Stigmatic Kiss side A - introduction -[3/9]


肉体を失い、魂だけになる。そうすれば僕は、サキと同じになれる。


けれど僕は、天上へは行けない。


いずれにせよ、もうサキに赦しを乞うことはできない。

穏やかな時間は、背負う罪ごと僕を緩慢に縛りつける。

ここで待っていれば、ユウは必ず来てくれる。それがわかっているからこそ、僕はこうして待つことができる。

ベッドの上で、僕は小さな子どものように膝を抱えて座り込む。こうして押さえつけておかなければ、心が身体からすり抜けてどこかへ行ってしまう気がした。

寝室の扉がゆっくりと開く。闇に慣れた瞳は、その身体の輪郭をしっかりと捕らえることができる。

バスローブに身を纏ったユウが、僕に視線を合わせてこちらへと歩み寄ってくる。

全てを覆い隠す夜のヴェールを掻き分けて、その底にうずくまる僕の元へと降り立つ。


「……ユウ」


ベッドが軽く軋んで、僕たちは隣り合わせに腰掛ける。


「アスカ」


耳元の囁きは、するりと夜の空気に溶け込んでいく。

低く奏でるように僕の名前を呼ぶ声。

2人の間を流れていく心地よい沈黙。

穏やかに注ぎ込まれる優しい眼差し。


「 ─── 僕、ユウのことが好きだよ」


隣にいるその人を見上げれば目と目が合って、心臓が少しだけ痛みを訴える。

これが恋情かと問われれば、僕は違うと答えてしまうだろう。

ユウに抱いているこの気持ちは、きっと親愛の情にとても近いものだ。

サキの後を追おうとした僕を生かしてくれたのは、ユウだった。

それもその場限りではなく、罪に塗れたこの身体を抱いて、自分が穢れていくことも厭わずに僕と同じところまで堕ちてきてくれた。

僕を見つめる双眸は、闇の中で僕を導く一筋の光のように美しく煌めく。

サキと同じ鳶色の瞳は、未だ償い切れない罪を僕に知らしめる。

ユウの中には、紛れもなくサキと同じ血が流れているのだ。


「……僕、ユウと一緒にいればどうしてもサキを思い出してしまうよ」


その言葉にユウは何も答えない。そんなことは、僕が言うまでもなくユウにはとうにわかっているはずだった。

そして、僕はまだ1番大事なことを訊けていない。


─── ユウは、僕のことをどう思ってるの?


「それでも、ずっと一緒にいてくれる?」


そう尋ねながらも、僕は自分自身を見失っている。

僕はユウに何と答えてほしいのだろう。

一緒にいたい。一緒にはいられない。

そのどちらを耳にするのも怖い。サキを失ってからの僕は、"ずっと"と呼べるほど遠い未来を思い描いたことなどなかった。

ユウが僕の肩を抱く。不意に与えられたぬくもりについ身じろぐ僕の顔を見下ろして、ユウは少しだけ表情を緩ませた。


「アスカ。どうして、何も着てないんだ。風邪をひく」


そのまま引き寄せられて、そっと包み込むように抱きしめられた。その腕の中は暖かく心地よい。

息を殺し目を閉じて神経を研ぎ澄ませば、それは確かに僕の求めるぬくもりそのもののように思えた。だから僕はゆっくりと詰めていた息を吐いて、広い背中の体温を確かめながら腕を回していく。


「うん、少し寒いよ」


自分の中で張り詰めていたものが、緩々と解れていく。

顔を上げて隣にいる人を見れば、至近距離で美しい瞳が煌めく。

サキと同じ瞳が、僕を喰い入るように見つめている。

ユウの中にサキの幻を見ながら。

忘れられない罪を贖う方法を探しながら。

これからも、この聖域に護られて生きていけるなら。


「ユウ、暖めて……」


これが、僕にとって最良の選択に違いない。

求め合い触れる唇からは、一瞬で焦れるような熱が生まれる。

唇の隙間を割って挿し込まれる舌は僕の戸惑いさえ滑らかに絡み取り、じんわりと融かしていく。

気持ちよさにうっとりと吐息を漏らせば、それごと味わうようにまた角度を変えて唇を重ね直される。

ユウとのキスはいつも、温度はあるけど感情が篭っていなかった。

けれど、今はそうではなかった。合わさる唇から流れ込む熱が、僕の身体を内側からひたひたと満たしていく。

これがユウの僕に対する想いの丈なのだとすれば、僕はなんて恵まれているのだろう。


そうだ。僕は、本当に恵まれている。


とめどなく与えられる熱に揺さぶられて、身体の芯は小刻みに震え続ける。

互いの情欲を掻き立てる口づけを交わしながら掌で背中を支えられゆっくりと押し倒されれば、触れるシーツの冷ややかな感触にざわりと鳥肌が立った。


「……ん、ユウ……」


胸のあたりを片手で少し押せば、柔らかな余韻を残したまま唇が離れる。僕は口から冷たい空気を吸い込み、閉じていた瞼をそっと開いた。

間近に見えるのは、クリスタルガラスのように煌めく2つの瞳。

この闇を照らす総ての光が、そこに集まっているかのようだ。

淡い色をしたその瞳を見る度に僕の胸は苦しいほどに締めつけられ、意識は穏やかな郷愁に揺蕩う。

この人と一緒にいることでしか覚えられない哀しく懐かしい感情が、胸の内に広がっていく。

こうして見つめられれば、手を伸ばしても触れることのできない何かに自分自身が包まれていることを感じる。

けれど僕は、もっと確かなもので満たされたい。身体も、心も。

その手段が今は快楽しかないのなら。

僕は、甘んじてそれを受け容れたい。




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