ゾンビまみれの世界で拾われた燭台切の話 | ナノ

三話


「せ〜んろはつづく〜よ〜」

 隣から至極楽しそうな声色の、しかしやや音程の外れた歌声が聴こえてくる。僕はその調子が狂うような歌声を聴きつつ、周囲の様子をきょろきょろと見渡す。辺りでは僕らの乗った自動車以外何も動いていない。そのことに、心の底から安堵した。
 ――しかし次の瞬間、死角から何かの“かたまり”が飛び出してきたかと思うと、ゴンッ、と鈍い音がした。窓に薄汚れたなんらかの液体が付着しているのを見て、僕はわずかに顔をしかめる。
 歌声の主はそれに気づいているのかいないのか、わざとらしく音程を外した歌声で歌い続けていた。

「ど〜〜こま〜〜〜〜で〜〜も〜〜〜〜、…………? …………ん? あれ? 執事さん、この後の歌詞ってなんでしたっけ。もうこのワンフレーズしか思い出せない呪いにかかってしまったんですけど……」
「うーん……僕もわからないかな」
「そうですかー。こうして人々の文化や文明は失われていくのかもしれませんね」

 だって、もう歌える人がこの世に何人いるかもわかりませんし!
 運転席の彼女は至極楽しそうな声を響かせながら、ハンヴィーを走らせ続けていた。
 ――昨日、彼女に拾われて以来、僕はこうして助手席に乗せてもらっている。あの歩く死体を斬ってからすぐに車に乗せられて、「とりあえずお約束としてショッピングモールを目指しましょう!」と意気込んでいる彼女に全て任せている状態だった。
 もう少し何か意見を出すべきかとは思ったけれど、僕は今記憶喪失ということになっているので、口を出すのは少し不自然かと思って黙って同乗させてもらっている状況だ。
 僕はふぅ、と小さく息を吐いて、窓の外へと視線を向けながらその時の会話を思い出す。

『やっぱりショッピングモールが一番安泰だと思うんですよ。ホームセンターが入っている店舗ならもう最高ですね。ちょっと遠いですけど、当てがありますよ。行ってみません?』
『ほーむせんたー……って、色々な道具が売っているところだよね』
『そうですそうです。……執事さん、ちょっと世間のことに疎い感じですよね? もしかして執事じゃなくて、おぼっちゃまの方でしたか』
『……そうではないけど、少し……今の人間の社会には、疎いかもしれないね。色々教えてもらえると助かるよ』
『はあ、了解しました。やっぱり光忠さんは面白い人ですね。“こんなこと”になった世界で、そういう漫画みたいなキャラの人がどれくらい残っているんでしょうか……まあ全然いいんですけど、なんだか面白いですし。……あれ、今私面白いって二回言いませんでした?』
『言ったね』

 ――そもそも、僕は人じゃないんだけどね。

『じゃあとりあえず、郊外の大型ショッピングモールに向かいましょう。食料や物資が残っていますように!』

 ――僕はそんな彼女の言葉を思い出しながら、流れていく景色を眺める。さっきから外に見えているのは止まってしまった電車の車両と、それが走るために敷かれている線路、という光景だ。さっき彼女が歌っていたように、それはどこまでも続いているように見えた。
 それにしても、と僕は線路をじっと眺める。映像資料で見たことはあれど、こうして直接見たのはこの世界で目を覚ましてからだった。
 本丸にいた頃は、外に出るといえば遠征、あとは主の付き添いで万屋に行くくらいだ。僕らが遠征に行く時代ではまだこの電車は無く、今まで見る機会がなかったので、初めて見た時は少し感激した。僕らの主が元いた世界には、僕らの知らない・触れていないモノがたくさんあるんだ、と。
 ……線路上に走っているのが、人間の屍ではなくて電車そのものだったら、もっと感激したに違いない。
 運転席の彼女が、左手で線路を指さした。

「見てくださいよ光忠さん、あそこの踏切に死ぬほど死者が詰め込まれています。さながら満員電車ですね!」
「満員電車って線路上にヒトが溢れかえっているものを指すんだったかな……?」
「なんだ、満員電車は知ってるんだ……んなことあってたまるかって感じですよ。にしても、なんで線路上にごった返してるんでしょう。お祭りかなあ」

 彼女がけたけたと笑い、僕らの車は死者がひしめき合う踏切を通り過ぎていく。いくつかの個体がこちらに反応していたが、下りたままの踏切を超えられないのか、こちらを追ってくるものはなかった。

