「それは、お前自身のこと？」
見つめ返しながら問い掛ければ、ハルカは少し考え込み、視線を落として口を開く。
「閉じ込められてるんじゃなくて、自分から飛び込んで行ったんだけど……」
どこか遠くを見るような瞳でそんなことを言ってから、ふと我に返ったようにまた目を合わせてきた。
「ごめんなさい。おかしなことを言ったね」
言い訳のようにそう呟いて形だけの微笑みを作り、身体をこちらに向ける。至近距離でまじまじと見つめ合えば、それだけで俺は息をすることさえ忘れそうなぐらい、ハルカに雁字搦めに囚われてしまっていた。
ひとつひとつの表情や仕草が放っておけないぐらい気になる。はっきり言ってしまえば、もうかわいくって仕方がない。
何か言わないとおかしなことになってしまいそうで、俺は必死に言葉を探す。
「……ハルカ」
初めてその名を呼べば、ぱちぱちと目を瞬かせて俺を見る。
「お前はベッドで寝ればいいよ。俺はリビングのソファで適当に寝るから」
やっとのことで口をついて出た言葉が、それだった。
1LDKの間取りで離れて寝るとすれば、そうするしかない。
そうだ。俺はもう既に、ハルカと同じ空間で夜を過ごして間違いを起こすことを恐れていた。
なのに、そんな俺の気持ちを踏みにじるかのように、桜色の唇が花開くように動く。
「ごめんなさい。僕、1人じゃ眠れないんだ。だから」
上目遣いでじっと見つめながら、囁くように俺を誘う。
「一緒に寝てくれる？」
「 ─── ああ、いや。待ってくれ」
動揺して、変なところから声が出そうになる。
そのきれいな顔でそんなことを言っちゃ駄目だよ、本気にするから。
軽々しくそう口にして受け流せばいいと思うのに、甘やかな光を滲ませた眼差しを目にすればハルカが俺をからかっているわけではないと察してしまう。だとすればこれは、尚更よろしくない事態だ。
「別に、そういうつもりでお前を連れて帰ってきたわけじゃないんだ」
やましい気持ちが微塵もなかったとは決して言えない。でも断じて同じベッドで寝たくてハルカをここに招き入れたんじゃない。
俺はただ、この奇跡の出逢いを終わらせたくなかっただけなんだ。
それをどんな言葉で説明すればいいんだろう。いつも口から出まかせで適当にやってきてるというのに、こんな時に限ってうまい言い回しが思いつかない。
「詳しく話せば長くなるから、簡単に説明するよ」
そう前置きしてから俺は意を決してハルカと向き合い、言葉を続ける。
「ハルカ。お前は、俺が初めて本気で好きになった人にすごく似てるんだ」
しかも、ただの初恋相手というわけじゃない。34年間生きてきてあんなに入れ込んだ相手は、彼女が最初で最後だ。
どうして俺は、初めて会ったこの子にこんなことを話してるんだ。
ふと我に返って客観的にこの状況を見つめ返す。
1人で寝られないというのがどこまで本当だか知らないけど、ハルカがそう言うのなら、小さな子どもにするようにただ同じベッドで添い寝してやればいいだけだ。それをここまで動揺して慌てふためいている自分がどうしようもなく情けなく思えてきた。
ただ寄り添うだけでいられる自信が全くないんだ。
「だからその、申し訳ないけど、お前と一緒に寝たりしたらうっかり変な気を起こすかもしれない。そうなったら、お前もいやだろ」
しどろもどろになりながら必死にそう言い聞かせれば、ハルカは目をぱちくりとさせて、まじまじと俺を見る。
ああ、頼むよ。そんなにかわいい顔で見ないでくれ。
やがてきれいな形をした桜色の唇がゆっくりと動いて、意外な言葉を紡ぎだした。
「あなたとその人は、うまくいかなかったの？」
「うまくいってたら、この年でこんな単身用のマンションに一人で住んでると思うか」
はっきりと答える代わりにそう問いかければ、ハルカは小さくかぶりを振る。
「つまり、そういうことだ。わかった？」
とにかく強引に押し切って納得させようと畳み掛けると、ハルカはようやく素直に首を縦に振った。
「うん、わかった」
そう言うや否や、俺の腕を掴んでグッと引き寄せる。咄嗟のことにバランスを崩した俺は、ハルカの上に覆い被さる形でベッドに倒れ込んだ。
そのままのし掛からないように慌てて両肘で体重を支える。重なる身体の熱を感じた途端、一気に頭に血が上った。
「ハル、カ」
鼻先の距離でハルカは俺を見つめていた。まなじりには泣いているかのようにうっすらと光が滲んでいる。
心臓の音がドクドクとうるさい。こんなに鼓動がはやるのは、それこそいつ振りだろうか。
「……いいよ」
魅惑の微笑みを向けながら、ハルカは俺の背中に腕を回してくる。その全身からは、あの甘い匂いが濃く漂っていた。
桜色の唇が、愛を奏でるように柔らかな音を紡ぎだす。
「僕も、あなたに抱かれたい」
細い腕に力が込められて身体が密着すれば、奇妙な既視感を覚える。
彼女と同じ顔、同じ匂い。
まるでこの世界に彼女と2人きりであるかのような錯覚がした。
俺を映す潤んだ瞳にゆらりと情欲の焔が揺らめく。その吸引力は凄まじくて、香しい匂いにすっかり酔い痴れてしまった俺にはこの誘いを拒否する理性などもはや1ミリも残っていない。
─── いや、駄目だ。超えてはいけない。
この子は彼女とは違う。こんなに年が離れてて、しかも男で。
そうだ、ハルカは男なんだ。女を抱くのと同じようにするわけにはいかない。
俺の躊躇いを感じ取ったかのように、ハルカが目を細めた。
「大丈夫……」
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