the 2nd day[12/18]

口の中が砂を含んだようにザラザラしているのは、部屋の空気が乾いているせいかもしれない。

こうして聞く限り、ミチルの父親は素行の悪い人間なんだろう。ミチルは育ててくれてると口にしたものの、そんなのは育児とは言えない。小さな子どもに金だけを渡して何日も家を空けるのは、ネグレクトに他ならない。
ミチルは時折言葉に詰まりながら、その先を続けていく。


「小さな頃から引っ越しが多くて、僕はどの学校に行ってもうまく馴染むことができなかった。いじめられることも多かった。今の高校にも、入学してからほとんど行ってない。家を出てどこか遠くに行きたいと思ったこともあった。でも頼れる人がいないし、僕にはどこへも行く場所がなかった。それに、お父さんを裏切るのはいけないことだ。だから僕は」


悲痛な声が、細かく震えていた。


「ずっと家にいるしかなかった」


消え入りそうな語尾に何とか言葉を繋げたミチルは、視線を下げたままクッションを俺に差し出す。
ミチルは本当の話が1回と、嘘の話が1回。

こういう境遇に置かれている子どもは決して珍しくはない。もっと悪いケースを挙げればキリがない。
仕事柄、家庭環境が複雑な子どもはたくさん見てきた。だから、俺にはわかる。

ミチルに刻まれた傷は、まだ隠されている。
恐らく、ミチルの抱えるものは今言ったことだけじゃない。続きがあるんだ。

今聞いた断片的な話だけでも、ミチルの父親が酷い人間だというのはわかる。
けれど、ミチルが父親を怖いと思う本当の理由は、まだ出ていない。

口から盛大な溜息がこぼれていく。ああ、結局俺はこの子を放っておけないんだ。刑事としても、俺自身としても。
ミチルのことを、何とかしてやりたい。でも俺がそう思っているだけじゃ無理なんだ。俺は一旦腰を上げて座り直し、ミチルに正対する。


「俺はずっと続けてきた仕事で、子どもを助けることができればいいと思ってた。色々あって、もうその仕事を辞めるつもりでいるけど、それでもミチルが困ってるなら何とかしてやりたいし、今の俺にも何かできることはある。そう思ってる」


3回目の本当の話。結局、俺は嘘を言う機会を逃した。でもこれでいい。
ミチルは真っ直ぐに俺を見つめる。穢れを知らない美しく澄んだ瞳は、ハルカの持つそれにとてもよく似ていると思った。


「俺は、お前の味方になる。これは本当だ。お前は味方になってくれる大人を知らない。だから、どうやって手を伸ばせばいいかもわからないんだ。いいか。お前はその手を差し出しさえすればいい。心配するな。俺がしっかり掴んでやるから」


この言葉がきちんと胸に届くことを願いながら、俺はミチルを見つめ返す。

ミチルは返事をしなかった。けれど、視線は逸らさない。険しい表情のまま縋るような瞳で俺の顔を見つめて、ひたすら何かを考え込んでいるようだった。
ミチルはここで傷を曝け出してもいいかどうかを、自分自身に問うているのかもしれない。

そこで俺のターンは終わりだ。祈るように、俺はハルカにクッションを渡す。
ハルカは美しい微笑みを浮かべながら、凛とした眼差しでミチルを見た。そこには、ごまかしも偽りもない。


「僕もミチルの味方だ。何があっても、それは変わらない」


落ち着いた声で力の篭った言葉を告げて、手にしているクッションをミチルに差し出す。
細い指が、ギュッとピンクの布に食い込んでいく。少しの沈黙の後、ミチルは視線を落として口を開いた。


「………最初は、何が起きてるのかわからなかったんだ」


唇を噛み締めて一呼吸置いてから、ミチルは小さな声で細く息を吐くように、静かに語り始めた。


「小学5年生の夏休みだった。その夜はすごく蒸し暑かった。僕、エアコンが1時間で切れるように、タイマーを掛けて寝てたんだ。でも、エアコンが切れてしばらく経ってからだと思うけど、暑くて目が覚めて。もう一度エアコンを点けたんだけど、身体がびっしょり汗で濡れてるのが気持ち悪くて、着替えようかどうかを迷ってた。なかなか寝つけなくて、タオルケットに包まりながら何度も寝返りを打って。そうしたら、突然部屋にお父さんが入ってきた。
遅くに起きてると、叱られるかもしれない。だから僕は、寝たふりをした」


嫌な予感がじりじりと意識の底から這い上がってくる。下を向くミチルの視界には入らないかもしれないけれど、俺は相槌代わりにしっかりと頷く。ちゃんとミチルの話を聞いていることを、示したかったからだ。


「お父さんは、僕の寝ているところまで近づいてきた。ベッドの横に跪いて、僕の顔を覗き込んでくる気配がした。それでも、僕はじっと目を閉じていた。起きていることをお父さんに知られてはいけない気がしたんだ。
それから、お父さんは被っていたタオルケットをめくって、僕のパジャマのボタンをひとつずつ外していった。僕が汗をかいてるから、着替えさせてくれるんだ。そう思ってたら、唇に何かが触れた。薄目を開けたら、それはお父さんの唇だった。それでも僕はまだ、これから自分が何をされるのか、わかってなかった」


ミチルは抑揚のない声で、淡々と話し続ける。まるで、他人のことを喋っているようだ。
こういう喋り方をする子どもを、俺は何人も見たことがある。犯罪の被害や虐待などで、ひどくつらい目に遭った子たちだ。

取り乱さないからと言って、平気なわけじゃない。自らの身に起きたことを他人事のように語ることで、自分の心を守っているんだ。


「お父さんは、僕の服を脱がして、身体をたくさん撫で回した。本当に、どうしてかわからなかったんだ。でも僕は、お父さんに……」



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