「お、追っかけてこないですねぇ。この辺はまだ穏やかでいいですね、走りやすくて」
「穏やかってなんだろうね……?」
「襲われなきゃ穏やかなんですよ」

 果たしてそうだろうか、と首を傾げつつ、僕は窓の外を見て小さくため息を吐いた。
 こうして線路沿いに走り続けて、おそらく丸一日が経過している。何度かあの歩く死者がいないところで止まっては休憩をしているけど、もう結構な距離を走っているから少し気疲れしてきたところだ。僕の身体の疲労はそこまでではないけれど、彼女の方はどうなんだろうか。
 ちらり、と運転席を見やると、彼女は歌うのをやめ、今度は歌よりも上手に聴こえる口笛を吹きながら楽しげに運転している。……疲れているのかいないのかわからないけど、そこまでの疲労はなさそうだ。この状況で口笛を吹けるのは、逆に心配になるけれど。
 ずっと運転してくれている彼女に申し訳なくなって、僕は少し俯いて謝罪を口にした。

「ごめんね、僕は運転ができなくて」
「いやあ、全然。私運転好きですし、もう生きている歩行者や走っている車がいないので逆に気楽ですよ。万が一何か轢いちゃっても、大体は元から死んでますからね」
「言われてみればそうだね……」

 そういう問題ではないけれど、確かに安全運転を考えなくても良い状況ではあるのだろう。ここで納得するべきではないと思いつつ、僕は複雑な気持ちで頷いた。

「それに、光忠さんが車を運転できないから何だって言うんですか。あなたはそれを補って余りある戦闘力と刀をお持ちなのでオールオッケーですよ!」
「そう、かもしれないけど……ごめんね。馬なら乗れるんだけど」
「えっ馬乗れるんですか!? すごくない!?!」
「あっ危ない、前、前を見て!」

 彼女が目をカッと開いて僕の方を見るので、僕は慌てて前方を指さした。どこからか飛び出してきていた死者をはねたのか、ドン、と鈍い音がして車体が少し揺れたが、車はそのまま走り続ける。……問題なく運転を続けられるようだから、今の音は聞かなかったことにしよう。
 事故を起こした張本人も気にしていないのか、何も変わらない調子で会話を再開する。

「え〜、乗馬できるんですか、すごいなぁ……一体どこの出身なんですか? どこかの国の王子だったとか? ああ、光忠さんは記憶喪失執事侍でしたね」
「それ、まだ引っ張るんだね」
「インパクトが強くて気に入ってるんです」

 どこが彼女のお眼鏡にかなったのだろう、と僕は苦笑した。

「それにお料理も得意なんでしょう? もう向かう所敵なしじゃないですか」
「そ、そうかな……? まあ、材料があれば作れると思うよ」
「ヒュー! 楽しみだなあ!」

 相変わらず状況に不釣り合いな楽しげな笑みを浮かべて、彼女はハンドルを切る。
 それから少しの間を置いて、「あ」と彼女は声を上げた。

「どうしたんだい?」
「光忠さん。私は今、大変なことに気づいてしまいました」
「た、大変なこと?」

 彼女が深刻そうな顔をするので、僕もつられて真剣な表情を作る。この状況下においての「大変なこと」というと、あまり軽く捉えられるものではなさそうだ。僕は一つ唾を飲み込んでから、彼女の言葉を待った。

「私達、昨日出会ったばかりですね」
「……そう、だね。それがどうかしたのかい」
「ノリで光忠さんを乗せてしまいましたが……ご家族やお仲間はいないということでいいんですか?」

 彼女の質問に、僕は頷きかけてからはっとする。
 そういえば、僕と同じような刀剣男士はこの世界に存在していないのだろうか。そもそも僕らは政府で保管されていたはずの、少し変わった刀剣男士だ。前の主が亡くなった後、刀解処分を受けずにこのまま残されることになった、記憶をある程度保持したままの一度は顕現したことのある刀剣男士。それが僕だ。主の死後は政府預かりとなり、政府の職員として働いたり、新しい本丸の新しい主の元で刀を振るうことになるかもしれない、ということで眠りについたはずだった。
 しかし、僕が目を覚ましたのはあの廃ビルの中だった。政府の保管室じゃなかったのはどういうことなんだろう? そして、あのまま偶然彼女が見つけなかったら僕はずっと眠ったまま――あの廃ビルが崩れ、瓦礫の山に埋もれることになっていたのだろうか。それとも、歩く死体の下敷きになって、腐食した体液が保管箱の中を満たしていく中、刀身が朽ちるのを待つだけだったのかな。……考えただけでも恐ろしい、というよりはおぞましかった。
 そう考えると、彼女が見つけてくれて本当によかったと思う。何故僕があの場にいたのかはわからないけれど、眠ったまま死んでいくよりは余程いい。

