K01 : 熱の入江[11/24]


そう思ったのに、多田さんはおかしそうにクスクス笑ってた。

『楓くん、今夜は空いてる?』

───え?

「空いてる!」

思いがけない誘いにびっくりして、すごく大きな声が出た。

「めちゃくちゃ空いてるよ、多田さん!」

『今日は奥さんが家にいないから、1人で食べて帰らないといけないなと思ってたんだ。よかったら、一緒にどうかな』

すごい、すごい。ああ、電話してよかった!

携帯電話を握りしめながら、俺はもう嬉しくて飛び上がってしまいそうだった。

「もちろん大丈夫だよ! 多田さん、どこに行けばいい?」

「こっちの方に出て来てもらっても、大丈夫かな。前から行きたいと思ってたお店があるんだけど」

多田さんの職場の最寄り駅に、午後7時に待ち合わせ。

それだけを決めて電話を切ったときには、俺はもう兄貴とのことなんて完全に忘れてしまうぐらい浮かれてしまってた。





天井、壁、床。白が基調の内装は、きれいで清潔感に溢れてる。

お洒落だけどカジュアルな雰囲気もあるイタリアンレストラン。厨房がガラス張りになってて、テーブル席からは何人ものシェフがカラフルな食材を使って忙しそうに料理を作る光景が見える。

「多田さん、急に電話してごめんね」

ウェイターについでもらった深い色味の赤ワインで乾杯してから、俺は改めて謝る。

1週間振りに再会した多田さんは相変わらずカッコよくて、なんて言うかすごく洗練されてる感じがする。

この人は俺と違って大人なんだなって、改めて思う。

こうして向かい合ってるだけで、もう心臓はヤバイぐらいにドキドキしてる。

知的で整い過ぎた顔はちょっと冷たい感じもするのに、笑えば雰囲気が和らいで優しそうになる。

「どうして謝るの。誘ったのはこっちだよ、楓くん」

多田さんの微笑みにつられて俺も笑う。きれいな瞳でじっと見つめられながら「楓くんの笑顔は、無敵だね」なんて言われて、俺はどぎまぎしながら頷いた。

「うん。いつも楽しそうって、よく言われるよ」

「いや、そういうことじゃないんだ。なんていうか、すごく人を惹きつける力があるなと思って」

惹きつけられてるのは俺の方なんだけど。なんか気恥ずかしくなって、へへ、と照れ笑いをしてしまう。

「そんなことないよ。でも、ありがと」

初めに運ばれてきた料理は、真っ白なプレートに盛り付けられた、色とりどりのオードブルの盛り合わせ。少しオレンジ色の掛かった照明の下で、食材のひとつひとつがキラキラ輝く。

「うわあ、おいしそう! 多田さん、食べよ! いただきます」

手を合わせる俺をまじまじと見てから、多田さんは表情を緩める。

「うん、いただきます」

オリーブオイルの絡んだ魚介サラダに手を付ける。口に入れるとふわりと素材の優しい甘みが広がった。

おいしいって、幸せだ。料理はあんまりできないけど、シェフってすごく素敵な仕事だなと思う。

料理やワインを口に運びながら2人で話すのは、本当に他愛もないこと。大学の話、最近見たテレビ番組、好きな食べ物。

喋ってるのはほとんど俺ばっかりなんだけど、多田さんは相槌を打ちながら、時々自分のことを話してくれる。テレビはニュースぐらいしか見なくて、好き嫌いはないんだけど実はピーマンが少し苦手。ほんのちょっと多田さんのことがわかっただけで、俺はすごく嬉しかったりする。

「楓くんってきっとすごくモテるんだろうね。表情が豊かで、明るくて人懐こくて」

お酒も程よく進んだところで、多田さんは俺を見つめながらそんなことを言う。

「否定はしないけど、同じぐらいフラれることも多いよ」

そう口にすれば、多田さんは意外そうな顔をする。

「本当に? 信じられないな」

「俺、真剣に恋愛ができないから」

少しだけ、2人の間の空気が変わる。そっと吹いていた風が、何かに遮られてピタリと止んだみたいな。そんな感じだ。

「誰かと付き合ってるときは、ちゃんとその人だけだし、浮気とかもしないし。真面目に付き合ってるつもりだけど、でもずっとその人を好きでいられるとは思ってないんだよね。
そういうのって、こっちが言わなくても一緒にいるうちに気づかれちゃうんだ。だから相手も、本当に好きになってくれそうな人がいたら、そっちに行こうって気になるんだと思う」

このグラス、何杯目だっけ。ワインをあおりながら頭の片隅で考えようとするけど、途中でわからなくなってくる。かなり酔いが回ってる証拠だ。

「楓くんは、まだ若いからね」

目の前の人は、労わるような瞳で俺のことをじっと見ている。

「それ、よくわかんないかも。若いとか関係ある?」

「多分。いや、どうかな」

「ええっ、どっち?」

曖昧な答え方がおかしくて、見つめ合ってクスクス笑う。2人でいる空間はすごく居心地がよくて、ああもっとたくさんの時間を一緒に過ごしたいなと思った。

でも、この人はきっと俺のことをそんな風には見てないんだろうな。

偶然出会った大学生と、そのまま呑みに行って始まった関係。そういうのって多田さんにはちょっと珍しいことなんだと思う。今俺と一緒にいるのも、今夜は奥さんが家にいないから時間を持て余してて、そんなときにタイミングよく連絡があったから、何となく会ってるんだろうし。

多田さんにとって俺は、ただそれだけに過ぎない友達未満の関係。

多田さんが結婚してなければ、せめて新婚さんじゃなかったら、何のわだかまりもなくスムーズに進展したんだろうか。想像しようとするけど、どうしてもよくわからなかった。

「じゃあ、多田さんは奥さんと真剣に恋愛して結婚したんだね」

さりげなく探りを入れれば、はにかむような笑顔と一緒に「まあ、どうかな」なんて照れ隠しみたいに曖昧な言葉が返ってきた。

だから、俺の胸は少しだけ痛んでしまう。

「いいね、幸せそう」

グラスを片手にそう呟けば、気のせいかもしれないけど───多田さんはほんの少しだけ困ったような表情を見せた。








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