そう返せば、アスカは屈託のない笑顔を見せながら畳み掛けるように話し続ける。
「でも、警察には捕まったことがない。年齢もまだ大丈夫だよね。受験資格は満たしてるはずだ。試験は受けられる」
「だから、そんなわけには」
「カズミさん」
俺の言葉を遮って、アスカが顔を覗き込んでくる。ずっと繋ぎ続けている手は温かい。その手は俺に勇気を与えるように、ギュッと握りしめてくる。
「カズミさんの夢を叶えるのが夢だって、おねえさんは言ってたんだよね」
余計なことをベラベラと話してしまったことを瞬時に悔やむ。あからさまにそれが顔に出てしまっていたらしく、アスカは俺を見ながら目を細めて笑う。
「駄目だったら、その時に考えればいい。だって、もったいないよ。カズミさんには人を救う力があるのに」
人を救う力。
アスカ、お前こそがそれを備えているんだ。
「おねえさんは、カズミさんのことを本当に愛してたんだね」
不意にアスカがそんなことを言い出す。
街が近づくにつれて、きれいな星空は遠くなっていく。けれど俺はもう知ってる。目には見えないけれど、この空の向こうに確かに星は存在していることを。
「エイジさんは顔立ちだけじゃなくて、ちょっとした表情や仕草が本当にカズミさんとよく似てた。僕はあの人と一緒にいたとき、何度もあなたと入れ替わっているんじゃないかと錯覚したよ。おねえさんがあの人に惹かれた理由が、よくわかる」
あの男に似ていると言われることは、やはりいい気はしない。それが、空があの男を愛した理由に僅かでも含まれているのだとすれば─── 想像するだけで、何とも居た堪れない気持ちになる。
アスカの澄んだ瞳は俺の胸中を全て見透かしているかのようだ。見つめ合えば美しい微笑みを向けられて、どうしようもなく心がざわめく。
「僕もカズミさんが好きだ」
アスカは躊躇いもなく俺を好きだと言う。そこに恋情はなくとも、その言葉に偽りがないことはわかる。
穢れのない眼差しは、無垢な子どものように煌めき鏡のように俺を映し出す。
俺がアスカと過ごせる時間が、終わろうとしていた。
俺とアスカの人生が交わることも、もうないのだろう。
別れが近づくにつれて、今更ながら名残惜しい気持ちが胸の中に押し寄せていた。
「本当にいいのか。家まで車をつけるのがまずいなら、せめて近くまで送っていくぐらいはする」
「いいんだ。少し寄り道をしようと思ってるから」
そう言って目を逸らしたアスカの憂いを帯びた表情に、みるみる翳りが射していく。それが俺には気掛かりだった。
けれど、引き留めることはできない。俺がPLASTIC HEAVENで契約した時間は、4日間を終えた午前0時まで。それを必ず守るという条件が、マスターと交わした契約に含まれている。
客待ちのタクシーが並ぶ真夜中のロータリーに車をつける。ドアロックを解除する大きな音が鳴り響いた拍子に、アスカは顔を上げて俺を見つめた。
作りもののように整った美しい顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。
潤んだ眼差しは、今にもそこから涙が零れ落ちそうなほど揺らめいていた。
なんて淋しげな顔をするのだろう。
このままアスカを行かせてはいけない気がした。
「─── おいで」
繋いだ手を強く引いて、こちらに傾いた身体をしっかりと抱きとめる。小刻みに震える肩をそっと撫でて宥めるように背中をさすれば、詰めていた息を吐きながら両腕を回して抱きついてきた。
ほんの気休めにしかならないのはわかっている。
けれど、せめて今だけでも、お前が背負うものを降ろしてほしいんだ。
「アスカ、ありがとう。俺はお前に救われたよ」
耳元でそう囁くと、俺を抱きしめる腕に力が篭る。
「……本当に?」
大きく頷けば、耳元で安心したように小さな吐息が聴こえた。
「カズミさん」
ゆっくりと顔を上げてこちらを向くアスカの頬は、涙に濡れていた。
瞬きをする度に、次から次へと光の筋が頬を伝い零れ落ちていく。
「やっぱりあなたは人を救える人だね」
そう言って柔らかな微笑みを向けながら、顔を近づけて唇を重ねてくる。
合わさる部分から流れ込むのは、いつか空と星を見上げながら抱いていた、甘く懐かしい感情だ。
哀しみも苦しみもない穏やかな優しい世界を、俺たちは束の間味わう。
『罪を償って死ぬことより、罪を背負ったまま生き続けることの方がずっと苦しい』
アスカ。罪を背負って生き続けたその先に、何かがあると信じられないか。
「さようなら、カズミさん」
淋しげな顔で俺を見つめたまま、助手席のドアを開ける。
繋いだ手が離れれば、ぬくもりを失った肌に冷たい空気が触れた。
車内にゆらりと燻(くゆ)る甘い花の残り香が、俺の鼻腔を掠める。
午前0時。
プラチナの夜を超えて、美しい罪人は巡礼の旅に還る。
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