Turning Kiss[2/2]

「おい!」


小夜子を咎めようとした俺を、アスカが腕を伸ばして制する。

神業のような手つきで、俺のズボンの後ろポケットから財布を取り出して。

札入れから1万円札を抜き取り、テーブルの上に置いた。


「もういいよね。行こう、ワタルさん」


アスカは椅子を引いて立ち上がる。

水を滴らせながら小夜子を見るその顔は、殺人的な色気を放っていた。


「少しは、気が済んだ?」


店内にいる全員が固唾を飲んで見守る中、俺はアスカに腕を引かれて店を出る。






「本当に、すまなかった」


「いいよ。これも料金に含まれてるから」


道を歩きながら、アスカが濡れた髪を掻き上げる。


「風邪ひくから、着替えを買おう」


「すぐ乾くから、大丈夫だって」


拒むアスカを引っ張って、一緒に近くのデパートに入る。

エレベーターに向かって化粧品売場の間を縫うように歩いていると、アスカがふと立ち止まった。


「もう、売ってるんだ」


コスメカウンターに貼られたポスターには、少女と大人の狭間にいるような可憐なモデルが、外国人の男とキスする直前の距離で映っていた。艶めく唇には、トロリとしたリップグロスが塗られている。


「これ、試作品だったんだけど。ちゃんと商品になったんだね」


『HONEY LIP』


その唇にキスをすれば、きっと蜜のように甘いのだろう。

さっきのアスカとのキスのように。


「これが、どうかしたか?」


「ううん、ちょっとね」


そう言うアスカは、懐かしそうに目を細めて微笑んだ。






「サヨコさんに、悪いことしちゃったな」


帰り道。アスカはそんなことを言う。

間に合わせで買った薄手の白いシャツは、アスカによく似合っていた。


「あの人、ワタルさんのことがすごく好きだったんだね」


そうなのかもしれない。俺のどこがよかったのかは知らないけど。


「いい人が見つかって、幸せになったらいいのにな」


そう言うアスカは、何だかとても淋しそうで。抱き締めたくなるぐらい、かわいかった。


「ワタルさんもだよ」


不意にその瞳をこちらに向けるから、俺は不純な考えを見透かされた気がしてどきまぎする。


「え?」


「サヨコさんのこと、早く忘れられたらいいね」


「俺は……」


気持ちに未練はないつもりだった。なのに、身体は忘れることはできなかった。

でも、もしかしたらそれこそが、未練のある証だったのかもしれない。


「そんなによかったんだ、あの人とのセックス」


アスカのダイレクトな物言いに、思わず人目を気にしてしまう。


「……そうだな」


「じゃあ、もっと気持ちいいことしたら、忘れられるかもね」

無邪気にそう言うアスカの顔が、なぜか俺を誘っているように見えて。

ああ、俺は何をぐらついているんだろう。アスカは男だっていうのに。

俺は不思議な色気を放つ年下の男を横目で見つめる。

あのバーのマスターと契約したのは、変わりたかったからだ。

気持ちの伴わないセックスで他人を傷付ける自分を、変えたかった。


「ワタルさん、危ない」


見惚れすぎてすれ違う人とぶつかりそうになる俺を、アスカが引き寄せる。

思いのほかその力は強く、バランスを崩して思わずアスカを抱き締める。

ふわりと花のような甘い匂いが、鼻をくすぐった。


「……ごめん」


引き離すと、アスカは俺を見上げながら、艶やかに微笑んだ。


「忘れさせてあげようか?」


その美しい眼差しに、吸い込まれていく。


「アスカ……」


どういう、意味だ。

言葉にする前に、アスカが目を逸らす。


「お腹すいたね。早く帰ろう」


アスカは、俺の指に絡めるように手を繋いでくる。

幼子のように純粋で、蜜のような甘い色気を纏うアスカ。

俺はその手を振り解くことができずに、歩き始める。






この4日間で、アスカはきっと俺を変える。

それがいい方向であることを、俺はなんとなく予感していた。




"Turning Kiss" end


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