赤黒はラブラブです。
とてもラブラブです。

本文にあるルビ(ふりがな)が一部ないので「アレ?」と思う箇所があるかもです。
改行などいれずにそのままなので読み難いサンプルですみません。


姫始め



 赤司のことを思う時、黒子は不整脈になる。いつの間にか心臓の鼓動が滅茶苦茶なのだ。早鐘を打つのならまだ理解できる。そんなことは練習中でも試合中でもよくあるからだ。
 ドキドキと高鳴る鼓動。コートの中の熱気も何もかも自分の中の時間を加速させて体力を削っていく。
 その感覚は好き嫌い関係なく馴染みのものだった。
 高揚感、張り詰めた空気。手ごたえと充実感。赤司と入れ替わりでベンチから入る時いつも言われることがあった。
『お前がチームを動かすんだ』
 影として光を支えるプレイスタイルは一見すると補助のように見えるかもしれないが赤司にとっては黒子が導いているようなものらしい。誰にも見えない場所でひっそりと理想とされるボールの配置を行う。ゲームを支配することができる。
 もちろん、黒子の力量が足りなければその限りではなかったが大体の場合が赤司の望み通りに試合は進んだ。黒子が赤司の言う通りに動けていたからだ。
 赤司は見えないものを大切にしていた。
 普通なら黒子の実力のなさに見切りをつけるはずだが赤司はちゃんと教えて居場所をくれた。それは赤司にとって特別なことではなかったはずだ。いつだって適材適所に人を配置することが出来る。人を見ているからだ。
 赤司に必要とされることは嬉しかった。
 けれど、赤司の視界に自分が入るのは緊張する。
 身体中が痺れる感覚があった。めまいでも起こしてしまったかのように目の前がぼやけて平衡感覚がなくなる。
 手を伸ばして赤司の手を握れば崩れ落ちることはなくなったが戸惑って波立った心はそのままだ。
『黒子』
 過去にそう赤司から呼ばれるたびに黒子はビクついていた。
 どうしてだろうか。
 怒られると思っていたわけではない。
 赤司の気性は別に激しくはなかった。
 冷めているように見えるぐらいに淡々としていた。
 見方によっては冷徹に感じられたかもしれないが優しさの温度も確かにあったので悲しいとか苦しいとかそんなことは思わなかった。今にして振り返ってみると赤司の言動はとりたてて絶賛するほどの優しさなどなかったかもしれない。黒子の感覚はただの欲目なのかもしれない。
 黒子が赤司に対して感じる気持ちは崇拝と敬愛が大部分を占めていた。同い年であるのに主将を務めているその姿に別次元の存在だと思っていた。同時に赤司も赤司で色々と苦労をしているらしいのは感じていた。苦労というのも赤司の生活態度から考えておかしいのかもしれない。一癖も二癖もあるキセキの世代、それをまとめ上げた赤司征十郎。黒子は短くない期間、赤司の隣にいたが全てを理解することはできなかった。誰でも自分以外の誰かの考えを完全に把握することなど難しいかもしれないが赤司は誰とも違う人間だった。そうであろうとしているようだった。
 実際のところはともかくとして黒子は端から見ていて赤司の在り方に傍観者として心の中で拍手を送っていた。まとまりのない天才たちを鶴の一声で黙らせる赤司は相応の実力の持ち主だ。貫禄がありすぎる。その誰をも納得させる実力を支えているのが圧倒的な才能だとしても赤司はそれだけではない。緑間が人事を尽くしているというのなら赤司も同じだ。赤司が自主的なトレーニングに手を抜いているところなど見たことがない。赤司がそんな風にバスケに対して真摯であるからこそ周囲は赤司をキャプテンと認めて従うのだ。
 けれど、中学の時、気まぐれに練習などサボってしまおうかと黒子に聞いてくることがあった。
 意外だったので覚えている。きっと本気ではない軽口だ。
 驚いて反応できないでいる黒子に赤司はすぐに前言を撤回した。冗談にしても赤司がそんなことを言いたくなるなど耳を疑ってしまう。そのぐらい黒子の中で赤司は絶対だった。
 夢を見ていたのだと言われれば高校になった今なら反省できるかもしれない。黒子は赤司に理想を押し付けていた。
