ただ、振り向いて欲しかっただけだ。名前が恋焦がれている相手を知り、名前が叶う見込みのない恋に心を焦がせていることを知り、その偶に見せる柔らかい表情を、たまに零すはにかんだような微笑みを、自分に向けてくれはしないだろうかと。何故、自分には向けてくれないのだろうかと。

ぷつり。何か張り詰めていた糸が切れたかのように、衝動的な感情がランサーの両腕を突き動かした。

名前の手首を、肩を、捕まえてそのまま力任せに彼女の後ろにあった壁に押し付ける。突如として己の身に降りかかった出来事に悲鳴をあげるどころか声を出すことすらままならなかった名前の顔には、驚愕と、若干の恐怖の色が浮かんでいた。

だが名前が怖気付いた表情を見せたのはほんの一瞬で、名前はすぐに眉を吊り上げると虚勢を張ったようにキッとランサーを睨んだ。

「何の冗談のつもり?」

「…これが冗談に見えるとでも?」

何故、私の想いを、分かってくださらないのか。気付かない振りをするのか。冗談で誤魔化そうとするのか。名前の手首を握り締めていた手に思わず、ぎり、と力が入ってしまい、名前の顔が僅かに苦痛に歪んだ。けれど彼女のそのような表情を見ても、この掌に籠もった力は一向に抜けてくれる気配がない。

違う。自分は彼女にこんな苦々しい表情をさせたかったわけではないのだ。彼女が時偶ふとした瞬間に零す寂しそうな表情を見る度、俺なら彼女にそんな顔をさせることはあるまいと、思っていたのだから。させるはずがない。彼女が自分のことを慕ってくれされすれば。彼女が、自分のことを、慕ってくれされすれば。

ふっと徐に顔を近付けると名前にあからさまに顔を背けられたので、先程まで肩を押さえ込んでいた手を肩から外して荒っぽく名前の顎を掴んだ。無理矢理前を向かされた彼女の両目にはある種の恐怖の色が浮かんでいたが、それが余計に、ぞくり、と心を煽った。

「…や…待っ、ランサー…!」

制止する名前の声も今のランサーには何処吹く風。まるで頭に入ってこない。互いの鼻先が触れそうな位置で、にこりと。何故だか自然と笑みが零れた。

「愛している、名前、」


どこで狂ってしまったのだろう


(繋ぎ止めていたいだけなのに、戻れない、もう二度と。)