Anniversary[1/6]

その日を俺は待っているんだ。


持ち上げられるままに高いところにいるけれど、目の前に立ちはだかる届かない壁を乗り越えようとは思わない。
迂回しながら続くこの階段の先に待つものはもう決まってる。
俺はただここから転げ落ちないように足を進めればいい。
お膳立てされた人生にもそれなりに楽しみようはあるだろう。
それでも、いつか。
ある日突然、何かが変わるんじゃないかと、俺は心のどこかで期待してる。
来るはずのない、始まりの日を。


*****


メインストリートを横切って路肩に付けられた車の輝きに背後で歓声があがる。漆黒のロールスロイス・ファントムは今夜も過剰なぐらい丁寧に磨き上げられていた。
この車の専属運転手は高齢だが、手を抜かずきちんと自分の仕事をこなす。
ボンネットを飾るシンボルは真夜中でもよく目を引いている。目立ち過ぎるところがこの車の欠点だった。

「いつ見ても素敵ね」

遊び仲間の口から出た賞賛の言葉を素直に受け取りながら、俺は後部の扉が開く様子をじっと見つめていた。そこから黒いスーツを纏った細身の男が軽やかに降り立つ。
凛とした眼差しは真っ直ぐに俺を捕らえていた。この男には太陽の眩しい光よりも深い闇に煌めく星の輝きの方がよく似合う。

匡人(まさと)さん、お迎えに上がりました」

丁寧な口調に落ち着いた態度は普段どおりだった。俺がくだらない夜遊びをするのはいつものことで、それをこうしてやめさせに来るのもいつものことだ。煙たがられることも自分の仕事だと割り切っているんだろう。

「わかったよ」

適当に返事をしながら、俺はこのまま朝を迎えるであろう仲間たちに言葉を掛けて開いたままのドアに手をかける。

「悪い。じゃあ、また」

毛足の長い絨毯を踏み、白い革張りのリヤシートに身を沈めれば、ドアが静かに閉められた。
すかさず反対側のドアが開いて男が乗り込んでくると、滑るように車が発進する。馴染んだこの空間は嫌いではなかった。張り詰めていたものを吐くように、そっと溜息をつく。

窓の景色がゆっくりと流れ出して、次から次へと色とりどりのイルミネーションが視界を横切っていく。昼よりも夜の人口が増える街は居心地がいい。誰かに紛れて生きていけるのは、ひどく贅沢なことだと知っているから。

さっきまでの喧騒が嘘のように車内は静かだ。隣に掛ける男を横目で見つめると、身じろぎもせずどこか物憂げな眼差しで前を見据えていた。無表情な横顔は、精巧に作られた人形のようだ。
その表情が崩れた瞬間を、俺は一度しか見たことがない。

「 ─── 何か」

纏わりつく視線を払うような、鋭い一言だった。

「きれいな顔だなと思って」

それは嘘ではなかったが、硬質な美しさは近寄り難く、目立たない。もう少し表情に人間味があれば、もっと人目を惹くに違いなかった。けれどそんなことに興味はないと、彼は思っているだろう。

「相当酔ってらっしゃるようですね。前にも言いませんでしたか。未成年がお酒を呑んではいけないと」

6年来俺に専属で仕える執事は、眉ひとつ動かすことなくそう諌める。 俺を仕方なく諭すのがこの男に課せられた任務で、それに適当に従うことが俺の役割だった。

「この国には未成年者が酒を呑んではいけないっていう法律なんてないんだ」

フロントガラスに視線を移せば、黒いボンネットにプラチナのように輝くこの車のシンボルが見えた。
キラキラと光るのは、翼を持つ女神を象ったスピリット・オブ・エクスタシー。
ああ、お前は羽ばたけるんだな。

「だからこそ、あなたは外で呑んではいけない。何かあった時には他人に迷惑が掛かります」

「他人にじゃなくて、七條の家にだろ。じゃあ、家で呑めばいいんだな」

つまらない問答に反応はなかった。別に返事を期待していたわけじゃない。
アームレストに肘を置いて浅く溜息をつきながら、俺は窓の外をぼんやりと眺める。
そしてふと、思うんだ。

この世界は、誰が動かしているんだろう。

俺はそいつに頼みたいんだ。どうか俺の世界を変えてくれと。


*****


七條グループが手掛ける事業は、金融、不動産、建築業、製造業、サービス業等多岐に渡る。その礎を作ったのが7代前の七條幸太郎、つまり俺のご先祖だ。

この国では戦後、GHQの施策により大規模な財閥が軒並み解体された。戦争の度に政府の軍事輸送や軍艦製造などで莫大な利益を上げてきた七條財閥も、その例に漏れない。
解体とはいうものの、財閥そのものが消滅したわけじゃない。七條財閥の傘下企業は、水面下でゆっくりと息を潜めながら富を築いてきた。
1997年の独占禁止法改正によって、純粋持株会社の設立が許可され、かつての財閥企業は企業グループとして再び集結し始めた。

時代が巡ってきたんだと、千早は言う。けれど俺には関係ない。
そう、関係ないんだ。




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