他人のものを奪うのが好きなのは、俺が奪われてきたからだ。
そう言って久城は愉しげに笑う。 傷ついた幼馴染みの美しさに見惚れながら、僕は自由の効かない身体を委ねて快楽の水際に揺蕩う。 闇の境界がわからないのは、太陽があまりにも遠いからだ。 世界に終焉が来ようと、きっとこの海には果てがない。
くちゅりと耳に届く水音を拾って背筋がゾクゾクと震える。 先端を擽る舌の動きに思わずかぶりを振れば、張り詰めた半身を喉奥まで咥え込まれて唇から悲鳴のような高い声が零れ落ちる。背中にあたる壁が汗で滑るのを何とか踏ん張ろうと前屈みになるけれど、壊れた玩具のように脚の痙攣が止まらない。
「も……立って、られな……」
無駄だとわかっていながらそう訴えて、股間に埋まる頭に両手を添えてみる。長く伸びた髪に指を絡ませて握りしめたその感触はさらさらと頼りない。がくりと崩れそうな膝を支えるように後孔に指が挿し込まれて、その瞬間視界にチカチカと閃光が過った。
「あ、あ……ッ」
与えられる性急な抽送に頭の中がクラッシュしていく。喘ぎながら何とか息をしようとするけれど、苦しくてうまく空気を吸えない。 ずぶずぶと足を捕らわれて嵌った深みでは、いつも思うように呼吸ができない。中を掻き回す指先が一際敏感な部分を掠めて、その度に下半身の力が抜けてしまう。
立ったままで僕を攻めるのは久城の趣味だ。足腰を震わせながら自分のために必死に踏ん張ろうとする僕を見るのが好きなんだという。それを悪趣味だというのなら、そんな久城に進んで抱かれる僕の方がそうに違いない。
「あ、も……イかせて……」
勝手に滲んできた涙を堪えながら懇願した途端、熱く濡れたものに包まれていた半身がひんやりとした空気に触れる。ずるりと指が引き抜かれる感覚に思わず跪けば、硬い床の冷たさに身体の内側に籠る熱を思い知る。
「あぁ……久城……」
縋りついて顔を上げれば、長い前髪の隙間から鋭い眼差しが覗くのが見えた。 僕を試すように見据える視線が、僅かに揺れる。 久城の端正な顔も、均整の取れた身体もきれいだけれど、狂気に濡れたその瞳が強く僕を惹きつける。 それは、無邪気に寄り添って遊んでいた小さな頃にはけっして見ることのできなかったものだ。
まだ10歳になる手前で母親を亡くしてから、久城の心は壊れてしまった。心ない悪意の言葉に晒され、父親にさえ捨てられて、久城はある日突然僕の目の前から消えてしまう。親戚と施設をたらい回しにされて8年後にふらりと帰ってきた時には、すっかり歪んだ人間になっていた。
久城が再び僕の前に現れたのには、正気の沙汰ではない理由があった。 僕がその望みを受け入れたのは、幼馴染みを突き放すことができなかったからというより、今の久城に惹かれたからだ。 久城の人格が破綻してしまったのを仕方ないと言ってしまうのは無責任だけれど、幼い頃の天真爛漫な久城には見られなかった暗い部分に僕がどうしようもなく引き寄せられたのは事実だった。 かつて共に遊んだ部屋で交わしたのは、誰にも言えない2人だけの約束。
顔を近づけると唇が重ねられる。口を開ければ浸入してきた舌が僕のそれを容易く絡め取り、滑らかに吸い上げる。そのまま床に押し倒されて、背中に感じた痛みに眉を顰めれば両脚が高く掲げられた。折り曲げられた身体に掛かる重みはむしろ心地いい。
早く、早く。疼く身体を焦らすように、久城は僕の内腿に舌を這わせる。ビクビクと震える足を押さえつけながら、時折強く吸いつかれて思わず腰が引けていく。
「くじょ……駄目……」
