三話
「まったく、何を考えてるんだ、なまえ!」
 タツキが声を荒げる。怒っているようではあるが、傍から見ればちょっと説教をしている程度のものだ。しかしなまえにとっては普段が温厚なだけにタツキのこういった顔を見るのは初めてだった。なまえ以外の二人もなぜか背筋を伸ばして事の成り行きを見ている。
 ごめんなさい、と蚊の鳴くような声で謝る。タツキは深くため息を吐くとなまえの顔の高さに屈んだ。
「本当に、どうしたの。カカシさん困ってたよ? もうああいうことはしちゃいけないからね?」
 子供をあやすように優しく言うが、タツキの言葉になまえは下を向いたまま黙っていた。
「……まぁ、今回だけは見逃すからね。さて! それじゃあご飯食べに行こうか!」
「お、おー! や、やったぜ!」
「先生、待ってましたー!」
 なまえに気を遣っているのか、台詞でも読んでいるような会話だった。小さく頷くと、なまえも三人の後を追った。

 運ばれてきた食事を頬張っていると、もうすっかりさっきのことは忘れたのか、班員の二人がなまえをからかい始めた。
「お前さぁ、よく上忍にあんな事言えたよなー」
「そうそう、俺達なんて部屋に入るだけでも大変だったのに」
 ゲラゲラ笑う二人を横目で見ると、なまえは無視して食事を続けた。
「ほらほら、もういいから」
 二人を止めに入ったタツキが話を濁してしまいそうだったので、慌ててなまえは口の中の物を飲み込んだ。
「先生! あの、さっきのあの人って……暗部の人、ですよね?」
 タツキの動きがほんの一瞬止まった。なまえはそれを見逃さなかった。
「なまえ。たとえ俺がそれを知っていたとしても、教えることはできないんだよ」
 ハハ、と力なく笑い、いつもの物柔らかなタツキになったのを見て、なまえはチャンスとばかりに捲し立てた。
「ねぇ先生! その人は今何してるの? まだ暗部にいるの?」
「うーん、俺も詳しいことはあんまり知らないんだよ。顔見知りではあるけどね、それだけ」
 また箸をもって食事を始めたタツキは、明らかに話を逸らそうとしている。が、なまえは諦めなかった。
 色々と聞いてみるも、いまいちの反応だった。途中から、タツキは困って返事すらしなくなってしまった。
 他の二人は別の会話に夢中になっていて、なまえ達の会話は聞いていなさそうだった。
「なぁなまえ。どうしてそんなにカカシさんの事が気になるの?」
「それは……」
 今度はなまえが言葉を濁す番になった。
 言えない。言えるはずもない。あの夜の事は、言いたくなかった。自分と、あの人だけの記憶だったから。
「なまえが言えないんじゃあ、俺も言えないかな。カカシさんだって、自分の知らない人に勝手に色々詮索されるのは嫌じゃないかな」
 もっともなことを言われてしまい、なまえは口を噤む。軽く頭を振ってから大皿に残っている唐揚げを頬張ると、隣の二人の会話に混ざりにいった。

 いいもん、絶対、会って確かめるから

 いつも通りに戻ったなまえを見て、タツキは安心したように笑った。

 数日後、任務や修行の合間にやっとまとまった時間ができ、なまえは颯爽と任務待機所へと向かった。
 解散するときに少しタツキに怪しまれたが、数日前にできた新しい和菓子屋さんへ行くと言うと「女の子だなぁ」と言って信用してくれたようだった。
 もう、形振りかまってなんかいられない。なんとかしてみせる! なまえは心の中で意気込むと、待機所の扉に手を掛けた。
 が、そんな気持ちとは裏腹に、手の震えが止まらない。これを知ったタツキはどう思うかとか、もし他の上忍しか居なくて針のむしろに自ら飛び込んで行ってしまった場合は……。
 ぶんぶんと頭を振る。最初が肝心なのだ。怖気づいていてはいっこうにあの人に近づけなどしない。失敗した時はその時に考えればいい。
 大きく息を吸い込むと、なまえは思い切って扉を開けた。

