the 4th day[6/15]

「お父さんがいる家は好きじゃなかったけど、クラスの人達ともうまくいってなかったし、学校に行けなくなって、家にしか居場所がなかった。話ができる人もいなくて、毎日が本当につらかった。逃げ出したくて仕方なかったけど、僕が家を出たってどこにも行くところなんてないし、誰も助けてくれないと思ってた。でも、拓磨さんもハルカもおばあちゃんも、こんな僕のために色々としてくれる。どうして僕のことを助けてくれるんだろうって、今もすごく不思議なんだ」

懸命に想いを伝えようとするミチルを見ていると、胸が痛くなる。自分を傷つける者のいない場所。それが、この子にとっては未知の領域なんだ。

「それはね、お前がいい子だからだよ。だからみんなが何とかしてやりたいと思うんだ」

俺がそう言えば、ミチルは「いい子……」と呟いて黙り込んだ。いい子だと褒められることのなかったこの子は、ちゃんと俺の言うことを理解してくれるだろうか。
ハルカと3人で自分のことを話すゲームをした時、ミチルは学校でいじめを受けていたと言っていた。

思い出すのは、遺族支援班として関わったあの事件のことだ。
殺人を犯した少年の家族が受けていた社会的な制裁の数々。ネットで世界中に住所や名前、家族のことまで暴露され、家に石を投げ込まれた上に『人殺し』と貼り紙をされて、外にも出られない状態だった。

日常を一気に奪われて、全てから逃れるように自殺した父親。それをずるいと責めた、幼子を抱える母親。
あの光景を、俺は一生忘れることはないだろう。

「ミチル。世の中には、自分一人じゃどうにもできないことがたくさんある。大人になってからもそうだ。いじめは子どもだけのものじゃない。成人して社会に出たって、いじめられることはあるんだ」

時に社会は理不尽だ。それをミチルに説明しなければいけないことが、やるせなかった。

「助けてほしいのなら、手を差し伸ばすんだ。どんな時でも、その手を取ってくれる人はどこかにいるから」

本当のことを言えば、いつも助けてもらえるとは限らない。それでも諦めないでほしいんだ。その手が希望を掴むまで。

「お前に必要なのは、手を差し伸ばす勇気だけだ。いいか」

ミチルは喰い入るように俺の顔を見つめる。澄んだ瞳にみるみると涙が滲んでこぼれ落ちた。

「うん」

頷きながら手を差し出してくる。やや小ぶりなその掌を俺は両手でしっかりと握り込んだ。

「……拓磨さん。僕も刑事さんになりたい。なれるかな?」

涙混じりに突拍子もないことを言われて、あからさまに狼狽えてしまう。

「 ── え?」

ミチルは目を潤ませて恥ずかしそうに笑う。しっかりと俺と向き合って、おずおずと口を開いた。

「拓磨さんみたいな正義の味方になって、誰かを救いたいんだ」

その言葉は眩しい輝きを伴いながら、心の中に沁み込んでいく。

頭の中で、万華鏡のように目まぐるしく回転する景色。
遊園地。ヒーローショー。血の繋がりのない、ずっと憧れていた義理の兄。

『兄ちゃん。俺、正義の味方になりたいんだけど、どうやったらなれるかな』

『正義の味方だったら、警察官なんてどうだ』

大切な人を守れる人間になりたい。
その時から、俺の夢は警察官になること。

熱いものが込み上げてきて、ミチルの驚いた顔が霞んで見えた。掴んでいたその手を引き寄せて、小さな身体を強く抱きしめる。

大丈夫。お前はもう、俺を救ってくれてるよ。

抉れた胸の傷を癒すように俺はミチルと抱き合い、子どものように涙を流し続けた。








ミチルと別れて一人で署に戻った頃には、もうとうに日は暮れていた。
署の駐車場にとめた車から降りて、暗い夜空を仰ぐ。疎らにチカチカと星が瞬いていた。
濁った都会の空を素っ気なく思う気持ちはわからなくもないけれど、控えめに光を放つ星もそれはそれで健気に思えるものだ。
見慣れたこの空と旭日章の輝くグレーの建物が描くコントラストは、俺にとっては馴染みのある光景だった。
こうして夜の署を眺めるのも、随分久しぶりだ。

扉を開けて課の大部屋に入れば、半数ぐらいの者は姿が見えなかった。もう仕事を終えて帰っているんだろう。
けれど馳係長と山川は、当然のようにデスクに座っていた。きっちりとまとめた書類の束から視線を上げて、山川は声を掛けてくる。

「三崎さん、おかえりなさい。おつかれさまでした」

屈託なく笑う相棒の笑顔は明るい。以前と変わらない態度にありがたいと思う反面、申し訳なさも募る。

「今日のところは帰るか」

係長が立ち上がって独り言のようにそう漏らした。二人とも仕事を片付けながら俺の帰りを待っていてくれたに違いなかった。

「三崎さん。もう遅いけど、久しぶりにちょっとだけ呑みに行きませんか」

「……悪い、今日は」

ハルカに早く会いたい。

続く言葉を呑み込んで歯切れ悪く答える俺に、山川はあっさりと引き下がった。

「じゃあ次、行ける時に。約束ですよ?」

次の約束、か。
俺が急に辞めると言い出して出勤しなくなったことで、山川も相当な迷惑を被ったはずだ。それなのに、これからは俺がちゃんとここへ来ると信じている。それが不思議で仕方なかった。

返事ができないまま小さく溜息をつく。沈黙を破ったのは、いつになく真摯な山川の言葉だった。

「俺はね、三崎さんに憧れてるから。三崎さんって普段、頭を下げればスムーズにいくだろうなってとこでも絶対に謝らないし、誰かに媚を売ることもしない。マイペースで面倒くさくて女の人にだらしない、いい加減なチャラチャラした人に見える。だけど俺は、三崎さんの鋭敏な捜査感覚も、事件に取り組むひた向きな姿勢も、プライドを持って仕事をするところも、ずっと傍で見てきました。三崎さんの面倒くさいところは全部自信の裏打ちだ。いつかは追いつきたいと思ってます。追いつきたいし、追い越したい。だけど今はまだもう少し、三崎さんの背中を見ていたいんです」

俺は二の句を告げることができなかった。ひた向きっていうのは、山川みたいな奴のことを言うんだろう。

「女の人にだらしないは、余計だろ」

「本当のことでしょう。あ、そうだ。今度合コン行きます? 三崎さんがいなくて、ずっと保留にしてた分があるんですけど」

こいつらしいと思った。それで俺を繋ぎ止められるとでも思ってるのか。
そんな事実は存在しないのかもしれない。それでも俺は、適当に返事をする。

「考えとく」

その答えに満面の笑みを浮かべて、山川はまた書類に視線を落とした。完封負けした気分だ。

帰る支度をして、3人で順に立ち上がる。馳係長の後に続いて扉を出ようとしたその時、低い声がぼそりと耳に届いた。

「沙耶ちゃん、お前に会いたがってたぞ。落ち着いてからでいい。挨拶ぐらいして来い」

その名前を聞いた途端、俺は頭の中で彼女の笑顔を鮮やかに思い描く。
遺族支援班に従事していた時に、俺が面倒を見ていた子だ。



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