「身体、つらいんだけど」
素肌に触れるのは、柔らかなシーツと人肌の温もり。どっちも気持ちよくて嫌いじゃない。でも今は気怠さがそれに勝る。 窓の外には夕闇が広がってる。ああ、あの時もこんな感じの空だったなあなんて、無性に懐かしさが込み上げてくる。
「お前ががっつくからだろうが」
「手加減しろ、バカ海里。バカイリ」
ぽすん、と腹立ち紛れに布団越しに脇腹の辺りを叩いてみるけど、うまく力が入らない。何となく負けた気分になって、悔しくて顔を睨みつけたものの、眼鏡を外した顔は万里と同じだからつい見惚れてしまう。ああ、余計に腹が立つ。
「今日、泊まっていい? 疲れたし動くの無理」
「受験生だろ。帰って勉強しろよ」
「明日の朝ちゃんと帰るって」
わざとらしい小さな溜息は肯定の返事。ああでもどうせ夜は夜でまたするんだろうなーとか思うと何だか墓穴を掘ってる気がする。
この手に触れるのは、居心地はいいけど名前のないぬるい関係。
「シャワー浴びたい」
「どうぞご自由に」
「連れてけ」
「………お前、どこまで我儘なの?」
呆れてるけど笑ってる。うん、そういう顔もいい。 このままずっとぬるま湯に浸かっていたいだなんて、思ってしまうことが間違ってるんだけど。
「伊吹、大学生になったらさ」
「うん」
伸びてきた手が髪に触れる。さらさらと梳かれるのがくすぐったい。少し細めた目が、俺を真っ直ぐに見つめてる。
「ここに住めば」
「………は?」
10秒ぐらいフリーズしてやっと出た言葉がそれだった。いや、なんで俺がここに住むんだ。
「海里、どっか引っ越すの?」
「なんでそうなるんだよ。ここ、俺の家だぞ」
「一緒に住めってこと?」
当たり前だという顔で頷かれて俺は唖然としてしまう。いやいや、なんで俺が海里と住むことになるわけ?
「無理。お前に女ができて追い出されたりとかしたら、面倒くさいし。そういうこと考え出すと落ち着かないし」
「まあ落ち着けよ」
「いやちょっと何言ってんの?」
落ち着いてるよ。いや、落ち着かないよ。
髪に触れてた手が滑り落ちてきて頬を撫でる。ドクドクと高鳴る心臓の音が海里に聴こえないように俺は掌で胸をギュッと押さえつけた。
「なんで俺が一緒に住もうって言ってるのにお前を追い出すんだよ」
「知らないよ、だって」
一緒に住む理由なんかない。確かに海里の傍は居心地がいい。万里のことが好きで、海里に甘えさせてもらっていいように利用してたのは俺だ。この関係は呼び名のない曖昧で不確かなものでしかない。
「伊吹、さっきから何か変だけど」
「お前の方が変だから」
抱き寄せられて、きれいに筋肉のついた両腕が身体に回る。さっきから高鳴ってる心臓が口から飛び出しそうだ。そもそもこいつが万里と同じ顔なのがよくないんだと思う。性格は全然違うくせに。 ああでもこの温もりは、すごく好きなんだけど。
混乱する頭に追い打ちを掛けるように、穏やかな声が耳元で響いた。
「言っただろ。俺が家族になるって」
──── え?
びっくりして、時間が止まったように俺は口を開けて呆然とする。だんだん息苦しくなってきて、呼吸することを忘れてたことに気づいた。慌てて深呼吸するけど、居た堪れなくて俯いてしまう。
ちょっと待って。あれって、もしかして。 縺れてた糸を慌てて解すようにいろんなことを考えようとするけど、頭がうまく回らない。思考がこんがらがっていく。
もしかして、海里には全部わかってたんだろうか。
「………とりあえず、大学受かってから考える」
「そうだな、落ちるかもしれないしな」
「落ちるって言うな」
恐る恐る顔を上げれば、なんでそんなにっていうぐらい優しい顔をしてて、どう反応すればいいかわからない。どうして、とか。いつから、とか。渦巻く疑問が喉の奥につかえてる。
「じゃあ、来春ちゃんと合格してここに来いよ」
憎たらしい微笑みがゆっくりと近づいてきて、唇が重なっていく。 うん、まあいいか。
春までまだ時間はあるから。それまでに掛け違えたボタンを直していけばいい。 とりあえず海里と過ごすこの時間を満喫しようと、俺は薄く唇を開いた。
"RIMLESS FREE" end
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