「お、いらっしゃい」
 赤くなり始めた夕日が部屋に広がっていた。もくもくと煙たい空気の中に、大柄の男が一人。まさか歓迎の言葉をかけてもらえるとは思わず、反射的になまえは頭を下げた。
「こ、こんにちは」
 ククッと笑うと、大柄の男は指先の煙草を灰皿に揉み消した。
「あのっ、用があって……っ、げほっ、」
 少し煙が目にしみる。緊張していたせいか、煙を胸いっぱい吸い込んでしまってなまえは咽た。
「あぁ、悪ィ悪ィ」
 大柄の男は背後の窓を開けると風通しを良くした。開いた窓から一気に煙が外へ流れていく。
「カカシに用か?」
 言い当てられ、なまえは固まった。
「ま、そこらに座って待ってろ。そろそろ来るはずだから。いいタイミングでやって来たなぁ」
 見た目のわりに、のんびりとした口調がなまえの緊張感を解いていく。暫くは突っ立ったままのなまえだったが、大柄の男に言われた通り目の前のソファに腰掛けた。
 斜向かいに座ったなまえをしげしげと眺めて、アスマは笑いながら話しかけた。
「お前、すごいな。あのカカシに初対面であんな事言った女は初めてじゃないかな」
「えっ!! そ、そうですか……」
 ガチガチに固まった体で話をする。アスマはさらっと自分の名を告げると、なまえにも自己紹介をするよう促した。
「あの……わ、私は川辺なまえといいます。去年下忍になりました。タツキ先生に指導して頂いています。今日は……その、はたけカカシさんに用があって……」
 あの、その……と言葉尻がすぼんでいく。
「思い出してもらうんだろ? 絶対」
 楽しそうに笑うアスマに、なまえは顔を赤らめた
「おいおい、俺の前でそんなんだと、カカシに相手にされないぞ」
 はっとしてなまえは真面目な顔になった。
「それは……嫌です。頑張ります」
 相変わらずなまえが何を言ってもアスマはにやにや笑っていた。相当なまえとカカシの事が気になる様子だ。
「あの、猿飛さんは、はたけカカシさんのお知合いですか?」
「アスマでいい」
 アスマはまず呼び方を変えるよう言いつけ、話を続けた。
「カカシとは同期だな。昔からあいつのことを知っている。あいつはなぁ、手強いぞ」
 わざと脅すような言い方に、なまえの顔が曇る。新しい煙草を取り出すと、アスマはさらに付け加えた。
「まぁ、なんだ。お前はそれでも『絶対』思い出してもらうんだろ?」
 煙草をビシッとなまえに向けて、いたずらっ子のような顔を見せたアスマに、なまえはとうとう吹き出した。
「もう、恥ずかしいので何度も言わないでください! でも……はい。思い出してもらいたいです」
 やっと緊張が解け切った様子のなまえを見て、アスマは大きく体勢を崩して座りなおした。
「まぁ内容までは聞かねぇが。思い出してもらえるといいな」
「はい!」
 なまえはもうアスマの事が怖くなかった。
 自分が上忍の待機所にいるなんて夢のようだ、と思い出したところで、急に不安になってきた。
「あの……今更なんですけれど……」
「ん? 何だ」
 アスマはプカプカと紫煙を燻らせている。なまえは話を続けた。
「私みたいな下忍がここに居てもいいんでしょうか……」
 今度は煙で輪を作っていた。五つの輪が窓の方へと吸い寄せられていく。
「別に上忍以外が入っちゃいけないなんてルールないとは思うんだが。みんな怖気づいて入ってこないだけなんじゃねぇかな」
 興味なさそうな返答に、なまえは更に不安になった。
 今はアスマ一人だが、いつ誰がやってくるかわからない。あの人かもしれないし……もしかしたら今日は来ないかもしれない。
 会話が無くなって、気まずい雰囲気が漂う。もっとも、気まずいと思っているのはなまえだけのようだったが。
 外で足音がするたびに過敏に聞き耳を立ててしまう。数回そんなことがあったが、結局まだ誰も部屋へと入ってきてはいなかった。
 窓から少し強めの風が入ってくる。捲き上げられた煙草の煙が部屋の中をぐるっと周って出ていった。
 アスマが三本目の煙草を取り出したその時――
「ククッ、よぉ」
 アスマが笑いながら挨拶を投げかける。『おー』と気だるげに返事を返すと、相手の男はゆっくりとした歩調で部屋へと入ってきた。
 顔の前に掲げた本がまるで仮面のように顔を隠していた。
 部屋の奥へ向かい、カカシはソファの一番端に腰掛ける。
「ねぇ、何でその子ここに入れちゃったワケ。アスマ」
 いきなりなまえの話題になり、肩が跳ね上がった。”その子”なんて言われる対象は、明らかになまえの事を指している。なまえは緊張で口の中がカラカラに乾いていた。
「いいじゃねーか別に」
「あのねぇ……」
 カカシは呆れた声を漏らした。そしてまた本を読みだしたのか黙ってしまった。
 その様子をぼーっと見ている。見ているといっても、一向にその顔は本で隠されているために見えないのだが。
 ふと何かを感じて視線を動かすと、アスマがなまえの方を見て口をパクパク動かしていることにやっと気が付いた。
「い、け」
 アスマは無音でなまえにそういうと、にやりと笑った。