 そして、同時に赤司も黒子に理想を抱いていたはずだ。
 決して自分の元から飛び立つことのない都合のいい駒。黒子がバスケットボール部を退部するまでそう思っていたはずだ。赤司の意思を全うする都合のいい駒でありたいとそう思ってて欲しかったのは間違いなく黒子自身だ。駒であることで、赤司の言う通りに動くことでチームが勝利するなら良かったのだ。ストイックなまでに勝利を求めている赤司の姿に黒子は魅入られていた。自分もその一部になっていたかった。
 おかしくなっていく鼓動。赤司が求めているように勝利を絶対としていれば自分の気持ちも落ち着くのかと思ったが駄目だった。同じ場所に立っているという思いは勘違いだったのだ。赤司の心と黒子の心を重ね合わせる事が難しい。実質、無理だった。赤司は勝利を欲しがっていたのではなく当然あるべきものだと思っていた。敗北を恐れたり遠ざけようとするのではなく自分には関係のないものだと切り捨てたのだ。
 元々、持っていないものを切り捨てると表現するのはおかしいかもしれない。赤司と黒子の考え方の違いは埋められない溝として二人の間に横たわる。

 けれど、それと恋慕は別だった。

 赤司征十郎は確かにすごかったが一人で生きているわけではない。帝光中学バスケットボール部のやり方がキセキの世代の個人技だけで勝ち進めていくのだとしても人数が揃わなければゲームはそもそも始まらない。
 ベンチに自分がいないと始まらない。そう思いたかった。
 自分の代わりなどどこにもいない。そう思いたかった。
 そう思えなくなったからこそ黒子は離れることを決意したのだ。それは赤司との訣別のはずだった。バスケをしている内は完全に離れることなどできる訳がない。忘れられない。
 赤司のことを思うと黒子はいつでも不整脈になる。
 呪縛のようだ。考えないようにすれば赤司のことなど一切思い返すことなく生きることができた。高校の自分は大丈夫だと思っていた。けれど、再会してすぐにやはり心は落ち着かなくなる。心臓が早鐘を打って時折緩やかになり無理矢理に心臓自体を掴まれてしまうような怖さがあった。
 これは不整脈なのだ。鼓動が早くなるだけではない。
 逃げようと思っても見下ろす視線が強すぎる。
 目をそらせなくなって息を飲むと自分の血流の異常に気付いてしまうのだ。赤司も絶対に分かっている。黒子の緊張をわかった上で泳がせているのだ。悪趣味だと思う。
 質量のある空気をゆっくりと飲み込んでいくおかしさ。
 水が空気になったようだと言えば赤司はきっと楽に息をするやり方を教えてくれるだろう。そういうところが優しいのだ。そして、残酷だ。呼吸の仕方を知れば知るほど黒子は赤司から逃げるタイミングを失ってしまう。むしろ息を吸うことこそが赤司と共にいる理由のようになっていく。縛られる。
 WCで黒子が勝ち上がってきたのも赤司の手の上で転がされているような気がしたのだ。黒子への信頼と言えば聞こえはいいが単純に赤司の頭の中身が未来予知すら可能にしているからではないだろうか。赤司の凄さの証明であり黒子への気持ちなどそこにはない、そう思っていた。
『テツヤ』
 そう赤司に呼ばれるたびに心の奥がざわつく。
 張りつめた気持ちでいないと顔が熱く火照ってしまうかもしれない。赤司の声を聞くだけで落ち着かなくなるのは昔から変わらなかったが下の名前で呼ばれると顕著だった。
 抱きしめられながら囁かれたからかもしれない。
 苦しくて切なくて他の何もいらない程に求めたくなる。
 暗い夜道で手招きしているあやかしだと言われても納得してしまう。赤司はそのぐらい黒子の目から見て『普通』という枠組みから遠かった。
 年相応に見えなかったのはそういう立ち振る舞いを幼いながらに望まれているからで人の上に立つことが板についてしまったからだと赤司は静かに黒子に言ったことがある。
 黒子に実感が湧かなかったとしても二人は恋人同士だった。
 だから、誰も知らない赤司の姿を目にすることもある。
