑間君、赤司君のことについて何処まで知っていますか」 「オレに聞くのは筋違いなのだよ。赤司本人に聞くといい」 「――記憶を失っていると聞きました」 「そうらしいな。興味はない」 それは嘘だと思った。緑間はドライで意地っ張りで変人ではあるが冷たいわけではない。 「どのぐらい記憶がないのかとか」 「だから、赤司に聞くのだよ。オレが知った時から病状は改善したかもしれない。あるいは悪化した可能性もある。お前も赤司の電話番号やメールアドレスは知っているだろ」 それどころか洛山の住所なども聞いている。 連絡を取ろうと思えばいくらでもできる。 「なんで教えてくれないんですか!」 「逆に聞くがどうして赤司の状態を知りたい。お前は知る必要があるのか?」 恋人だから当然だと言いたい気持ちを黒子はグッと堪える。口にしてしまってもいいのかもしれない。それでも黒子は言えなかった。緑間が黒子に侮蔑を投げかけてくる可能性を思ったわけではない。そんなことで差別はしない気がするし、同性を好きだということで嫌悪されても気にならない。それぞれ感じ方があるだろうから黒子は好意的に受け入れられないと生きていけないなどとは思わない。 誰に変な目で見られても構わない。失望されても拒絶されても嫌われてもきっと平気だ。傷ついても立ち直ることが出来る。けれど、同じ立場に赤司が居ることになるのだと考えると呼吸が止まる。怖い。辛い。逃げ出してしまいたくなる。それは甘美な痛みではなく苦ったらしい鈍痛。 胸が張り裂けてしまいそうな痛みだった。 黒子は極力、外で赤司と手を繋いだりしない。 口付けも人目を盗んで密やかに。 誰にも赤司との関係を口にはしない。 そうして二人の仲を守っていた。もし、公然と付き合うことで赤司に嫌な思いをさせてしまったら、とその可能性を考えるだけでも黒子の息は止まりそうだった。何もせずに赤司に嫌われてしまうことはある意味では仕方がないかもしれない。黒子テツヤという人間を受け入れられないというのなら仕方がない。けれど、違う。そうじゃない。気を付けることで回避できるのなら黒子はいくらでも慎重になる。石橋を叩いて渡ることぐらい当然だ。相手は赤司征十郎なのだからそのぐらいの気は遣うべきだ。 『好きな相手のことはもっと信頼するべきだ』 きっと赤司は黒子の不安を察していた。 分かってくれていた。ただ黒子自身が未熟で信じ切れなかっただけだ。疑ってかかっている。愛も心も周囲の人間のことも何もかもを信じてなどいなかった。怖いのは傍にいられないこと。怖いのは自分を許せなくなること。 自分のした言動は自分に返ってくる。自分の責任を自分が取らないで誰がとるのだ。だから、苦しくて遣る瀬無い。 間違ってしまったら取り返しがつかない。嫌われてしまった時にもう一度好きになって貰うにはどうすればいい。興味がないと思われた時にどうすれば自分を見て貰えるのか分かるわけがない。 『あまり執着心がないのかと思った。影が薄いということは自己が希薄だということだ』 そんなことはない。黒子の中に赤司への執着は深く根付いている。自分から切り取れないぐらいに強くて時々、怖くなるのだ。赤司のことを考える時、黒子は色々なものが怖くなる。自分の心臓がとても不規則な鼓動を奏でて落ち着かない。身体は緊張して自然体とは言い難い。この不自然さは赤司にもバレているのだと思えば嫌われたり、呆れられたり、不快に思われる原因だ。考え出すと身体が震える。困らせたくない。迷惑をかけたくない。嫌われたくない。そう黒子が思うのは赤司を好きだからだ。 好きなだけでいいと消極的にやり過ごす。自分だけで思いを完結させて誰にも伝えず秘めていく。それは確かにどうしようもなく自己満足だ。 自己満足で黒子は良かったのだ。自分だけが赤司を好きで思いを返してもらわなくても構わなかった。決して、赤司からの気持ちが嫌なわけではない。 それでも、自分の気持ちだけでよかった。 困らせたくない。迷惑をかけたくない。不快にさせたくない。嫌われたくない。プラスになればマイナスになることは簡単だ。底辺のままならこれ以上は落ちようがない。上がれば落ちる。それは当然の話だ。人生の山あり谷ありを楽しめるほど黒子はまだ大人になれない。有頂天になった後の沈み込む気持ち。自分に対する無力感。分かっていてもどうにも出来ない自分の本質。 『影が薄いということは自己が希薄だということだ』 黒子は自分がないとは思わない。けれど、人に見つけられないのは確かだ。そのせいで友人も少ない。集まりに顔を出しても居ない扱いになってしまうので集団で遊びに行くことはバスケを除いてなかった。 バスケへの執着、赤司やキセキの世代への執着は言葉にするよりも行動によって黒子は示していた。 中学時代の赤司と黒子の関係も言葉にしたことはなかったが黄瀬や青峰にはバレてしまっていた気がする。距離感の近さを考えれば妥当だ。知っていたとしても、それでも彼らは変わらなかった。けれど、一度も黒子は口にしたことはない。言わなかったのではなく言えなかった。執着しているからこそ手放す可能性があることなど出来ない。 赤司に嫌われたくないから口を閉じる。 『テツヤは何も分かってないね。それは僕の事じゃなくてお前の事なんだよ。僕の気持ちは変わらない』 思い出すと泣きそうになる言葉。 これは、そのまま好意的にとるのなら赤司は黒子の不安は杞憂だと告げているのだ。黒子が気にしていることなど大したことではないと言っている。赤司のことを思って黒子は動かないが赤司はそれが黒子の保身だと指摘していた。言い換えれば、赤司は黒子の行動によって黒子を嫌いになどならないと告げていたのだ。昔からずっとそういう風に赤司は言ってくれていたかもしれないが黒子にとってその言葉を頭から信じるほどの心の強さなどなかった。どうしても気後れしてしまう。好きだと言葉にして伝えてくることなどほとんどないのに赤司の好意は痛いぐらいに伝わってくる。黒子が歯痒く思うところまで織り込み済みの言葉たちに赤司の予定通りに翻弄される。 もし本当に赤司が記憶喪失になってしまったのだとしたらそんな日々も全部が崩れてなくなったということだ。積み上げたものが何もかも取り消された。今更、黒子ができることなどあるのだろうか。ない。何もない。それでも、動かずにはいられない。好きなのだから諦められない。 「知りたいんです、赤司君の今の状況を」 「……そうか。練習中に怪我をしたと聞いた。その時はなんともなかったが検査をして家に帰った翌日、目を覚ましたら記憶に障害が発生していたらしいのだよ」 重々しく緑間は赤司の状態を告げる。 頭の一部に物理的な傷により発生した障害であるので時間が経って傷が治れば記憶も回復するという見込みである。 現在、赤司は自宅療養中。 そして一番重要なのが――。 「一月三十一日?」 その日付を緑間から聞くことになるとは思わなかった。 続きは本編で。 「姫始め」は赤司の誕生日についてと大晦日とお正月。 「ともしび」は黒子の誕生日とバレンタインデー。 発行:2013/3/17 |