 い、いくしかない――!!

 なまえは静かに立ち上がると、カカシの前へと進み出た。
「あのっ!!」
 力みすぎて少し高めの声になった。
「川辺なまえといいます! 今日ははたけカカシさんに用があってここに来ました!」
 まだ返事はない。
「私の事、覚えていませんか!?」
 なまえの後ろではアスマがやったとばかりに小さくガッツポーズをしていた。なまえは続ける。
「私は……あの日からはたけカカシさんの事、一度も忘れたことありませんでした。ずっと、ずっと、会いたくて……」
 そこで言葉が途切れる。あの日の事が一気に蘇ってきて、なまえは黙り込んだ。
 少しの沈黙の後、カカシが動いた。それに驚いてなまえは目を見開く。顔を隠していた本が少し下にずらされて、カカシの隠されていない方の目と目が合った。
「悪いんだけど……本当に君の事は覚えてないんだよ。ごめーんね」
 とても優しく、子供に言うみたいだった。
「頑張って思い出そうとしたんだけど。記憶になくて、ね。君の勘違いじゃない?」
 畳みかけるように、カカシはもう一度否定してみせた。なまえの存在がカカシの中に微塵もない、と。
 けれど、なまえにとって、今交わったままのこの視線は――間違いなく、あの時の、暗部の男と同じだった。
 返答がなく黙ったままのなまえを見て、カカシは困ったように目を伏せた。
「……嫌です」
 やっと絞り出した声に、カカシが反応する。また戻ってきた視線を、なまえはしっかりと捕まえた。
「嫌です。思い出してください。絶対に会ったことがあるんです。間違いだなんて有り得ない」
「えー……そんなこと言われても……」
 カカシはほとほと困り果てた。何この子……ちょっと怖いんですけど……と思ったのは、自分の言っていることを信じてやまないなまえの強い眼差しに、カカシの記憶がついていけないからだ。そもそも当事者のカカシが記憶にないと言っているのに。
「カカシ、本当に記憶にないのか」
 黙って動かない二人に、とうとうアスマが助け舟を出した。先に答えたのはカカシだった。
「うん、ないよ。何度も言ってるけど、本当に思い出そうとしてみたんだけどねぇ。知ってたら別に嘘つかないよ」
「だとよ、なまえ。もうめんどくせーから、言っちまえよ。どこで会ったのか」
 カカシは顔から本を離した。やっと全部見えたのに、口元も片目も隠れているので結局はカカシの右目しか見えなかった。
「そうそう、もう言っちゃってよ。オレも気になるし」
 アスマの意見に乗っかると、カカシは軽く言ってみた。が、なまえの顔はみるみる曇っていく。
「違う……そうじゃなくて……思い出してほしいのに……」
「んー、でもね、思い出すも何も、」
 言いかけてカカシは言葉を区切った。下唇を噛んで、なまえは泣くのを堪えていた。
 カカシがちらりとアスマを見るが、アスマも困った顔をしていた。
「丘の上の公園で……」
 ぽつり、とても小さな声でなまえが呟いた。本当に小さな声で、アスマには聞こえていなかった。
 カカシの目の前を、一滴、雫が落ちてゆく。
「(あちゃー……)」
 カカシが何て声を掛けようかと考えあぐねいていると、突然扉が開いた。
「カカシ、アスマ。待たせたみたいね。……あら、その子って」
 振り返ると、部屋の入り口に綺麗な女性が立っていた。なまえは手の甲で涙を拭うと、入り口に向かって走り出した。
「ちょ、ちょっと、あなた」
 答えない代わりに会釈をすると、なまえは一目散に部屋を出ていった。

