これのつづきのような)



「あなたは、もう、忘れたかしらー」
「おう」
「繁華街から遠く見えた謎のお城を指差してあれ何って訊いた美少女に淡々と『ラブホだな』って答えたことー」
「おまえはそれに『わーお』って返したな」
「ばっちばちに覚えてますねラムダ様」

 隣を歩くリユはぺちぺちとやる気のない拍手をしたあと、寒そうに両手をコートのポケットに突っ込んだ。「そんな格好、寒くないんですか」。ブーツのヒール分近くなった距離で、信じられないような目でおれをじろじろ見る。鼻の頭が赤い。

「寒いに決まってるだろ。さっさと戻るぞ」
「はーい。それでね、たぶんあたしそのときからラムダ様のことシンライしてるんですよね」
「おい待て、今のくだりでか?」
「同じように訊いても『休憩する?』とか答えにくっつけたり、めちゃめちゃ言い淀んだ挙句答えたりする輩の多いこと、多いこと…」
「後者はたぶん…どうせ…許してやれよ…」
「その点ラムダ様のは美味しい薄味なQ&Aだったから今でもベストアンサー扱いしちゃうんですけど、っと…」

 前方からまるで避ける素振りも見せず突進してきたサラリーマン一行を躱そうと、リユは混雑する大通りで体を捻った。団服とはかけはなれた淡い色のコートが揺れると煙たい匂いが広がる。

 金曜夜の二十時を少し過ぎたばかりではまだ、往来はすでに出来上がった人間と出来上がろうとする人間が混ざっている状態で中途半端に歩きにくかった。おい、脇道に入るぞ。そう声をかけると了解でーすと返される。いつものごとく、若さという有限の有利が手の内にあることを何重にも理解しているような適当っぽさの滲む高い声色は、なんだかんだ耳に馴染んでしまっている。

 この声が驚くほど胸に迫る調子で「助けて」と宣うので、とるものもとりあえず繁華街に繰り出してきたのが先刻。

「……今日のって美人局になるのかな…」
「ならんだろう。あのオヤジの武勇伝に黒星ついて、夕飯代が飛んだだけさ」
「このお肉おいくら万円するんだろうって考えてたら肝心の味覚えてないんですけど。うける。時価の焼き肉とか初めてだったのに」
「おまえにはまだ早いってことだ」

 嫌そうに顔を顰めて聞く女学生みたいなリユは、至って普通にしていた。タイプでもない詐欺オヤジにホテルに連れ込まれそうになっていたときの弱りきった表情は見る影もない。ただ、脇道に入って自由がきく今もおれにぴたりとついて歩こうとする。

 あの寿命が縮みそうな「助けて」は、たしかにこの小娘の口が言ったのだ。
 そう改めて認識させられると、胸いっぱいに泥水をぶちまけられたようなつまらない気分に陥った。あの糞詐欺オヤジ。…いや、こいつの撒いたタネであることまでめでたく改竄して報復してやろうとは思わねーが。だがしかし。

 と、そのときリユが「あっ」と声を上げた。立ち飲み屋の傷んだ黄色い暖簾の前で立ち尽くし、おれの顔と自分の格好を二三度見比べて、慌てたように自分の首元からマフラーをぐるぐるとほどいた。暖かそうな布の山だ、とぼんやり考えかけるうちに、その布の山がおれさまを襲う。

「すみません、ラムダ様」
「な、なんだよ」
「急いで来てくれたからそんな格好なのに、あたし気づかないでばかみたいなこと言っちゃった」
「あー…」
「さっきの続き。ラムダ様のことシンライしてるからすぐ頼りにしちゃうの。迷惑かけてごめんなさい。駆けつけてくれて嬉しかった、です」

 このダンディな男前を捕まえてふわふわのマフラーを寄越したリユは、萎れたように俯いた。若い女物の香水にいたたまれなくなりおれも頬を掻く。たちの悪いことにちゃんと謝れるやつだから、なんとなく見限れなくてつい手元で世話をやいてしまうのだ。

「…おう、アジトに戻ったら説教だぞ。覚悟しな」
「は!? えぇ…」
「再三の忠告を聞かなかったおまえが悪い。この機会に根本から間違ってるその恋愛観を叩き直してだな」

 リユは文句言いたげな顔で何度か口を開きかけて、ついになにも言えずに項垂れた。おれはわざとらしく小言をぽつぽつこぼしてやりながら、冬空の下、どこに寄り道することもなくまっすぐアジトに帰った。



∴ソフトドリンクの夜に




211205
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