 先入観や思い込みで正しく赤司を見ることが出来ない黒子でも赤司は気にせず傍にいてくれた。キセキの世代と呼ばれるほどに五人の才能が他の選手より特出することがなければ今もまだ黒子は赤司の隣にいたかもしれない。
 敵として向かい合わなければならない理由は複雑であり単純だった。
 黒子は好きだからこそ言わなければならないことがあった。
 伝えるべきこと。証明しないといけないこと。
 個々の技能だけで力押しで蹂躙するような試合の流れは痛ましいのだ。嫌になってしまう。努力が実る瞬間が楽しいのに努力すればするほどにその楽しみは消えていく。
 皮肉なその状態を打破させたい。彼らが無自覚の中に埋もれさせている感情を引き上げたい。勝つのが当然なのはつまらなくないだろうか。贅沢な悩みだとしてもつまらなさを感じていたからこそ赤司の言動に傲慢さが滲み出したのだと黒子は思う。
 本当は立派な感情などではないかもしれない。
 ただ隣にいる赤司を見ると黒子がこういった行動を起こすのを待っていたような気がする。
「好きです」
 口にすれば赤司は嬉しそうな顔をする。
 触れ合った手に力がこもる。
 まさか赤司が誕生日を祝われなかったことをここまで気にしているとは思わなかった。こっそりと探りを入れた限りでは青峰も黄瀬も赤司に一言メールなど出していたらしい。それならば紫原や緑間も何かしらアクションをとっただろう。
 自分ばかりが何もしなかったのだと突きつけられてしまい黒子は証に対して申し訳なさと同時に言い訳が浮かぶ。
(赤司君、……ボクのこと好きなんですか?)
 全然信じられない。黒子から愛の告白を口にすることで赤司が喜んでくれることが全てなのに黒子は自分が新幹線で京都に連れ去られることすら他人事だった。現実感がない。





(略)





 赤司が黒子へ向ける感情は多少物騒で大概子供っぽい。
 そう感じているのは赤司だけかもしれない。けれど、いつでも赤司征十郎は充分すぎるほど年相応だった。
 好きな相手とは出来るだけ長い間そばにいて、相手の時間を奪い取ってしまいたい。向けられてくる甘酸っぱく淡い好意をかき集めて舌先で味わいたい。笑顔も泣き顔も感情のすべてを手に入れてしまいたい。相手を嫌える理由を探してどんな相手の姿も許せる気がして愛情の深さに自分自身を笑ってしまう。年相応の不器用さを自分はしっかり持っている。
 赤司の中での不器用さが全て黒子に向けられたのは幼かったからだ。それ以外の理由などない。
 黒子以外の人間の前で涼しい顔をして立ってみせるのは義務である。何者にも負けることない勝者の義務が赤司の首を絞めたとしても黒子は最終的に自分を見捨てたりなどしないと固く信じていた。赤司は完全無欠な帝王としての振る舞わないといけなかったが、誰にも弱味を見せないというわけでもない。例外のたった一人はちゃんと隣にいてくれる。
「テツヤは僕のことをどう思ってる?」
 こんな風に聞いてしまうのは甘えではないだろうか。
 何度も赤司は頭の中で自分に対して駄目出しをする。
 嫌われたり呆れられたり幻滅されたりしないだろうか。
 弱い自分を教えることはそれ相応に危険もある。赤司は黒子が自分のどんな部分を好いているのか知っている。
「……その、恋人だと思ってます」
 新幹線のグリーン車で隣り合って寄り添い合いながらブランケットの下で手を握り合う。時間のためか人は疎らにいた。室内の空調は丁度よくブランケットなど必要なかったが誰にでも見えるように堂々と手を繋いだり肩にもたれ掛るのは黒子が嫌がった。いや、嫌ではないのかもしれない。黒子が気にしているのは「誰か」の反応ではなく赤司の気持ちだ。赤司が嫌がるかもしれないとそう思っているのだろう。
 優しさではなく恐れ。怖がっているのが赤司からの拒絶ならそんなことはあるはずがないと言ってしまえるのだが黒子が抱える悩みはそんなに単純なものではない。
 繋がりを恐れるのは失うことに怯えるからだ。それでも、抱き着いて黒子は赤司を引き留めてこうして一緒に京都に来ようとしている。その事実を黒子はもっと深く考え噛みしめるべきだ。何を求めて何が必要なのか答えはすでに出ている。