「あの子が、カカシが手を出したっていう子?」
 残された二人に向って、少し機嫌が悪そうに紅が問いかけた。
「だから違うって言ってるでしょーに。オレは知らないの、あの子の事なんて」
「だからって、泣かせる事ないんじゃないの」
「いや……それは……」
 歯切れが悪いカカシの前に座ると、紅はじっとりとした視線をカカシに向けた。
「カカシは別に悪いことしてねぇよ」
 カカシを庇ったアスマの言葉を聞いて、そうなの、と紅はまだ疑いの目をカカシに向けた。
「今まで言い寄って来た女はバッサリ切りまくってたっつーのになぁ。なまえの事は随分優しくしてやったじゃないの」
 ニヤリと笑うアスマに、紅が驚いて見せた。
「そうなの!? カカシ」
「いやいや語弊がありすぎでしょ」
 身を乗り出して詰め寄ってきた紅の前に掌を差し出して制する。紅は元の位置に戻ると、カカシの話を聞く体制に入った。
 こうなっては面倒だと、観念してカカシは説明した。
「あのねぇ、大人の女だったらオレだってテキトーにあしらうけど。あの子、子供だよ? そうそう冷たくできないでしょ」
「へぇ、カカシにそんな優しさがあったなんてね」
 紅はわざとらしく肩を竦めて見せた。

 丘の上の公園で――

 カカシはなまえの言った事を思い出していた。
 思い当たる場所はひとつだけ、あった。うーん、と唸ると、本をバッグにしまい立ち上がる。
 何やら面倒くさい任務関係の話をしている二人を尻目に、あっという間にカカシは消えた。

 走ってたどり着いた先は、来慣れた公園だった。傾きかけた夕日で池がオレンジ色に染まっている。池の側の東屋に上り、屋根の上でなまえは膝を抱えていた。
 どうして泣いてしまったんだろう、となまえは後悔していた。
 泣いたなまえを見て、カカシは困っていたようだった。困っているだけならまだしも、面倒そうだと思われたかもしれない。きっとそうだ、となまえは抱えた膝に顔を埋めた。
「う〜〜〜〜〜私のバカバカバカ!!」
 会いたいという目的は達成できたのに。心の奥では覚悟していたのに、カカシがなまえの事を覚えていないという事実がこんなにも悲しいなんて。
 なまえは顔を伏せたまま、周りの草を毟り始めた。
 幾度となくやってきたこの公園。一度もカカシに会うことはできなかった。けれど、それでもいつか来るかもしれないという希望を捨てなかった一年間。
 今日が、ちょうどその一年目の日だった。

 はぁ、と何度もため息を吐いたせいで膝が湿り気を帯びている。やっと顔を上げると、もうあと数分で日が落ちそうになっていた。
 あの日も、こんな景色を見ていた。なんて早い一年だったんだろう。泣いて、こうして草を毟って、しゃがんで、集めた葉っぱをこうやって――。
 なまえは大切な記憶を呼び起こすように、あの時と同じ動作をし始める。
 はらはらと葉が落ちていく。あの日と違うのは、ここにはなまえしか居ないことだ……が。

「ねぇ、やめてくんない。葉っぱだらけになるんだけど」

 突然聞こえた声に、なまえは口を半開きにしたまま固まった。

 嘘、だ――何で――

 忘れていた呼吸を取り戻すと、恐る恐る下を覗いた。
 居ない。そこには誰もいなかった。木製のベンチの周りに、なまえが落としたであろう葉が散らばっている。
 カカシの事を考えすぎて幻聴でも聞こえたのだろうか。
「何してんの」
 今度は背後から聞こえた、あの日とおんなじ声。なまえは勢いよく振り返った。
「どーも」
 驚いたまま何も反応しないなまえを、カカシはじっと待った。カサカサと葉の擦れる音がする。積み上げた葉っぱの山が風に煽られて崩れた。
 なまえはやっと口を開くと、とても小さな声で、
「……お、覚えてないって、い、言ったのに」
 弱弱しくカカシを咎めた。
「んー。覚えてなかったよ。まぁ、正確にはさっき君の言った『丘の上の公園』で思い出したんだけどね」
 カカシはその場に胡坐をかいた。肘を着くと、あの時と同じようになまえを見やる。
「今日も、泣くの」
 問われて、なまえは泣きそうになるのをぐっと堪えた。
 せっかく一年間泣かなかったのに、さっき泣いてしまったせいで台無しだった。泣かないと決めたのに。カカシがくれたあの一言を大事にしていたのに。