上擦る声に顔を上げて、久城は僕を見つめる。反応を窺う眼差しから逃れるように視線を逸らせば、小さく笑う気配がした。
「そうだな、こんなところに痕が付いてバレたら困る。お前の男に」
頷く代わりに詰めた息を吐き出した途端、僕は最奥まで一気に貫かれていた。限界まで追い上げられていた官能は瞬時に弾け飛ぶ。ぴゅくぴゅくと飛び散った精が胸の辺りを熱く濡らした。 強過ぎる快楽に苦しくて呼吸が縺れる。魚が酸素を求めるように大きな口を開けて喘いで、それでも我慢の足りない身体はまだその先を欲していた。
「──っ、は……ぁッ」
「そんなに締めつけるなよ」
耳元で低く囁かれて身体の芯が震える。頬にあたるさらりとした長い髪の感触を確かめるように首を振って、手を伸ばし身体に抱きついた。 溺れている自覚はある。どれだけもがいても、浮上することはできない。
この海は深く、太陽は遠い。
「凌翔」
物足りない律動に、求められているものが何なのかを知る。どれだけ呼吸がままならなくても、僕は久城が欲しい言葉を口にしなければいけなかった。
「好き……好きだよ、久城……」
息も絶え絶えにそう吐き出せば、久城は満足げに笑って僕に口づける。 久城が僕を抱くのは、僕が他の男のものだからに他ならない。 久城を満たすことができるのは僕しかいない。 そんなちっぽけな心の支えに縋って、今夜も僕はこの深い水の底に身を沈めていく。
吉賀浩輝と僕が出会ったのは、大学に入学して間もない頃だ。 進学した学科の新入生歓迎会で呑めない酒を強要されて困っていた僕を助けてくれたのが彼だった。
『俺が代わりに呑むから許してくれよ』
そう言って彼は僕が持たされていたビールジョッキを奪うように取り、一気に喉へと流し込んだ。 あまりにも鮮やかな呑みっぷりに、周りにいた者皆が唖然としたものだ。 体格のいい、人懐こく大人びた同級生。 僕が彼に対して最初に抱いたイメージはその程度のものだった。
彼が学費を稼ぐために二浪して入学したことを知ったのはしばらくしてからのことで、僕たちはすぐに仲良くなってキャンパスでの時間を共に過ごすようになった。 浩輝は忙しい学生だった。高校を卒業してからの2年間で作った貯金と奨学金、日々のアルバイト代で学費と下宿の費用を賄っていた。 家庭の事情でそうしているけれど、自分の選んだ道だから苦ではないと僕には笑顔を見せた。
好意を持たれていることには薄々気づいていた。眼差しを注がれる時間は長く、距離は触れ合うよりも少しだけ遠かった。 偶然だったはずの出逢いが必然へと変わったのはその頃のことだ。僕はいつの間にか自ら錘の付いた足枷を嵌めて水の中へと飛び込んでいた。
『浩輝は彼女を作らないの』
講義が終わり人の捌けていった教室でそう問い掛ければ、浩輝は困ったような顔をして頷いた。やがて閉ざしていた口を開いて、ぽつりと言葉を漏らす。
『好きな人はいる。でも、叶わないんだ』
『僕は浩輝のことが好きだよ』
僕の告白に露骨に彼は息を詰めて視線を逸らした。
『好きだ』
もう一度口にすれば、今度は僕を真っ直ぐに見つめた。自分で仕掛けておきながら、純粋な眼差しを向けられると全てを見透かされてしまいそうで怖かった。
『俺も、お前を』
全てを言い終える前に顔を近づけて唇を重ねる。そうして言葉を遮ったのは、続きを聞きたくはなかったからだ。そんなことでこの罪が軽くなるわけではないのに、僕は本当に愚かだった。 戸惑いがそのまま流れこんでくるようなキスは、やがて深いものへと変わっていった。
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