 知らないふりをしようとするのは恐れからだ。目が曇っている。そんな黒子の姿は愛らしいが憎らしい。赤司との関係を自然消滅したとしても仕方がないという風に考えていたのならちゃんと思い知らせないといけない。何もまだ終わってない。今年はまだ二日間残っている。
「窓の外はもう暗いね」
「はい」
 静かな黒子の声を聞いていると一年前に戻った気分になる。
 捨てられた犬のような目をしていた黒子が爪を研ぎ牙を剥いたのは成長だと言える。
 冷静そうに見えて極度の混乱と煮えたぎる恋情を黒子が赤司に対して持っていてくれているのを知っている。目を見ればわかる。二人の立ち位置が変わってもそれだけは変わらない。赤司がリードすることがなければ黒子は思いを心に秘めたまま開け放つことなどしなかっただろう。
 愛を伝えようとは思っていないからだ。
 例えるならば本の感想と同じだ。
 黒子が読み終えた本を手に取って赤司に絶賛したことがある。本の内容というよりも作者に対して敬愛の念を強く口にするものだから赤司はつい尋ねてしまった。
『作者本人にその感想は告げないのか?』
 黒子はそんなことなど考えたことがなかったのか目を丸くした。少し考えて「思っているだけじゃ伝わりませんね」とポツリと言った。好意的な感想も愛情も規模や種類は違うかもしれないが赤司には同じように見えた。本人に伝えることもなく打ち消されるという意味では同じだ。誰かに語ったことで、あるいは自分自身で反芻することで想いは昇華してしまう。どれだけ素晴らしい作品だと思ったところで、どれだけ愛おしい存在だと感じたところで言葉にして伝えなければ分かりようもない。伝え方の種類は一つではないかもしれないが受け止める相手は一人だ。その相手に届かない方法をとるのは間違っていると言える。
『黒子は伝えたいと思っていなかったのかもしれない、けれどオレが作者なら聞きたいと思うね』
 それは告白の催促だ。黒子が何も言わずとも赤司を好きなのは知っている。いいや、踏み込んで言うのならきっと黒子はバスケに関わる全ての人間に好感を持っている。博愛主義ではないが人間嫌いでもない。自分の身内になった相手に対して黒子は普通に親愛を向ける。赤司は友愛の枠組みから抜け出したかった。土壌はできている。けれど、黒子が自分から赤司の元に来ることはありえないとも思った。
『黒子はオレが好き?』
 無理矢理に奪いつくすように赤司は黒子から恋慕を引き出した。愛情はあっただろうし、慕ってくれていたのも間違いない。それだけの気持ちなら恋になることはなかった。赤司が黒子を誘導したのだ。
 自分の好きな本に対して思い浮かべた感情がそのまま赤司に対するものへと変わっていく。本当は別々の話題だというのに同じものだと錯覚させて混乱の中で答えを求めさせる。
 読後の高揚感から熱心に黒子は本への感想と作者への気持ちを口にした。赤司の指摘に黒子は作者に手紙を出そうという気になっていたのかもしれない。そんな黒子の心理を利用して同じように心に浮かびながら赤司に伝えていない気持ちがあるのではないのかと背中を押す。逃げられるわけがないと息を飲んでいる黒子に思った。赤司からの返事はすでにしている。聞きたいと赤司が言ったのだから黒子が口にしないはずがない。そういうものだ。
「何か食べたいものはある?」
 客室乗務員の方へ視線を向けながら赤司は黒子にたずねる。
 昔にちゃんと言質をとったことを赤司は自分の人生で最大の勝利だと思っている。黒子の中の愛情の状態が未分化であったのなら赤司が何もしなかったのなら黒子の中の愛情は別の誰か、何かをした人間へ流れていくのは分かりきっている。
 人間は単純だ。優しい人が好きで、強い人に憧れて、素直な心があるのなら自分が出来ないことをする人を敬うものだ。時には劣等感に苛まれて嫉妬に駆られることもあるだろうが自分の今の状況を改善しようと思うのならマイナスに見える感情も起爆剤として働き結果的にプラスの効果になる筈だ。
(何が言いたいかといえばテツヤは――)
 まず間違いなくキセキの世代を愛している。
