the 1st day[19/20]

「そろそろできたんじゃないかな」


鍋蓋を取りながらハルカはミチルと俺の顔を交互に見つめる。ミチルもそっと身を乗り出して鍋の中を覗き込み、その顔に喜びを滲ませた。

そうだ、こいつは相当腹が減ってるに違いないんだ。

3人で神妙に手を合わせて、食事前の挨拶を唱えた。


「いただきます」


順番にレンゲで具材を掬ってとんすいに入れていく。

昆布と鰹で出汁を取ってあり合わせの調味料で味付けをしただけだとハルカは言うけれど、シンプルな味わいながらしっかりと旨味が染み込んでいる。


「うん、おいしい」


「よかった」


素直に感想を口にすれば、ハルカは嬉しそうにはにかんだ。


「お前も食べてみろよ」


俺が促すと、ミチルはようやく器に箸を付ける。箸先を口に運んだ途端、目を輝かせながら笑って顔を上げた。


「本当だ、おいしい」


俺に初めて向けられた笑顔は屈託がなくかわいかった。けれど目が合った途端、顔を強張らせて俯いてしまう。

おい。俺はそんなに恐い顔はしてないつもりだぞ。


「ミチル、お前は笑ってる方がいいよ」


宥めるようにそう言えば、ミチルはまた顔を上げて、今度は俺の目を窺うようにじっと見つめる。


「………あの、タクマさん」



ミチルのその瞳を、俺はよく知っていた。それは、今まで仕事をしてきた中で幾度も出会ってきたものだ。

救いを求める者が、藁をも縋る思いで向けてくる眼差し。


「僕のこと、本当に置いてくれるの……?」


幸か不幸か、俺はそれに気づかない振りができるほどの無神経さを持ち合わせていなかった。


「ずっとってわけじゃないぞ。さっきも言ったけど、少しの間だけだ」


せいぜい明日か明後日まで。それぐらいなら、何とでも言い訳は立つ。それよりも長くここに留めておけば、下手をすると俺が罪に問われることになりかねない。

その答えに、それでもミチルは安心したように頷いた。


「ありがとう。それと……警察には、絶対に言わないで」


ミチルの言葉を受けて、ハルカが俺にチラリと視線を流す。

はい、警察ならここにいますよ。

なんて言うと思うか? 俺もそこまで馬鹿じゃないよ。


「警察には通報しない。でも、お前の家がどこかを教えろよ。具体的な住所はいらない。だいたいどの辺りかぐらいでいいから」


家出をしてきて、何らかの事情があって家には帰れない18歳未満の子どもを通報するとすれば、児童相談所が適切だろう。

だから、どこの児相の管轄になるかを知りたくて訊いたはずだったのに。

ミチルが遠慮がちに漏らした区の名前を聞いた途端、俺は頭を抱え込みたい気持ちでいっぱいになる。

ミチルの家は、まさにうちの署の管轄だった。




他愛もない会話を重ねていくうちに、ミチルは少しずつ打ち解けているように見えた。

ハルカはよく気に掛けていて、ミチルが気を遣わないようにちょっとしたことを手伝わせたり、さりげなく当たり障りのない会話を振ったりしている。そんなところにえらく母性を感じる。

ハルカを見ていると、やっぱり彼女のことを思い出す。

食事を終えてから3人で一気に後片付けをして、交代で風呂に入った後、布団の準備をする段階になって俺はハタと気づく。

ミチルはどこで寝ればいい?


「一緒に寝ようか」


ハルカが妙に色っぽい顔でミチルに甘い言葉を掛けている。いやいやお前、なんで無駄に悩殺モードなの?

けれどミチルは顔を赤らめながら、かぶりを振った。


「えっと、できれば1人で寝たいんだけど……無理かな」


1LDKの家に来て1人で寝たいだなんて贅沢なことを言うな、と言いたいところだが、俺は俺でハルカと2人きりで寝たいという邪な考えもあった。


「リビングのソファが、背もたれを倒せばベッドになる。ハルカと俺は、向こうの部屋で寝るから。それでいいか」


「うん、ありがとう」


俺の言葉にミチルはホッとした様子で頷く。1人で寝られないハルカと1人で寝たいミチル。そこは真逆なんだなと、どうでもいいことを思う。

寝室のクローゼットから予備の掛け布団と枕を出してリビングに運んでやると、ミチルは平らになったソファベッドの上に膝を抱えてぼんやりと座っていた。


「ほら、使えよ」


ボンと横に布団を置くと、俺の顔を見上げて「ありがとう」と口にする。

頭の片隅でずっとくすぶっている疑問を、俺は言葉にすべきか迷っていた。


─── ミチル。お前、もしかして親に虐待されてるんじゃないか?


それが身体的なものなら、着ている服を捲って確かめてみればすぐにわかることだ。

虐待されているなら、ミチルは然るべき方法で保護されなきゃいけない。けれど、これは俺が積極的に関わるべきことじゃないんだ。

きちんと適切な機関にこの子を託せば、勝手に手続きを進めてくれる。そのレールに乗せるまでが、俺にできる役目だ。


「とりあえず、今夜はしっかり寝ろよ。何かあったら遠慮なく呼びに来い。ただ、勝手に出て行くのだけはやめてくれ。約束できるか」


「うん、わかった。約束するよ」


俺に対するオドオドとした態度はまだ消えそうにないけれど、それでもしっかりした答え方だった。この様子ならきっと、夜中にふらりと出て行くことはないだろう。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


そう言い残して、俺はリビングから短い廊下を通り寝室へと入る。

扉を開ければハルカがベッドの上にちょこんと座っていた。シーツがきれいに張られているのは、ハルカが整えてくれたんだろう。



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