after Plastic Kiss[2/2]

平日は慌ただしい時間帯でも、休日となれば人通りは随分疎らだ。
自宅マンションのエントランス前に細身の人影が見えて、途端に鼓動が速まる。

「おかえりなさい、光希」

走って近づけば、愛おしい人もこちらへと歩み寄ってきた。

「飛鳥、こんなところで待ってたのか」

「ううん。外の空気を吸いたいなと思って、出てきたところ」

気遣いのつもりでそう言ったんだろうが、ここで俺の帰りを待っていたに違いない。とことん健気で、そんなところも愛おしい。
飛鳥のさらりとした髪が陽の光に透けてキラキラと輝いている。こちらに向けられた眼差しはきれいに澄んでいて、ああ眩しいなと心底思った。
手を伸ばして指を絡め合うと、繋いだ手は少しひんやりしている。しばらくこうしていれば、二人の体温はすぐに溶け合うだろう。
長い睫毛の下から覗く瞳が、心配げに俺を見ていた。

「ちゃんと見送ってきたよ」

お前の代わりにね。
そう心の中で付け足すと、飛鳥は頷いて遠慮がちに微笑みかけてくる。

「ありがとう」

手を繋いで歩きながら、エントランスを通り抜ける。ホールでエレベーターを待ちながら、俺は横目でそっと飛鳥を見下ろす。
ここで一緒に暮らすようになってから、飛鳥の表情からは憑き物が取れたかのように愁いが抜け落ちた。年相応にあどけなさを残した飛鳥は、堪らなく無垢できれいだ。
エレベーターに二人きりで乗り込むと、おもむろに飛鳥が切り出してきた。

「後期の授業が始まるまで時間もあるから、そろそろアルバイトをしようと思ってる。ずっと家にいるのもよくないし、外の世界へ出たいんだ」

四日間で五万円のあれだけは駄目だぞ。親のような口ぶりでそう言いたくなるのを何とか堪えて、俺は細い肩をそっと抱き寄せた。

「いいんじゃないか。飛鳥ならなんでもできるよ」

「そんなことないけどね」

囁くように言って、そっと持たれ掛かっててくる。飛鳥が外の世界へ出て行くのは淋しいし、誰かに取られてしまわないか心配だ。
これからも飛鳥がずっとここにいるとは限らないと、俺は思っている。
失うことに怯えながら暮らすよりも、ある程度の覚悟はしておいた方がいい。
愛しているからと言ってここに閉じ込めておくことが無理だということはわかっているつもりだ。徒らに自由を奪うことが愛ではないと思う。飛鳥がいずれどこかへ行ってしまうとしたら、俺たちはそれまでの関係なんだろう。
永遠が存在しないと知っている。だからこそ、一日でも長く一緒にいたいし、共に過ごせる時間を大切にしたい。
飛鳥が自分の意志で選んだその人生に、俺の人生が長く重なっていますように。今はただそう願うばかりだ。
エスカレーターの着いたフロアに足を踏み出し、並んで歩き出す。
玄関の扉を開けば、そこには見慣れた家の光景が広がっていた。この家が飛鳥の居場所として存在している。もしかしたら束の間かもしれないけれど、それでも素直に嬉しい。
扉を閉めて香しく漂うのは、熟した果実のような甘い匂い。近づけば鼻腔をくすぐるそれは、いつも俺の官能を刺激する。もうすっかり馴染んでしまった、飛鳥の匂いだ。

「そうだ、飛鳥」

忘れていたことを思い出してその顔を見下ろす。きれいに整った顔がこちらを見上げた瞬間、花弁のような唇を奪った。
柔らかな下唇を少しだけ啄ばんでチュッと音を立てれば、大きな目が丸くなる。
ふわりと軽い、プラスチックみたいなキス。

「今のは預かった分だ」

唇が離れたタイミングでそう告げれば、飛鳥は不思議そうに俺を見て、それから表情を和らげる。
優しい微笑みには、ほんのりと色気が混じる。

──これで義理は果たしたからな。

当分は日本に帰ってこないであろう男に向けて心の中で言い捨てながら、俺は飛鳥の肩を掴んで抱き寄せる。大きな目が閉じて、長い睫毛が頬にきれいな影を落とした。

「それから、これは俺からの分」

その身体から放たれる芳醇な香りを胸いっぱいに吸い込みながら、俺はさっきよりも深く口づけようと飛鳥の小さな頭を掌で支える。

「ねえ、光希……」

唇が触れ合う寸前、美しく芳しい人は吐息をこぼすように言葉を口ずさんだ。それが愛を謳う一節であることに安堵して、俺は目を細める。
飛鳥。もしかするとこれは、お前が望んでいた現実ではないのかもしれない。
それでも俺は今、精一杯お前の幸せを願いたいんだ。
閉じた瞼の裏で、幾つもの細やかな丸い形の粒が煌めいてはゆらりと揺れる。
キラキラと光を放つそれが、水の中を昇る気泡なのだと気づく。
飛鳥が暗い水の底から見上げていた陽の光は、いつしか直に降り注いでいた。

祈りは時を紡ぎ、輝かしい未来を奏でる。







"PLASTIC KISS" end




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