 それを恋と呼ぶには溝がありすぎる感情ではあるが勘違いさせたまま突き落せば逃げられなくなるぐらいには愛情は深い。赤司は自分に引き寄せて他者を近づけることはしなかったが高校からの半年以上の月日が黒子に与えた影響は大きかったらしい。泳がすように焦らすように自分から連絡を取らなかった赤司にも非があるのかもしれないが黒子が赤司以外のキセキの世代に向ける視線の優しさが気に食わない。
 自分が案外子供っぽいのを赤司はちゃんと自覚している。
 勝つのが当然の勝負などつまらないと思っていたが、黒子の隣にいる権利を賭けた勝負なら過程の楽しみなど捨て置いて全力で勝ちに行く。当たり前だ。
(テツヤは僕のものなんだから)
 関東に残った緑間、黄瀬、青峰が羨ましいなど赤司は思わないが誕生日にメールを貰った時に交わした雑談。
 紫原も含めて全員がちゃんと黒子に祝われたらしいことを聞いてしまえば奥歯を噛み締めたくなる。決してそれは敗北の味などではない。これからどうするべきかの指針だ。





(略)






 新幹線の旅はあっという間だった。
 気づいたら京都についていた。
 眠ってしまっていたのかと思うぐらいだが車内での時間が短いと錯覚するのは楽しく刺激的だったからかもしれない。
 ブランケットの下とはいえ手を握り合うのは黒子にとっては挑戦だった。何かの弾みにブランケットがずれ落ちて二人の手が重なっていたことを誰かに見られたらどんな言い訳が成立するのだろう。見たままに判断するべきかもしれないが赤司は後ろ暗いことなどないと相手の予想を肯定することを口にしてしまうかもしれない。想像だけで身体が震える。嫌な予感としての震えではない。期待からの身体の反応だ。堂々と赤司との関係を宣言したい反面、逃げ道のように残しておきたい。男を好きになるということが黒子には抵抗がある。
(違います、本当は)
 赤司の微笑みに心臓が熱くなる。不整脈から抜け出せない。
 愛おしさは黒子の全身を蝕む病のように離れてくれない。
 本当の気がかりは赤司が自分のことを好きだということだ。
 二人が想いあっていることが勘違いであるならば黒子は冷静でいられたかもしれない。畏怖と尊敬と恋慕を混ぜ合わせて濁った瞳で黒子は赤司を見ていた。理想とされるべき帝王の姿と年相応にも感じられる同年代の少年の姿。どれも全部赤司なのは間違いないのに黒子の中で認識が噛み合わない。
 赤司からの気持ちを否定したいわけではないのに赤司が自分と同じ気持ちであると考えるのは神を射殺すような罪深さを感じてしまう。
 たとえば、天使に性欲は存在するのだろうか、そんな問いかけ。疑問に思うそれ自体が対象を侮辱している気がする。赤司に対する黒子の潔癖さも同じだった。
 自分が赤司に対して懐く気持ちがどうしようもなく俗っぽいからこそ同じように思われているなど信じられない。けれど、実際は同じであるのかもしれない。赤司が俗っぽいことに不満があるわけではなかったが黒子は勘違いではないのかと混乱してしまうのだ。赤司から思われることは嫌であるはずがないのに黒子は混乱して上手く向き合えない。
 赤司と恋人同士であることを誰に恥じることもなく堂々としていたい。同時に誰にも二人の間を知られたくはない。
 自分に向けられる悪意や差別は構わないがそれが赤司に向けられるのは我慢ができない。
 偏見の目や軽蔑や罵り。赤司に届く可能性があるのなら全部隠してしまいたい。触れ合いたいのに尻込みする。愛してるから怖くなる。黒子の中にある常識と欲望の天秤。独占欲を満たして愛情を実感したいという欲求と普通の人と同じようにしていたいという気持ちがある。後ろ指をさされるのは誰でも嫌だ。いいや、自分は問題ない。赤司に水を向けられるのが堪らなく嫌だった。
 沸々と煮えたぎる思いは中学時代から変わらずにあった。
 赤司と違って黒子は自分の気持ちの制御などできない。
 黙して語らない事もあるし、分かりにくい事が多いかもしれないが黒子は決して無感動なわけではない。情緒が死んでいるのではなく外にそれを伝える機能が豊かではないだけだ。