 ”泣いてないで、たくさん思い出してあげなよ。その方がお母さん喜ぶんじゃないの ――”

「……泣きません」
「別に泣いてもいいけど」
「泣きません!!」
 からかわれたのが分かったのか、なまえは強く否定した。カカシは悪びれる様子を見せると、辺りを見回した。
「あの時の子だったのね」
「……はい」
 カカシが腰を上げたので、なまえも慌てて立ち上がった。
「で、これで満足したかな? 無事に思い出してみたけど」
「……は、い」
 歯切れの悪い返事だった。ん〜とカカシは首を傾げる。
「まだ何かあるの?」
 思い出せ思い出せの一点張りだったので、その先に何かあるとは思っていなかった。なまえの視線がきょろきょろと泳ぐ。何かを必死で考えているようだ。忍なのに感情出しすぎでしょ、というのは特に言わないでおいた。
 やっと考えがまとまったのか、カカシに視線が戻って来た。
「ありがとうございました!!」
「えっ」
 いきなりお礼を言われ、今度はカカシが驚いた。片目しか出ていないので表情はほとんど変わらないだろうけれど、これがもし素顔だったならば顔に表情が出ていたかもしれない。
 続けて、なまえは一気に気持ちを言葉にした。
「あの日、あなたに言われた言葉で、本当に、本当に救われました。母を思い出すことが苦しくて仕方なかった私に、思い出は楽しくて温かいものだって教えてくれた。母の事を思い出しても泣かなくなった。一人じゃないって思えるようになった」
 一息ついて、大きく息を吸い込むと、また言葉が溢れてきた。
「だから、ちゃんとこうしてお礼が言いたかったんです。ありがとうございます」
 全部言い切った。胸のつかえが取れて、体中が軽くなった気がした。体の脇で握りしめていた拳から力が抜けていく。
 深く息を吐いたなまえを見て、カカシは照れくさそうに頬をポリポリと掻いた。
「……えーと。そんな大層な事しちゃったのかな、オレ」
「はい!」
 今度は、打って変わっての笑顔。薄暗い中でも輝いて見えそうなくらいに。
 キラキラとした濁りのない目がカカシを見つめる。直視できなくなったカカシは、ポケットに手を入れ、猫背を向けた。
「ま、よく分からないけど、そういうことなのね。もう帰るよ、暗くなってきたから」
「はい!」
「家どこなの」
 東屋からひょいっと降りる。カカシは返答が無かったので後ろを振り返った。なまえは居ない。上を見ると、うーんと言いながらなまえが手を伸ばしていた。
 ツンと上向きのカカシの髪の毛が揺れた。
「葉っぱ、ついてたから」
 一枚の葉をひらひらして見せると。なまえはカカシの隣に降りてきた。
「家は……孤児院です」
 少し悲しそうに言うと、それでもなまえは笑って見せた。
 孤児院か――悪い事を聞いたかな、と気になったが、歩き出したカカシの横にぴたりとついてくるなまえはとても楽しそうだった。
「はたけカカシさんって、優しいですね」
「えー、そう?」
「えっと、あとは、はたけカカシさんって、とっても格好いいです!」
「あー、そりゃどうも」
「はたけカカシさんって、いい名前ですね!」
 もはや返事を返すのすら億劫になってきた。その後もずっとこの調子だった。
 いちいちフルネームで呼ぶってどうなの、と思ったが、なまえのマシンガントークが切れない。
 なまえを街の中心に送り届けるまで、カカシはフルネームで呼ばれ続けるという謎の気まずさに覆われ、なまえと別れる時には、何故だか疲れ切っていた。
 満面の笑みでカカシに何度も手を振り去っていく。なまえの後頭部に結われた艶のある黒いポニーテールが、まるで子犬が尻尾を振っているような幻覚にさえ見えそうだった。

「まずいのに懐かれたな……」
 カカシは肩を落とすと、数日前までの噂にまみれた日々を思い出した。
 こりゃもう暫く噂の的になりそうな気がしてきたな――とカカシは大きなため息をついて家へと帰っていった。
*前表紙次#

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -