ゾンビまみれの世界で拾われた燭台切の話 | ナノ

十二話


 生きている人間がいない夜がこんなにも静かになるとは思いもしなかった。
 何度目かになるひとりぼっちの夜を多くの“残骸”に囲まれながら、空を見上げてため息を吐く。
 ――もはやこれまでかもしれない。
 己を作り出した人間も、己をつかう人間も、己の仲間も――主も、きっとこの世界にはもういないに違いない。たとえ生き残っていたとしても、ここまでたどり着き、言葉を交わすことなど不可能に近いことを痛いほどに理解していた。
 せめて最期くらいは誰かに看取られたかったが、世界はそううまくできていないのだ。
 人の身を得たばかりにこのようなことを考え、想うのだったら、いっそ今折れてしまえたならどんなに楽だろうか。
 しかしそれは許されない。せめて己の役目を果たさなければ、ここでひっそりと生き延びている意味がない。
 ――彼は周囲に何も動くものがいないことを確認し、ため息を吐く。まだ刃に残っていた血を落とすために一度本体をひゅ、と振り、それからその場に座り込み、浅い眠りについた。




 死を探す破滅の旅路であったとて、その途中に死んでいいわけではない。例の温泉宿へ向かうためにはそれなりに長い道のりを往かねばならない、しかし今の状況ではふたりが生きるための物資が足りない――ということから、燭台切と女はまずは食料を調達せねばどうにもならない、という結論に達していた。
 人間の世界に動く死体が発生してからもうそれなりの期間が経ち、その間に生きている人間が少しでも生き延びるために無事な店は荒らされきっており、めぼしいものは取り尽くされている店が多かったが――旅の途中、ふたりはなんとか生き残っていた店を見つけていた。
 今や珍しいといえる割れていないガラス張りの自動ドアの前で、女は仁王立ちでその向こうを見据えていた。それから少しして、今や自動では動いてくれないドアを、音を立てないように両手で開く。

「――スーッ……」

 それから唇を薄く開いた深呼吸をして、己の背後、そして入口から先を見渡す。――周辺には動くものの気配はない。それを確認した後にクラウチングスタートの姿勢をとったかと思うと、

「ご!」

 と小さな声で短く言葉を発して、開け放しにしたドアから店内へと入り、まっすぐ駆け抜けていく。
 十数メートル走ったところで左折をしてそのまま進もうとするが、女はきゅっ、と足音を立てて急停止をした。目の前にはもう使うことはできないであろう医療品を踏み潰しながら進んでいた死体が数体いたのである。――そのうちの二体ほどが、こちらの足音に反応をして身体を向けてくる。

「やべっ」

 また短く言葉を吐き、女は持っていた石を右奥商品棚のほうへと投げる。それはがつん、がん、と何度か大きめの音を発し、死体は女の狙い通り音のした方へと体を向けた。
 ある程度道が開けた瞬間、女は至極真面目な顔で食品コーナーまで全力疾走する。
 ――後ろを振り返ると、追ってくるものはいなかった。このあたりにはもう死体はいないようだと、女は短く安堵のため息を吐いた。
 死体避けがある程度済んでいる食品コーナーでは、燭台切が手早く食品を選別してかごに入れている。女の姿に気がついた燭台切は顔を上げると、小声で女に問いかけた。

「戻ってきたんだね。よかった、大丈夫だったかい?」

 燭台切の問いかけに、女もまた小声で、しかしはきはきと元気よく答える。

「はい、見ての通り元気です! でもそろそろ危ないかもしれないです。今来る途中で三、四体が立ちふさがっていたので、別の方向に引きつけてからここに来ましたもん」
「危ないじゃないか!」

 燭台切は、今しがたした石を投げたような音を思い出す。あれは女が発した死者を引きつけるための物音だったのだと理解し、眉根を寄せて女に視線を合わせながら口を開いた。

「だから僕も一緒に戻るよって言ったのに」

 至極心配そうに言う燭台切に対して、女は楽しそうにからからと笑った。

「だーいじょうぶですよ、私、こんな地獄で今までほぼ一人で生き残ってきたんですよ? ウォーキング・デッドの十体や二十体、どうとでもなる、と言っても過言ではありません」
「流石にそれは過言だよね?」
「はい!」

 にこにこと答える女に対して、燭台切は呆れ顔でため息をついた。――しかし、その次の瞬間はっとして、腰に携えていた己の本体の鯉口を切る。それに気がついた女は、目を軽く見開いた後に身を少しかがめながら前方へと素早く踏み出した。
 女と燭台切が交差した次の瞬間、短く低いうめき声が聞こえた後に、どさり――と、死体が崩れ落ちる音がした。
 女はふぅ、と息を吐きながら振り返り、申し訳無さそうな表情を作る。

「うひゃあ、すみません。一体こっそりと着いてきてたみたいですね」
「いや、物陰ばかりだから気づかないのも仕方がないよ。怪我がなくてよかった……それにしても、僕が斬るってよくわかったね」

 合図も何もしていないのによく身体をどけたものだ、と、燭台切は内心驚愕しながら言葉をかける。そんな彼の言葉に、女はほんの少し照れくさそうに笑って言った。

「やー、一週間程度とはいえここまで一緒に死地をくぐり抜けてきた仲じゃないですか? 光忠さんが戦闘状態に入るなーってのはなんとなく雰囲気でわかりますって!」
「そういうもの……なのかい?」

 頬を掻きながら微笑んで言う女に首を傾げながら、燭台切は内心独り言を言う。

(まあ、修羅場を乗り越えてきた子だから……これくらいはできるようになった、のかな)

 最初に出会ったときもそれなりに状況判断が早かったことから、この地獄に身を置かれてそれなりに動けるようになったのだろう。何より、別に己の動きに合わせてもらえる分にはまったく問題がない。
 少し複雑な気分になりながら、燭台切は気を取り直して周囲を観察した。死体は近くにいないようで、今のところここは安全だ。手を動かしながらふぅ、と短く息を吐きながら思案する。
 この大きな店は、ドラッグストア、というらしい。以前の主のもとで顕現した際に現代の知識として聞きかじったことはあったものの、自分が買い物に行くのは万屋ばかりで、実際に行ったことはなかった。まさかこんな状況になってようやく縁ができるとは、と店舗内を見渡す。きっとこの世界が正常なままだったならば、ここには多くの人間が買い物に来ては世間話をして、重たい荷物を両手に帰っていくような光景が見られたに違いない。
 しかし今この店の中にいる無事な人間と言えば彼女だけであり、その他はすでに命を落としたはずの死者が腐敗した身体を引きずって徘徊しているだけだ。

「燭台切さん、どうかしましたか」
「いや、なんでもないんだ。さっさと済ませてしまわないとね」

 女に声を掛けられて、燭台切は思考を続けながら商品棚の方に向き直った。
 誰かが決死の覚悟で締め切ったのであろう入口の鍵をこじ開けて、入口周辺にたむろっていた数体の死者を斬ったり潰したりして活路を開いてこの店に入ってきたが、やはり一瞬も気は抜けない。この店は個人商店と違って背の高い商品棚が密集しているせいで、物陰からそろりと死者が出てきてもなかなか気がつけなかったり、曲がり角を曲がった瞬間ばったりと遭遇する、ということが多くあるのだ。
 ふたりで手早く物資をかき集めて車へ積み込んだ後、湧いて出てくる死者を斬る……といった流れでなんとかここまで来ているが、流石にそろそろ潮時だろう。これが最後だろうか、と考えながら、慎重に周囲を見渡しながら作業を進める。
 そんな考え込みながら作業をする燭台切の横で、女が今しがた彼が斬った死体の服を漁り始めた。一瞬硬直して、燭台切は彼女に声を掛ける。

「何してるんだい、危ないよ」
「大丈夫ですよ、ここで手に入れた分厚いゴム手袋をしていますから」
「衛生面の話じゃなくてね」
「あ、髪の毛を抜いて鬘を作ったりするわけではないですから、大目に見てください」
「倫理の話でもなくて……」

 それで会話が一度打ち切られ、燭台切は女の手元を見やる。確かに彼女はいつの間にか手袋をしていて、腐敗した身体や溢れ出てきている血が手に付着することはなさそうだが、先程まで動いていた死者の懐を漁っているのはやや倫理観に欠ける。とはいえ、こんな世界で生き残るためにはなんでもしなくてはならないのでは――と、燭台切がなんとも言えない顔で生返事をすると、女は普段はあまり見ない、感情のない顔で手を動かしている。
 燭台切はその間、周囲を警戒しながら持っていく食料を選別していたが、やがて一分も経たないうちにその作業は終わったのか、女は「うーん」と短く唸って立ち上がった。

「こいつも外れだなあ」
「何か探しているのかい?」
「はい、何か武器になりそうなものを持っていないかなと」

 女ははあ、と大きめのため息をついてから口を開く。

「包丁だとか、この際果物ナイフとかでもいいんですけどね。刃物があれば、槍だとか作れるじゃないですか? それならある程度距離を保って攻撃できそうですし……」

 彼女の返答に、燭台切は目を丸くして思わず尋ねる。

「どうして武器なんて……」
「だって、私の持っている武器……扱えるものって、銃だし。弾がなくなったら何もできなくなっちゃうじゃないですか」

 ゴム手袋を外し、汚れていない部分をつまんでポリ袋の中に入れながら女は言う。

「何かあったときのために、私も戦えるようにしておきたいんですよ。となると武器は多いほうが良いなあ、って思って」

 彼女の言葉に、燭台切は目を丸くした。そしてややあって、ぽろりと口から言葉が漏れ出てくる。

「僕がいるのに」

 ――それを口にしてから、燭台切は思わず口元を覆った。今のは、己以外の武器を彼女が持つことへの嫉妬か、それとも己がいれば他の武器など出る幕もないという矜持から出た言葉なのか、自分でもわからなくなってしまう。いずれにせよ失言だったのではないか、と思わずうつむいた。

「あ、いや、えっと」

 言葉につまる燭台切の横で、女はきょとんとした顔で硬直していたが、数秒後、一気に時間が動き出したかのようにぶんぶんと手を振りながら明るい声色で言う。

「や、やだなー! 照れますね! でも光忠さんの手を煩わせてばかりなので、私もちょっと戦いたいんですよ!」
「い、いや、わかっているよ、ごめんね」

 ここまで気恥ずかしい気持ちになったのは彼女との旅を始めてから初めてなのではないか、と燭台切は顔を赤くした。これは単に己の武器意識から来た言葉であり、嫉妬ではないのだろう、と己を無理矢理納得させながらうなずく。特に刃物に関しては、少し敏感になってしまうような気がしてならない。

「そう、光忠さんが動けなくなったときにせめて時間稼ぎができるくらいのモノがほしくて」
「……そんな状況にはさせないように、頑張るよ。だからまずは必要不可欠なものを持っていこう」

 燭台切の言葉に安心感を得たのか、女は深くうなずいて返事をする。

「光忠さんがそう言うなら。さすが、執事さんは頼りになりますね」
「執事ではないんだけど、もうそれでいい気がしてきたよ」
「あっは、だって見た目がほぼ執事だし……」

 女がゆるりと笑うと、その直後にがしゃん、べちゃり、と大きな物音がした。


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