the 4th day[4/21]

『瑠衣も本当は飛鳥の卒業式に出かったんだと思うよ』

沙生がそんなことを言うから、僕は少し複雑な心境で曖昧に頷く。
仕事が忙しくて来られないという母の代わりに、僕の卒業式に出席する予定だった、三歳上の姉。
けれど、沙生が何とか都合をつけることができたとわかった途端、瑠衣は『ちょうどよかった。私、その日は先にデートの約束をしてたから。やっぱり卒業式には行かないわ』と言い出した。
姉の不器用な口実を、僕はただ受け入れることしかできなかった。

『瑠衣が気を遣ってくれてるのは、わかってるんだ』

式の参列者の中に、沙生と瑠衣が肩を並べているのを見たところで、僕は別にかまわなかっただろう。全く胸が痛まないと言えば、嘘になるけれど。
瑠衣がそうして気を遣うということは、まだ沙生のことを本気で好きなのだという何よりの証拠のような気がしてならない。
そして、沙生も瑠衣の想いには気づいている。
人の心をどうにかすることは無理だというのはわかっているつもりだ。人を変えることができないのなら、自分の気の持ちようを変えるしかない。
けれど今の僕は、いつか瑠衣が沙生を想わなくなる日が来るのを期待することしかできない。

『飛鳥』

名前を呼ばれて顔を上げる。そうだ、今日は特別な日だ。考えても解決しないことを思い悩んでいても仕方がない。

『沙生、まだ時間はある?』

『今日は一日空けてるよ』

春の陽射しのように穏やかな視線を注がれて、どぎまぎしながら僕は口を開いた。

『大学に行きたいんだ』






目の前に聳え立つのは、赤レンガとクリーム色の壁が組み合わさった、厳かな雰囲気の建物だ。
沙生は人目を気にすることもなく、指を絡ませて手を繋いでくれる。僕にはそれが本当に嬉しくて堪らない。
美しいカーブを描くアーチをくぐり抜けると、広々とした敷地に緑の芝生が広がっていた。その間の小径を縫うように二人で歩いていく。
春休みのせいか、学生は少なかった。

『どうして大学に?』

生物理工学部修士課程に在籍する沙生は、毎日のようにここに通っているから、きっと何の感慨もないだろう。けれど、僕にとっては春からようやく通うことのできる、ずっと憧れていたキャンパスだ。

『こうして沙生と同じ大学に通うのが僕の夢だった。だから、一緒に来てみたかったんだ』

春の匂いを含んだ風に吹かれながらそう言うと、沙生は見惚れてしまうほどにきれいな微笑みを向けて、繋いでいる手を強く握り直してくれた。

『飛鳥は本当にかわいいね。一緒に通うことなんて、これからいくらでもできるのに』

『でも、卒業した今日だからこそ意味があるんだ』

自分でも上手く表現できないけれど、僕はそんなことを考えていた。
いつでもできることだとしても、その瞬間にすることが意味を為す。そういうことが、世の中にはきっとあるのだという気がしていた。

──沙生。僕はいつも考えているんだ。僕がどれだけ沙生のことを好きか。どうすればそれが伝わるのかを。

『ほんの五分でいいから、沙生と二人になれるところに行きたい。無理かな」

唐突な僕の我儘に、沙生は少し考え込んでから方向転換をして、繋いでいる手を引いてくれた。

『わかった。こっちにおいで』

幾つかの棟を通り過ぎて辿り着いたのは、大きなホールの建物だった。ウォールナットの重厚な扉は固く閉ざされている。
真鍮色の取っ手を両手で引いて開けると、暗がりにさっと外の明かりが射し込む。
目の前には、ベルベットの客席がずらりと並んでいた。その向こうには、大きなプロセニアムアーチ。僕は溜息をつきながら、辺りを見渡す。客席は二階まであり、キャパシティは優に千席を超えるだろう。

『ここで入学式や卒業式が行われるんだ。部外の人を招いての講演会や、クラシックのコンサートなんかもね』

灯りは点いていないけれど、僕達の遥か上部にはひとつだけステンドグラスの小さな高窓があった。そこから射し込む光で、互いの姿が見える。

『春休みだから、あまり人の出入りはないはずだ。きっと誰も来ない』

そう言ってから繋いでいた手を離して、沙生は僕と向かい合った。
真っ直ぐに僕を映す鳶色の瞳は本当にきれいだ。心臓が痛いぐらいに高鳴ってしまう。

『あんまり見つめられると、恥ずかしいよ』

喰い入るような視線に思わずそう口にすると、優しい眼差しが甘やかに煌めく。

『飛鳥の制服姿がこれで見納めなんだと思うと、ついね』

『そんなことを考えてたの?』

苦笑する沙生につられて僕も笑ってしまう。そして、ふと優しい静寂が訪れる。
僕たちは対面でじっと見つめ合う。
しんとした静けさの中、沙生が次に起こる何かを待っているのがわかった。



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