ゾンビまみれの世界で拾われた燭台切の話 | ナノ

十三話


 ――それはどうも、隣の棚のあたりから響いてきている。

「やばい雑談してる場合じゃなかった、何かが近づいてきている聞こえる気がする!」
「そうだね、そろそろこの場所から離れよう」

 女と燭台切はうなずきあったが、女が「いや!」と短く声を上げながらカートにカゴを乗せる。

「最後にあっちの医薬品コーナーだけもうちょっと漁りたいのであと一往復する必要があります!」
「ええ!? さっき結構積んでいたじゃないか!」
「もっと必要なものがある気がしてきて……! ここを最後にもうお店寄れないかもと思うと不安で!」

 確かにこれ以降、これほどまでに品物の残った店に寄ることができるとは限らない。彼女の言うことも最もか、と、燭台切は短くため息を吐いた。

「ああもう、次で最後にするんだよ」

 まるでわがままなきょうだいのような会話を繰り広げていると、付近からはぐちゅり、と湿った足音が響く。燭台切たちが視線を向けていた物陰から、背が高めの死体や、ドラッグストアの制服を来た元店員であろう死体が複数体顔を出す。それを見た女が大げさな動きで頭を抱えて口を開いた。

「あー! なんてこったー!」
「叫ぶのをやめよう、音に反応してこっちに来るんだろう!?」
「そうなんですけど、もうここまで来たら逆にこちらに引きつけたほうがいいかもって」

 女は楽しそうに笑いながら、燭台切に視線を送ってハンドジェスチャーでその意図を伝える。燭台切は少し渋い顔をしたがうなずいて、女から少し離れ、死体の来ていない方の裏側へと回り込んだ。
 燭台切が移動したのを確認して、女は明るく、大きな声で叫ぶ。

「ああー、ドラッグストアの店員も数体いる! 惜しいなあ、もしかしたらホームセンターとショッピングモールの次くらいに役立つかもしれないスポットだったのにこんなに死骸どもに占拠されて!」

 大きく口を開けて笑っている女のほうに、数体の死体の視線――もうどこを見ているかわからないが――が向けられる。死体はそれなりの速度を持って女の方へ移動を始め、生きた血肉を求めて手を伸ばした。
 それを目を細めて眺めながら、女はとん、と後ろに短く跳びながら言う。

「でも弾がもったいないので! ここは執事侍こと光忠さんに斬ってもらってさっさと退散します! やっちゃってください!」
「ああもう、そこまで大きな声を出さない!」

 女が距離を取った直後、死体の裏に回り込んでいた燭台切が鮮やかな手付きでその数体の首を落とす。ひゅう、と下手くそな口笛を吹き、女はカートに足を掛けた。

「刀は音が出なくていいですね」
「でも君が結構大きめな声で叫んだし、多分遠くの個体も集まってくるんじゃないかな……」
「失礼しました、ついテンションが上がっちゃって。じゃあ行きましょう」

 そう言って、女はカートを押しながら、燭台切は刀を構えながら出口目掛けて走り出した。
 燭台切は女の少し前を走りながら、周囲に死者がいないか確認をする。女は重たいカートを引いていてもまだ余力があるのか、帰り道も手早く残った商品を集めながら出口まで駆け抜けていった。
 出口を出る前に女の背後に回った燭台切は、勢いよく振り返る。死者がいないか、と警戒しての行動だったが、案の定彼らはすぐそこまで忍び寄っていたようだった。
 自分たちの数メートル後ろに足の速い個体が着いてきており、彼らは今にもこちらに襲いかかろうとしている。燭台切は静かに刀を振って、女の背に向かって伸びていた腕をその胴体から切り離す。それから流れるように首を落とした。

「あっはー! ナイスです光忠さん! やっぱりあと三往復はしたいので背中はよろしくお願いします!」
「そんなに往復して大丈夫かな!? 僕にも限界がある、よっ!」

 そう言いながら、燭台切はふたりの立てた物音に気づき迫ってきていた死者を一体蹴り飛ばす。こうなったらこの店舗内にいる死者を全員斬ってしまってもいいのかもしれないと考えながら入口を見張っていると、車に全て積み込んできたらしい女が戻ってきて再びカートを押して駆け抜けていく。

「あっ、危ないよ!」

 まだ全員倒したわけではないのに、と燭台切が止めたものの、女は先程から妙に高揚しているのか身体の衝動をうまく抑えきれないようだ。燭台切が急いで着いていくと、女は申し訳無さそうに、しかしやはり楽しそうに笑って口を開く。

「すみません、光忠さんが頼りになりすぎて……あっ、やっほー!」

 女は爆速でカートを押しながら駆けていたが、その次の瞬間横から現れた腐った腕を視認すると、いつの間にか握っていたバールを振りかぶってゾンビのこめかみ部分を思い切り殴りつけた。すでに腐っているであろう体液が服にかかりそうになったのか、女は顔を歪める。

「あっ、しまった。汚っ」

 ちょうど急所に当たったのかその死体はすぐに動かなくなったが、女はもう一度念入りに頭を潰した。その様子をなんとも言えない表情で見守りながら、燭台切は女に声を掛ける。

