K01 : 熱の入江[5/24]


満面の笑みで近づいてきた涼平は、間近で俺を喰い入るように見つめて、ポカンと口を開けた。

『男?』

『そうだけど俺、男もイケるよ。はい』

そう言って携帯電話を差し出せば、『ああ、なるほどね───って、ええ? まあ、いっか』とか言いながら、自分も携帯電話を取り出してた。

入学して授業が始まって、俺が美桜ちゃんといたら、なぜだかそこに涼平もついてくるようになった。

そういうときは、いつも傍にはべらせてる女の子たちは連れて来ずに、1人でやってくる。
美桜ちゃんのことが目当てなのかと思ったけど、そうでもないみたいだ。

何より、クールな美桜ちゃんはハナから涼平をそういう相手としては見てなかったんだけど。

飽きない。移ろ気な涼平にとって、それが一緒にいたいと思う最大の理由になるらしい。
だから涼平は、あちこちの女の子を渡り歩きながらも、合間合間にこっちにやって来る。

『あなたたち、少し邪魔なんだけど』

最初は俺たちのことをそんな風に言ってた美桜ちゃんも途中で諦めがついたらしくて、気づけばなんとなく3人で一緒にいる時間が長くなってた。





「美桜ちゃん、また難しそうなの読んでるね。それ、何て本?」

「ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』」

聞いたこともない題名だった。

「何が書いてるの」

貸出カウンターに布製のいかにも値の張りそうな本を差し出しながら、美桜ちゃんは淡々と答える。

「功利主義思想家ベンサムが考案した一望監視装置パノプティコンは魂の刑罰装置で」

「うわ、ごめん。もうちょっと噛み砕いて」

「中世における刑罰は身体刑だった。でも、近代では犯罪者は監獄に収監され、そこで理性的な人間になるように監視されて矯正される。それは、精神を」

「うーん、もうひと声」

ちょっと申し訳ない気持ちを込めながらそう言えば、美桜ちゃんは、ふうと息を吐いた。

「自由であることは難しい」

淡いピンクのリップグロスが昼の光を反射してツヤツヤ光る。

「そういうことが書いてある」

俺は一生読むことがない本。

自由であることは難しい。それは俺も何となく気づいてる。

「そうなんだ」

端的に言われてもその本の内容はやっぱりよくわからないけど、それでも一応相槌を打つ。

そのまま図書館を出て構内のカフェに行くと、店内もやっぱり人は少なくて、1番角のテーブルに掛けてアイスティを2つ注文した。

「話したいことって、何」

おもむろに訊く美桜ちゃんは、黒目がちな瞳を真っ直ぐに俺へと向けてくる。

美桜ちゃんにはごまかしが全然効かない。クールなのに、いつも核心をついてくる。それってある意味不器用な生き方なのかもしれない。

「うん。この間、飲み会の帰りにさ」

俺は多田さんと出逢ったときのことを順を追って話していく。

この興奮を誰かに伝えたい。その相手に美桜ちゃんを選んだことには、ちゃんと理由があった。

「……珍しいね」

ちゅるちゅるとストローでアイスティを吸って、開口1番に美桜ちゃんが言った言葉がそれだった。

「楓が恋に堕ちるなんて」

「俺、恋はいっぱいしてるよ。どっちかっていうと経験豊富な方だと思うし」

「知ってる。だけど、恋はしても恋に堕ちない。それが今までの楓」

淡々と謎掛けみたいな言葉を口にする美桜ちゃんの瞳が、秘密を見つけた子どものようにきらりと煌めく。

「いいんじゃない。その男の人は、条件に当てはまってる気がする」

「条件?」

「うまく不倫する条件」

口角がきれいな角度で上がって、そういえば久しぶりに美桜ちゃんの笑顔を見たなと思った。


*****


『楓、ホテルに行こうか』

カフェに行こうか、と同じノリで美桜ちゃんが無表情にそう言ったのは、大学1年生の6月のことだった。

ちょうど梅雨の時期で、4限の授業が終われば薄暗い雲で覆われた空が今にも泣き出しそうに震えてた。

俺は美桜ちゃんと2人で授業を受けてて、一緒にキャンパスの門を出たところ。朝は天気が良くて傘を持って来てなかったからコンビニでビニール傘でも買おうかな、なんて思ってたときに、美桜ちゃんからまさかのそんなお誘い。

『へ? うん、いいよ!』

ふたつ返事で大学の最寄り駅近くにあるラブホテルに入って、部屋の写真がズラリと並んだ光るパネルを眺める。

『好きなとこ、選んでいいよ』と言おうとしたら、美桜ちゃんは目の前のボタンを勢いよく押した。選んだ理由は、多分そこが1番押しやすいところにあったから。

性欲を満たすためだけに作られた部屋の鍵を閉めて中に入れば、ピンク色のシーツが掛かった大きなベッドが広がってた。

『美桜ちゃんって、俺のこと、ちゃんと男って認識してくれてたんだね。なんか意外』

危険なところに咲く一輪の花は、ベッドに腰掛けて両手を伸ばす。

『楓、キス』

端的なねだり方。俺はゆっくりと近づいてそっと柔らかなそうな唇に口づける。

淡いピンクのリップグロスは、ほんのりと甘い味がした。

舌を絡ませながら背中に手を這わせて、ワンピースのファスナーを降ろしていく。掌で辿る背中は華奢だけど女の子らしい柔らかな肉づきで、俺の中の男がむくむくと頭をもたげ始める。

『美桜ちゃん、シャワー浴びる?』

唇を離してそう訊けば、美桜ちゃんは首を振った。

『いい。楓は?』

『そっか、よかった。俺もね、早く欲しい……』



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