Stigmatic Kiss side A - introduction -[8/9]


だから僕は、何も訊かずにただ確かに存在する熱い身体にしがみつく。

ユウも達したのだろう。収縮のおさまらない僕の中に、欲の融けたような熱がじわりと拡がっていった。

部屋にはふたつの荒い呼吸音が絡まり合い響いていた。

燃え尽きた後の熱はしばらく収まりそうになくて、けれどきっとあらゆる想いさえ凌駕するこの強い感覚をこうしてユウと共有できることが、僕には嬉しかった。

僕の顔を覗き込む眼差しには、夜の海に浮かぶ月明かりのような、小さな光が揺らめいている。

涙に濡れた頬に手をあてて、ユウはそっと僕にキスをしてくれる。

下肢を繋いだまま快楽の余韻の中で交わされる口づけは、まだ火照る身体を緩やかに落ち着かせるような穏やかで優しいものだ。


「……ユウ」


唇を離して、僕たちは鼻先の距離で見つめ合う。

本当に、大丈夫だろうか。


「ずっと……ここにいてもいい?」


戸惑い混じりになけなしの勇気を出して言葉を絞り出せば、掠れた声が空気を震わせた。

ユウは何も言わず、喰い入るように僕をじっと見ていた。

僅かな光を取り込んでキラキラと反射させる、美しい鳶色の瞳。

これからも僕は、幼い頃から大好きだったその淡色の双眸に見つめられる度に、背負う罪を思い出すのだろう。


「ああ」


頷きながら、ユウは僕を包み込むようにしっかりと抱きしめてくれる。与えられるぬくもりにひどく安堵して、僕はまた涙を零してしまう。

身体のあちこちに刻み込まれた所有印が、チリチリと疼いていた。

俯いて目に入った幾つかの部分は、灼けたように鬱血している。

まるで、焼きごてで刻まれた印だ。

目に見える何かで繋ぎとめられていることが、僕には嬉しかった。


「ユウ、大好きだよ……」


そっとそう囁けばユウがゆっくりと顔を近づけてきて、僕の言葉を呑み込むように唇を重ねた。

挿し込まれた柔らかな舌を受け容れながら、僕は夢見心地に目を閉じてその感触を堪能する。

いつものどこか無機質な匂いのするキスとは違う。

人を愛することなどもう忘れてしまったけれど、合わさる唇から流れ込んでくる熱を抑えたぬくもりは、確かに愛にとても近い想いのような気がした。


「 アスカ」


ユウが僕の名を呼ぶ声が、今度はちゃんと聴こえる。


「……どうしたの?」


視線を合わせて応えれば、ユウは少し目を細めて僕をただ見つめる。


「 ─── いや、何も」


短くかぶりを振って、もう一度その腕に僕を抱きしめてくれる。

胸の内に押し寄せるさざなみのようなわだかまりは、肌に触れる体温に融けていく。






永く短かった旅を終えて、僕は悠久の地に辿り着いた。







穏やかに、緩やかに。

モノクロームの時間が流れていく。





2人で過ごす世界の形は今までと同じだけれど、僕たちの関係は確かに変化していた。

変わらないのは、ユウから僕を求めることがないということだ。

けれど、僕がねだればユウはその内に秘めた想いを曝け出すように、優しく情熱的にこの身体を抱いてくれる。

水の中に絵の具を垂らして生まれる模様のように、僕たちを取り巻く世界はゆったりと揺らめいていく。

互いに感応し合うことで、2人の間に今までと違う何かが生まれているのを感じる。

その熱に浮かされながら、僕たちはこの天上に近い籠の中で幾度も身体を重ね直す。

人知れず過ごす時間の甘さに酔い痴れながら欲に身を委ねるうちに、考える力が次第に奪われていく。

囚われたのは僕なのだろうか。

ユウが僕に囚われたのだろうか。

或いは、2人共が目に見えない大きなものに囚われているのかもしれない。

こうして一緒にいることで確かに感じる失われた存在のことを、僕たちは口に出さない。

何も気づかないように振る舞いながら、まるでそれが自らの意志であるかのように互いを求めて、貪り合う。

与えられる熱を何度も呑み込む度に、僕の意識は曖昧に融けていく。

これが愛なのだと説かれれば、そうだと錯覚してしまうぐらい、緩慢に。






けれど、そんな日々は長くは続かなかった。






「アスカ、仕事だ」




それが僕に与えられ続けてきた仕事のことだと理解するのに、数秒を要した。


「………え?」


残酷な台詞を端的に告げるユウの表情からは、何の感情も読み取れない。

僕は、もうとうに4日間の契約から逃れたつもりでいた。それがどうしてこんなことになっているのだろう。

僕はここから出たくなどないのに。


「ユウ。どういうつもりで、そんなことを」


声の震えを抑えつけることもできず、僕はユウに詰問する。

けれどユウには僕が口にする言葉なんて容易に想像がついていたに違いなかった。取り乱す僕を、ただ静かに見つめている。

酷い嵐の起こる前の、凪いだ海のような穏やかな瞳で。


「この案件は、断るわけにはいかなかったんだ」


「どうして……」


ユウは何を考えているのだろう。

僕はひどく怯えていた。ようやく手に入れた安寧の地を奪われることが、怖ろしくて堪らなかった。

そんな僕に憐れみの眼差しを向けながら、ユウは幼い子どもに言い聞かせるように言葉を続けた。


「アスカ。これは、お前が受けなければならない仕事だ」


僕が受けなければならない仕事。

それがどういう意味なのかを考える気力は、今の僕には微塵もなかった。

視界が淡く滲んで、僕を包み込んでいた小さなこの空間が崩れていく。





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