「ああ……ごめんね、このあたりで一体取りこぼしがあったみたいだ」
「いえ、私だってちゃんと倒さないといけませんから。よし行きますよ、ゴーゴー!」

 そんな会話を交わしてから、女は再び目当ての薬をぽいぽいとカゴに放り込んでいく。

「……というか、他の武器も持っていたんじゃないか」

 さっきのやり取りは一体何だったんだ、と燭台切が内心つぶやくと、女は手の中でバールを回してから口の端を吊り上げる。

「違うんですよ、昔拾ってそのまま放っておいたのを忘れていたんです。あと一応対人用じゃないですし、これ。工具ですから」

 女の言葉に苦笑を浮かべて、燭台切は女を諭すような口調で言った。

「そのバールくんからしたら、君から忘れられていたのは寂しいかもしれないよ。これからは使ってあげてね」

 できれば本来の用途で、と燭台切が付け加えると、女はやや間を置いてからバールをじっと眺めて、感情の読めない顔で返事をした。

「……そういうものなんですねえ。ごめんよ、バール」

 それで会話は打ち切られ、女と燭台切は無駄な言葉を発することはなく、あとは淡々と物資を運んでいくのに徹したのだった。



 ドラッグストア周辺に歩く死体の姿はない。ここへ来るまでにあらかた片付けておいたおかげか、物音を立ててもこちらへ近づいてくる影はなかった。
 ふたりは問題なく車に乗り込む。大分荷物の増えた後部座席を一瞥してから、女がアクセルを踏んだ。スムーズに発進した車の中で、女がにこにこと微笑みながら言う。

「ふう、なんとかなりましたね。さよなら死に支配されたドラッグストア!」
「何事もなくてよかったね」

 そんな短い会話を交わして、ふたりは一度口を閉ざした。女は軽く鼻歌を歌いながら運転をして、広めの大通りを抜けていく。途中何体かの死体が車の方へと顔を向けていたが、走って着いてくるようなタフな個体はいなかった。
 次の目的地まではそれなりに遠い。運転中は暇になる、と気づいたらしい女が、燭台切に向かって口を開いた。

「今のドラッグストア、ほんとに物資がたくさん残ってましたねー。流石に生鮮食品はもう厳しいですけど、非常食とかお菓子とかは全然いけそうでよかったです」
「みたいだね、いろいろなモノがかなり多く残っていたし……もしかして、早々に占拠されたせいで生きのこりの人たちが入れなかったのかな」
「ああ、多分それですね。しかも入り口あたりに密集してるから、入ろうとしても入れなかったんでしょうね」

 燭台切の疑問に、女が納得したように答えた。車が揺れるたびに後ろでがさがさとレジ袋が擦れる音を聞きながら、ふたりは会話を続ける。

「あそこにいたのは私達がほとんど倒しましたから、生き残っている人が辿り着いたとしたら、比較的楽に食べ物を手に入れられますね。あのお店は大きいですし、まだ食べられそうなものは十分残ってますし。ああ、でも――」

 ハンドルを切りながら、女はにこりと笑って言う。

「もう生き残りの人間なんて、私達以外いないから無意味ですよねえ」

 彼女の言葉に、燭台切は少し間を置いて返事をした。
「……わからないよ。もしかしたら、ただこのあたりにはいないだけかもしれないし」
「そうですかねえ。そうかも」

 女は興味なさげに答えると、一度膝元に広げておいた地図を片手に持ち、それを横目に運転し続ける。

「よそ見運転は危ないよ」
「すみません。轢いちゃってもどうせ死んでるかと思って」
「そうかもしれないけど」

 燭台切が咎め、女は一応、と言った素振りで周辺を確認しながら進む。燭台切は地図を代わりに持って、目的地までの道を確認し始めた。――やはりまだ遠いが、この調子なら二日後くらいには到着できるかもしれない。それくらいなら集団に襲われでもしなければ問題ないだろう、と納得して、視線を窓の外に向けた。
 しばらく鼻歌を歌っていた女が再び口を開く。

「でも私、光忠さんと出会ってから他の生きた人間に出会っていませんから……やっぱり私達以外の人類、死滅してしまったんじゃないか、って思っちゃうんですよ」
「そう……だね。確かに僕も、生きている人間を見かけてはいないけど……」

 少し複雑な気持ちになり、後部座席を見やって燭台切は答える。どうせ後ろに生きている人間が乗ることもないしいいだろう、ということで、食料や水、その他の物資を人が座る隙間もないくらいに詰め込まれていた。
 彼女の言う通り、燭台切自身も彼女以外の人間に出会っていない。もはやこの世界には、自分たち以外は魂をうしなった歩く屍ばかりが闊歩しているとしか思えなかった。
 ただ――燭台切自身は、人間ではない。
 己は人の姿をして人の言葉をあやつる存在だが、刀の付喪神だ。しかしそれを彼女に言ったとして、納得など出来るはずもない。人の姿を形どった付喪神と言われても意味がわからないだろう。彼女は出会った直後から、己のことを「生きている人間」としか見ていないのだ。
 今更だが、彼女から人間として見られていることに対してひどく罪悪感を覚える。もし自分が人外の存在だと知ったらどうなるのだろうか?
 隣で少し楽しげに運転している女を見やる。燭台切は彼女から見えないように、左手の拳をぐっと固めて、窓の外を静かに眺めていた。


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