the 1st day[1/20]

みるみる土砂降りとなった雨は、真夜中の街を覆い尽くすように濡らしていく。

ひとつの傘を差したまま寄り添い合って街を駆け抜けるその間、俺の心臓は早鐘を打ちっぱなしだった。

成人した男2人がそんな雨を凌ぐためのものがビニール傘1本とは、もはや何の役にも立たない。俺とハルカはびしょ濡れになりながら駆け足でマンションのエントランスをくぐり抜けた。


「ごめんなさい。僕のせいですっかり濡れちゃったね」


髪から水を滴らせながら、走った余韻で息を少し弾ませてそう言うハルカは、犯罪級の色気を放っている。


「お前のせいじゃないよ。ここまで濡れちゃうと却って気持ちいいな」


俺がそう言えば、ハルカは遠慮がちな笑みを浮かべる。濡れそぼったシャツに透ける肌が艶かしい。思わず変な気を起こしてしまいそうになった俺は、慌てて目を逸らす。

必死に別のことを考えようとするけれど、余計なことなんて何も思いつかないぐらい、俺はハルカに魅了されてしまっていた。

止まっていたエレベーターに乗り込んで10階のボタンを押す。ゆっくりと上昇する箱の中でもう一度、顔の向きはそのままに視線だけをハルカに流してみた。

美しい造形をした顔立ちは、本当に彼女とよく似ている。

じっと盗み見ていると、不意にハルカが顔を上げた。俺の不躾な視線を逸らすことなく受け入れて、見つめ返してくる。緩やかに絡みついてくる視線は、妙に艶かしい。

それでいて微笑みには穢れがなくて、そのアンバランスな感じが何とも言えず魅力的だった。

柔らかな笑みを湛えたまま、ハルカが形のよい唇を開く。


「どうかした?」


「ああ、うん」


何と返そうかと思いあぐねたものの、別にごまかす必要もない。ストレートに言葉にしてみる。


「すごくきれいな子だなと思って」


ハルカは俺の言葉に一瞬目を丸くして、それからゆっくりと細めていく。


「ありがとう」


恐らく褒められることに慣れているに違いないその容姿は確かに性別を超えた美しさで、こうしてただ見ているだけで同じ男だというのに心がひどく掻き乱される。

エレベーターを降りて部屋の鍵を開けると、俺のあとに続いてハルカも入ってきた。


「先にシャワーを浴びればいい」


靴を脱いで振り返りそう言えば、ハルカは遠慮がちにかぶりを振る。


「僕、あとでいいよ」


「ダメだって。ああ、そこで待ってて」


一旦洗面所へと足を進めて、すぐに玄関先へと戻ってくる。

俺は立ち竦むハルカに近づいて、広げた白いバスタオルをそっと頭から被せる。頭を丁寧に拭いてやればふわふわといい匂いが漂ってきて、思わず息を吸い込んだ。

ハルカはそんな俺を上目遣いでじっと見つめている。まるで捨てられた仔猫のような、淋しげな瞳だ。

縋るような目つきが何かを期待してるように見えるのは、俺の自意識過剰かもしれない。


「頼むから、先に入ってくれよ。風邪をひかれると困る」


「あなたが風邪をひくよ」


そう言って微笑めば、開花を間近に控えた蕾が花弁を覗かせるような奥ゆかしい色気が零れ出す。ああ、これはもう犯罪だな。


「じゃあ……一緒に入る?」


誘いの言葉に混じるように香しい匂いがゆらりと漂ってきて、心臓がまたどくんと大きな音を立てて鳴った。

男同士で風呂に入るのに、何も悪いことなんてない。なのに俺は、あからさまに動揺してしまっていた。

俺がおかしいんじゃない。ハルカのこのきれいな顔といい匂いが悪いんだと、心の中で言い訳がましく呟いてみる。


「俺は身体が丈夫だから、滅多なことじゃ風邪なんてひかないんだ。ほら、部屋に上がって」


俺はハルカの後ろに回り込んで両肩を掴み、靴を脱ぐように促して上がり込んだところを強引に浴室へと連れて行く。

一回り以上も年下の男に翻弄されるなんて、俺も焼きが回ってる。


「新しいバスタオルはこの棚の中。着替えは持ってるか? じゃあ、早く入っておいで」


有無を言わさぬようにまくし立てながらハルカの頭に掛けていたバスタオルを取って、そのまま浴室に繋がる洗面所に細い身体を押し込んでドアを後ろ手に閉めた。


何やってるんだ、俺。


ハルカを拭ったバスタオルを頭から被ればそれにはあのいい匂いがもう仄かに移っていて、また胸が締めつけられる。


─── 何か俺、イカれてるな。


ドアにもたれ掛かって深い溜息をついた。この状況が何だか無性におかしくて、笑いが込み上げてくる。

こんなに楽しい気分になったのは久しぶりだと、頭の片隅で自覚していた。







降りしきる雨音は大きくて、家の中まで響き渡る。

ハルカと入れ替わりでシャワーを浴びてから部屋に戻れば、立ち尽くして窓の外を眺める華奢な後ろ姿が見えた。

振り返らずにガラスに映る俺を見つめながら、ハルカは小さく笑った。


「最上階って、いいね」


「そうだな。上に人が住んでないのは、なかなか気楽なもんだよ」


俺の言葉にハルカは曖昧に頷く。どうやらそういうことを言っているわけではないらしかった。

しばらくの沈黙の後、ハルカは唄うように言葉を紡ぎ出す。


「子どもの頃、不思議に思ってたんだ。お伽話のお姫さまが閉じ込められるのは、いつも塔のてっぺんだ」


ぼんやりとガラスの向こうを見つめながらそう言うハルカの後ろに回り込めば、ゆっくりと顔だけをこちらに向けて、澄んだ瞳で俺を見つめてくる。


「お姫さまは天国に近いところが好きなのかもしれないね」


独り言のように呟かれる言葉は、何かの喩え話なのかもしれなかった。




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