最後に彼女と顔を合わせたとき、その頬には一筋の涙が伝っていたと記憶している。

アインツベルンの城から瀕死のケイネスが帰還し、その後令呪がソラウの右手に渡ったことを知ってからというもの、名前はずっと小さな部屋に籠城を決め込んだきり、彼の前に姿を見せようとはしなかった。何度かランサーが部屋の前まで出向き声を掛けたが、まるで口をきいてくれる様子がない。

名前様は俺がケイネス殿を見捨てたと思っているのだ。ケイネス殿を見捨て、新たにソラウ様に忠義を誓ったと思っているのだ。

それだけは全力で否定したかったのに。

「名前様、聞いてください。これは、」

「言い訳なんて聞きたくない。」

縋るような想いで固く閉ざされた扉に向かって声を掛けたが、扉越しに返ってきた声は彼を追い払うかのようなひどく冷たいものだった。その言葉に明らかに拒絶の感情が滲み出しているのが手に取るように分かって、続けようとしていた言葉が喉に詰まる。

「貴方は、また繰り返すんですか。」

さらに続けざまに返ってきた台詞はそんな自分に追い打ちをかけるかのような言葉だった。途端、上手く息が出来なくなったような感覚に襲われる。息が詰まりそうな感覚。まるで鋭利な刃物で胸を抉られたかのような。

ここでいくら、俺の主はケイネス殿だけです、と叫んでみたところで、彼女にとってはきっと詭弁にしか聞こえないのだろう。

けれど、それなら何と返せば良いのだろうか。返す言葉を考えている間にも扉の向こう側からはくぐもった嗚咽が聞こえてくる。本当なら何を言うでもなく、今すぐにでも扉を破ってその涙を拭ってやりたいのに。

本来ならこんな扉くらい霊体化してしまえばあってないようなものであるが、けれど今の自分にはそうすることができなかった。壊れかけでぼろぼろの小さな扉は今や何者も寄せ付けない固い結界のように目の前にずんと立ちはだかっている。

今の自分には、彼女に合わせる顔がない。

「これも全てケイネス殿の為。貴女にも、いずれ分かって頂けるでしょう。」

今の自分に出来たのは、扉に向かって苦し紛れにそんな台詞を残すことだけだった。

どんどんぬかるみに足を突っ込んでいるような感覚は自分にもある。けれど今の自分にはそれをどうにかする術を見出すことはできず、そのときはただ、前に進むことしかできなかった。


誓いの言葉は届かなくて


(貴方の涙を拭って抱き締められないことが苦しい。)