 何を考えているのか分からないと言われるが何も考えていないわけではもちろんない。
 微妙な心の均衡を新幹線でブランケット一つで維持できた。
 赤司がそういう風に導いてくれたのかもしれない。
 黒子が息苦しくならないように黒子以上に気を利かせてくれる。小さな気遣いに気づけば気づくほど逃げ場がなくなっていく。心臓は小刻みに収縮と弛緩を繰り返す。血の巡りがよくなって身体全体が熱くなるこの感覚はいつになっても慣れることがない。
 赤司のそばでは馴染みのようになっていたこの気持ち。
 くすぐったくて口元が緩んでしまう。
 グリーン車のゆったりとした席で窮屈なほどに赤司に身体を密着させる。離れていた時間を埋めるには微々たる触れ合いではあるがキスをしたそれだけで黒子の心は満たされた。
 自然消滅して失ってしまったと思った二人の関係が変わらずに継続していたことを改めて思い知らされた。
「赤司君、これから――」
 瞬きを繰り返して黒子は上がりそうになる息を整える。
「昔ながらの長屋があってね。近くに蕎麦屋から配達もあって便利なそこに行くよ」
 赤司の所有物なのか借りているだけなのか黒子は分からなかったが、聞きたいのはそういうことではないと首を横に振る。潤んだ瞳から涙がこぼれかけて黒子は目を擦ろうとする。
「テツヤ、ダメだよ。言っているだろ。お前はすぐに赤く腫れてしまうんだから擦るんじゃない。……道路が混んでいるようだから暫くかかるよ。窮屈だけど我慢するんだ」
 告げながら赤司の指先は止まらない。
「この時間なら空いていると思ったけれど、大阪方面に行く車に巻き込まれたのかな? 別の道を通れば比較的早く着くんだけどこういうのも悪くはないだろ」
 涼しげな赤司の声に黒子は全身を震わせる。
 笑いながら「寒いかい?」と赤司はたずねた。
 運転席を見て空調を調整させようか言ってくる赤司に黒子は首を横に振る。酷い。こんな状況で寒さなど感じられるはずがないのは赤司が一番よく分かっているはずだ。黒子が求めていることも知った上で試している。どんな反応になるのか待っているのだろうか。見つめられているのだと思うとそれはそれで堪らない気持になる。車の中にいるのに振動がほとんど感じられないのでついこの密室が部屋の中だと勘違いしてしまいそうになる。間違いなく外だというのに黒子の身体は赤司を求めてヒクついている。
「最後までしてしまうのもいいけど、テツヤはどうして欲しい? 久しぶりだから布団の中まで待っているかい」
 副音声のように「耐えられるならね」と聞こえる。
 小さく喘ぎながら黒子は痛いほどに血液を送り出す心臓をなだめようとする。黒子を半裸にして赤司が押し倒してきたのは車に入ってすぐのことだった。車内は暖かかったのでマフラーとコートを取るように言われた。タクシーや一般的な車よりも広く感じる赤司の送迎車。運転席と黒子達が乗った後部座席は黒い目隠しの仕切りがつけられていた。行き先は知っているからか運転手と赤司は一切、会話をしなかった。
 仕切りがあったとしてもすぐ近くに第三者がいる状態で半裸になって盛り出す自分に黒子は幻滅していた。車は決して密室ではない。運転手以外も人はすぐ近くにいる。大通りを走っているということなら周りには沢山の赤の他人が存在するはずだ。窓ガラスは黒くなって視線を遮断しているかもしれないが流されていい場面ではない。赤司に脱がされたとはいえ拒絶せずに受け入れているのは黒子自身だ。
 靴も脱がされて車のシートに押し倒された。シャワーなど浴びていないと思い出すと恥ずかしくなる。赤司の顔が腋に近づいてくるのを黒子は止める。気持ちがいっぱいいっぱいだった。泣きそうだ。
「おふろまだですから」
 声を絞り出して訴えれば赤司は噴き出した。
 口を押えて肩を揺らす赤司に黒子は呆然とする。
 こんなに笑われることを言っただろうか。
 赤司の笑いのツボが分からない。
「テツヤのそういうところは嫌いじゃないよ」
 フォローになっていない。