「あの……大丈夫ですか? やっぱりご家族はいらっしゃらなかったんですかね。そもそも記憶喪失ですし、いたとしてももうわからないとか……」
「っ、ああ、ごめんね。一応、思い出してみようと思って――」

 僕が長々と思考の海に潜っていることが不安になったのか、彼女に声を掛けられて一度思考が中断させられた。
 そこから再び考える。もう離れてしまったからわからないが、あのビルには僕が保管されていた箱以外には何も見当たらなかったように思う。だから、僕と同じような刀があそこにあったとは考えにくい。……もしかしたら見落としていたのかもしれないが、今となってはもうあそこに戻るわけにもいかないだろう。もしかしたら仲間を見捨ててしまったのかもしれない、というひっかかりは、僕の胸の中に暗い不安を滲ませた。
 しばらくして、僕は彼女に向き直って口を開く。

「うん……いなかった、と思うよ。……少し聞きたいんだけど、あのビルに僕が持ってきたものと同じような箱、あったかな?」

 後部座席に置いてもらっている箱を指差しながら、僕は少し小さな声で問うた。

「え? 箱……ですか。私が光忠さんを見つけた部屋にはなかったですよ。武器とか物資とか、ビルをまるごとひっくり返す勢いで探しましたもん、何もなかったのは確かですねえ」

 彼女の言葉に、僕は心底ほっとした。これで、僕の周りには誰も放置されていなかったことが確定したといっていい。隅々まで確認してくれたであろう彼女に心から感謝した。

「ああでも、あの部屋だけなんらかの紙は散乱していた気がします。ちょっと気になって読もうと思ったんですが……汚れすぎて、読めなかったんですよねえ」
「……そう、なんだね。ありがとう」

 もしかしたらそれは、政府に保管されていたことを示す書類だったのかもしれない。戻れるものなら戻ってもらいたいという欲が出てきてしまったが、ここは彼女の「読めなかった」という言葉を信じるべきなのだろう。胸元で手をきゅっと握った。
 そっか、と彼女が安心したような声を出して、再び話を続けた。

「一緒に行動していた人がいないなら別にいいんですよ。流石に生存者を置いてきぼりにするのは気が引けますしね。――そう、それで、私が気づいてしまった大変な事というのはですね!」
「う、うん」

 彼女は前方を見ながら僕のほうにもちらりと視線を向けて、びし、と派手な効果音がつきそうな勢いで僕の顔に向かって指を指した。

「私、記憶喪失侍の光忠さんに、この死体まみれになっている世界の現状を一切説明していない気がします!」
「現状? ……あっ!」

 僕は思わず口を覆う。そういえば、連れてこられるがままにこの車に乗せてショッピングモールを目指しているけれど、そうだ、何もかも説明してもらっていない気がする。
 彼女は申し訳無さそうな声で僕に謝りながら運転を続けた。

「いやー、すみません本当に。あのままあそこにいたらふたりともゾンビの餌だな! と思って、とにかくどこかに行こうかなーと思っちゃったんですよね。というかむしろ、よくここまで大人しく助手席に乗ってましたね。何もかも忘れてるんなら、てっきりあそこから質問攻めにされるかと思ってましたよ」
 でも大人しく乗ってるので私もそのことを忘れていました、と彼女は言う。
「ああ……ごめんね。何が何だか分からないままだったから、それすらも忘れていて……」

 僕が思わず謝ると、彼女はあはあ、と気の抜ける笑いをこぼした。

「光忠さんが謝ることないのに。多分ここからの旅路もまあまあ長いですし、今のうちに話してしまいましょうか」
「ああ、君がよければお願いしたいな。――どうして、こんなことになっているんだい?」

 僕は再び窓の外を眺め、死者がいないかを確認する。このあたりは一人二人くらいしか歩いていないようだった。こちらには向かってこないのに安堵して、僕は彼女に視線を向ける。

「そうですね……そろそろ日も暮れそうですし、もうちょっと走ってから、どこかに停めて話をしましょうか。周りを見渡せるところがよさそうですね」

 彼女の言葉に頷いて、僕は静かに助手席に座り直した。


|
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -