星をツナグ[2/4]

日が傾くにつれて、うだるような暑さは和らぐけれど、それでも蒸し蒸しと湿った空気が辺りを取り巻いている。
静かな住宅街にある、信号のない交差点。辺りには古い一軒家や新築マンションが混在して建ち並んでいる。
車の通行量も少なく、人通りもけっして多くはない。昨日はここで子どもが亡くなっていたなんて、信じがたいぐらいに普段は穏やかな場所なんだろうと思う。
もう警察の規制線は張られていない。代わりに、マスコミと思しき人たちが見張りのようにあちこちに立っている。こちらにカメラが向けられていないのは、もう必要な絵は撮っているからかもしれない。
女の子が倒れていたであろう場所に、簡易の献花台が設けられていた。折りたたみ式の長机に花束やお菓子が所狭しと供えられている。
僕は最寄りの駅前で買った小さな花束をそこに置いて手を合わせる。
面識のない子どもだ。けれど幼くして命を落としたことは本当に不憫だと思う。
──不意に、自転車のスタンドを立てる音が耳に入ってきた。
閉じていた目を開くと、僕の隣に見知らぬ女の人が立っていた。年の頃は50歳代ぐらいだろうか。通りがかりに手を合わせるその姿はカジュアルな服装で、きっと近所の人なんだろうなと思う。

「気の毒にね」

ぽつりと呟かれた言葉に僕は頷く。

「そうですね。本当に」

じわりと額に滲んだ汗を拭う。彼女は僕をちらりと見て、おもむろに口を開いた。

「私、昨日偶然買い物帰りに通りがかって、この子が救急車で運ばれるところを見たのよ。人だかりがすごくて、もう大騒ぎで」

「そうなんですか」

やっぱり近くに住む人だったんだ。
テレビに映るような出来事を目撃して、誰かに話したいと思うのは自然なことだ。明らかにマスコミでも警察でもない通りすがりの僕は、この人にとって格好の話し相手だったのかもしれない。

「この子、花火を持っていたの。お店のレジ袋に入ってて。それがこの子の横に転がってて、きっと一人で買いに行った帰りだったんでしょうね。傍に誰もいなかったから。親御さんもこんなことになって気の毒だと思うけど、どうしてこんな小さな子をお使いに行かせたのかしら」

──花火。

相槌を打つのも忘れて、僕は風に揺れる白い花弁をじっと見つめる。
僕が欲しい答えは、もしかするとそこにあるかもしれない。

その夜、いくら待ってもセイちゃんは家に帰って来なかった。





翌日、夕方のニュースにチャンネルを切り替えようと思ったのは、あの女の子のことを知りたかったからだ。
家でひとり手持ち無沙汰にしていた僕は、目の前の画面に見入ってしまう。
アナウンサーが原稿を読み上げる背後に、幼い女の子の顔が大きく映し出された。その下に表示された『佐塚彩ちゃん(6)』のテロップに目を走らせる。
目が大きくてかわいい顔立ちの女の子だ。屈託のない笑顔が、無邪気で愛らしい。
その次の場面には、警察官に連行される男女が映し出される。

『──佐塚彩ちゃん六歳が死亡していた事件で、司法解剖の結果、頭部を殴られたことによる外傷が原因で死亡していたことがわかりました』

ああ、事故ではなく事件だったんだ。
セイちゃんが聞いたこの子の真実を、アナウンサーが淡々と世間に伝えていく。
女の子の両親に対して警察が任意で事情聴取を行なったところ、女の子が家を出る直前、父親が金属バットで頭を殴打したことを認めた。母親も関与を供述していることから、警察は両名を実子に対する傷害致死容疑で逮捕した。
また死亡当時、女の子には体中に多数の外傷が認められ、過去には両親からの身体的虐待により児童相談所に何度も一時保護されていた事実が確認できている。
両親から日常的に虐待を受けていた可能性があると見て、今後の捜査が進められていくだろう。
ごく普通の、けれど暗い表情をした若い男女が連行される姿を映した後、ニュースは切り替わった。

──傷害致死、か。

本当にやりきれないニュースだと思った。テレビの電源を落として、僕はひとつ溜息をつく。
こんな小さな子どもの頭を硬いもので殴って死に至らしめたのだから、傷害致死ではなく殺人であるべきじゃないかと僕は思う。
けれどたとえ殺人事件の被疑者として逮捕されたところで、最終的には傷害致死として送致されるケースがとても多いことは知っていた。
殺人も傷害致死も、人の命を奪う行為であることに変わりはない。その違いは、故意に人を殺したか否かだ。そして、殺意の有無によって罰条の重みは全く違ってくる。
けれど、人の命を奪う行為に殺意があったかどうかを立証することは、とても難しい。
他人の心の中は、誰も覗くことができないから。
ニャア、とか細い声が聞こえて足元を見ればノアが僕を見上げていた。両手で抱き上げてその真っ直ぐな眼差しに語りかける。

「うん、大丈夫。ごめんね、心配かけて」

膝の上に置いた途端丸くなったノアの毛並みをそっと撫でていると、心に掛かっていた黒い靄が少しずつ取り除かれていくような気がした。

「お前ってすごいね」

ノアが欠伸をして目を閉じる。膝の温もりが心地よくて、その優しさに安堵する。セイちゃんも僕を抱くときはこんな気持ちなんだろうか。
今夜セイちゃんは帰ってくるだろう。
僕は僕にできることをしなければいけない。





夜遅く、セイちゃんは帰ってきた。翳りのある表情に僕の胸は痛む。疲れているのは見て取れた。昨日もきっと、殆ど寝ていないのだろう。けれど、身体よりも心の方がずっと疲れているのかもしれない。

「ただいま」

「おかえりなさい」

抱きついて唇が触れるだけのキスをする。握りしめた掌が思っていたよりも温かくて少しだけ安心した。

「ノアは?」

「もう寝てるよ」

そう答えると、セイちゃんは残念そうな顔をする。ここ数日飼い猫を見ていないことを、淋しく思っているんだろう。
夕食はいらないと事前に連絡があったから用意していない。けれどきっと食べてないんだろうなと思った。

「セイちゃん、明日は休み?」

「ああ、休みをもらったよ」

「じゃあ、ちょっと付き合ってほしいんだけど。いい?」

顔を見上げながらそうねだると、セイちゃんは眩しいものを見るように目を細める。

「ノアにそう言われちゃ、駄目とは言えないよ」

「ありがとう」

繋いでいた手を解いて広い背中に回せば、セイちゃんは優しい眼差しを向けてほんの少し笑顔を見せてくれた。








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