「それはね、テツヤ、嫌がるための言葉じゃなくて誘い文句だ。汗の匂いなんて気にならないって答えたらどんなことでもしていいんだろ?」
「そんなことはありません」
 赤司が言う「どんなこと」が何であるのか期待するように心臓の音が大きくなる。赤司の左手が黒子の心臓近くに触れているので黒子の気持ちなどバレてしまっているだろう。それが恥ずかしいのに赤司が嬉しそうに笑みを深める姿に喜びを感じてしまう。好きな相手に触れられるのが嫌なわけがない。どんな場面でどんな状況でも嬉しいものは嬉しい。
 けれど、赤司の家の人間が車を運転しているその後ろでこんな行動に出るのは間違っている。いやだ。恥ずかしい。同時に仕切りがあって運転手には何も分からないのだからいいという気持ちにもなる。赤司からの遠回しなカミングアウトにもとれるので強い拒絶もできない。試されている気がした。
 キスをされて理性的な思考の大部分が流れていく。
 響くリップ音が新幹線の中との違いを実感させる。新幹線の中ではもっと音が立たないように赤司は気を付けてくれていた。あるいは殊更、いま、音を響かせているのかもしれない。エンジン音がほとんど聞こえず振動も感じないような車内。快適と言える車の中で行為にふけるのは邪悪な楽しみだ。
 気持ちがよくてふわふわとしていれば下半身がいつの間にか裸だった。上半身もシャツしか残っていない。手際がよさ過ぎて黒子は自分が自主的に脱いだのかと思い返してしまう。
「あかしくんっ」
 思わず口からひきつった声が出る。
「ん? テツヤは前と後ろ、どっちを先に弄って欲しい?」
 耳元で熱く吐き出される声に夢心地のようなふわふわさは消える。ひとり、灼熱の中に放り投げられたように熱い。
「テツヤはすぐに白い肌を赤く染めるね。赤みが目立つのは色白だからかな? 僕のつける跡が目立っていい。あぁ、そのためにテツヤの肌は焼けにくいのかな」
 黒子の腿の内側を赤司が指でなぞる。それだけで電気的な快楽が黒子を揺さぶる。追い詰めていく。肌が焼けていないのは下着に隠れている場所だから当然だとかなんとか頭の中では赤司の言葉に反論があるのだが血が下半身に集まっていくと視界がぼやけてくる。性器が硬くなり存在を主張する。身体の反応に気まずくなる黒子を尻目に赤司は嬉々として黒子を追い詰めていく。赤司の指に握りこまれて上下にこすられているのだと思うだけで果ててしまいそうだ。羞恥心が快感になって襲ってくる。
「先走りで、もう手が汚れてしまったな」
 事実とはいえ突きつけられると目を閉じて耳を塞ぎたくなる。逃げ出したいのは赤司の愛撫で感じていることなのか、赤司の手を自分の欲望で穢してしまったことなのか。
 黒子が自分から求めたのではなく赤司に押し倒されて翻弄されているにも関わらず申し訳ない気持ちになる。
 赤司が自主的に黒子に対して行動を起こしているというのに責任は自分にあるような気がしてくるのだ。赤司のせいでこんなになってしまったと文句を言ってもいいはずなのに出来ない。赤司を欲しがって黒子の身体が熱くなっているのは黒子自身が理由だ。
 手を繋げて嬉しかった。キスができて嬉しかった。今こうして抱き合おうとしていることもまた嬉しくて堪らない。
 上手く欲しがることが出来ない黒子を赤司は見捨てないでいてくれる。途切れてしまって二度とは繋ぎ合うことのない二人の仲だと思っていたのに赤司は平然としている。目の前で赤司が堂々としているとそれがどれ程おかしなことでも納得してしまえる。だというのに赤司が自分に欲情しているのを黒子はなかなか認められない。自分が赤司に欲情しているのは確かであるから問題ないのに赤司が前をくつろがせて質量を増した性器を見せてくることに違和感しかない。
 恥ずかしいでも照れ臭いでもなく、ただただ疑問だった。
 何処にどんな風に興奮する理由があるのか分からない。
 自分の気持ちと照らし合わせれば答えは見えてくるのに頭の一部が切り替わらずに混乱している。


発行:2013/1/6
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